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 ―― ESCAPE(55)

 耳を隠している柔らかい髪を、そっと指で払い除け、唇を寄せて、  ――愛してる。  と、想いは声には載せずに、ほんのりと紅く染まった耳に口付けた。  唇から濡れた吐息が漏れる。  そのまま、ふっくらとした耳朶を甘く食めば、華奢な肩を震わせる。  その微かな反応の、ひとつひとつが愛しい。  この想いは、行く当てが無い。辿りつく場所は無い。だけど静かにゆっくりと、君の――伊織の心に近付いていく気がしていた。    俺に委ねるように力を緩ませた身体を軽く抱き上げる。 「先生……」と、呼ぶ掠れた声には応えずに、その唇を塞ぎながら、傍のずっしりと重量感のある木の作業台の端に伊織を座らせた。  少し屈んだ状態で唇を離せば、濡れたような眼差しに見つめられる。  ドクン、と、心臓の跳ねる音がした。  薔薇色に染まる頬をそっと撫で、白い首筋へ滑らせていく。  もう、戸惑いなど微塵も残っていなかった。  後悔など、しないと心は決まっていた。  白いシャツのボタンを上からひとつずつ外していくと、陶器のような白い肌が艶かしく前立ての隙間から見え隠れする。  俺がボタンを外している間、彼はじっと俺の顔を見つめていた。  誰も居ない、休日の学校。  聞こえてくるのは、外で吹き荒れている強い風の音。それが時々気まぐれに窓を揺らしていく。  無造作に置かれている、美術用具や画材。  棚に並ぶ石膏像。  伊織が描いた、記憶の中の春の景色。  美術室は、静かすぎる空気が流れていた。  シャツを肩からずらして、ゆっくりと脱がせながら、首筋から鎖骨に沿った柔らかい肌へ口づけていく。  速水の部屋から帰ってきた時に見た痛々しい痕跡は、もうすっかり消えている。  新しく生まれ変わった肌に、新しい跡を注いでいく。所有の印ではなく、俺と君が確かに一緒に過ごしたという、記憶の跡を残す。  薄く色づく胸の尖りに柔らかく舌を這わせば、伊織は微かに身を捩り、指先を俺の髪に挿し入れた。   「……っ……、ん……ぁ……」  時折漏らす甘い声。  もっと奏でさせて、もっと聴きたい。  俺は顔を上げ、俯いていた伊織の唇に軽く口付ける。彼は、腕を俺の首に絡めて、それに応えた。  角度を変えるたびに、もっと、と、伊織は強請るように深い口付けを誘う。甘い吐息にいざなわれ、唇を貪りながら、俺は華奢な身体をゆっくりと押し倒す。  彫刻刀の彫り傷や、色取り取りのアクリル絵具が付いている、長年使われてきた木製の作業台に、伊織の白い肌が眩しく映えていた。

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