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 ―― ESCAPE(61)

「――あぁ……!」  その瞬間、伊織は固く目を瞑り、背中を弓なりに反らした。  俺は、一際高い嬌声に鼓膜を揺さぶられ、きゅうっと、入り口に根本を締め付けられる感覚に、甘く苦しい吐息を漏らす。  お互いの吐く息が荒い。  伊織の身体は一段と上気して、白い肌を薔薇色に染めている。 「……伊織……」  肌に纏わり付いてくるような室温がさっきよりも暑い。額から滴り落ちた汗が、伊織の薔薇色の頬を濡らしていた。 「苦しくないか?」  濡らしてしまった頬を指先で拭いながら問うと、伊織は硬く閉じていた瞼をゆるりと開き、俺を見上げた。 「大丈夫……」  そう言うと、頬に触れていた俺の指に指を絡め口元に運び、触れるだけの短いキスをする。 「……先生の指」 「……うん……?」  絡め合った指を解き、今度は掌にキスをくれる。 「先生の手は、すごく暖かいね」 「うん……、この部屋が暑いからかな」  俺がそう応えると、クスッと、伊織は悪戯っぽく笑った。  そして、細くて綺麗な指を自分の肌の上で滑らせて、下腹に触れる。まるで…、体内にいる俺の形を確かめるように。 「先生の、凄く熱い……」  そう言って、あの光が溢れるような笑顔で俺を見つめながら……、その瞳から涙が零れ落ちた。  だけど、その涙には、切なさや哀しみなどは感じられない。 「……伊織?」  カーテン越しの淡い光に煌めきながら落ちていく涙を、指先で拭ってやる。 「……ちょっとだけ、思い出したんだ。……昔、初めて父さんに……」  言葉はそこで途切れて、伊織は俺に口づけてきた。  何を言おうとしたのかは、なんとなく分かって、少し胸の奥が締め付けられたけれど。  でも、その記憶はもしかしたら、伊織にとっては大切で、今、思い出したことで、何か心の枷を自分で外す事が出来たのじゃないかと感じていた。  静かな美術室に木製の作業台の軋む音が響き、伊織が絶頂へ駆け昇っていく声が耳を擽る。 「伊織……」  名前を呼ぶと、腕を俺の首に絡めて、唇を寄せてくる。  貪るような口づけを交わしながら、細い身体を抱き上げて、傍の椅子に向かい合わせて座る。 「……っん……ぅ……」  一層深く繋がって、伊織は甘い吐息を鼻から漏らした。  突き上げるリズムに合わせて、伊織は俺の膝の上で腰を揺らして、「先生……」と、何度も俺を呼ぶ。熱っぽい瞳で、俺を見詰めながら。  そして何度も、深く口づける。  確かに今、伊織の心は俺だけに向いている、と、感じる。  愛おしくて堪らない華奢な背中をきつく抱き締めて、二人で絶頂を目指した。 「あっ、……ぁっ、せんせいっ、……ッ」  大きく波打つ細い身体。  二人の肌の間で、花芯が弾けて熱い飛沫が飛ぶ。 「いおり……ッ、……」  俺も、熱く締め付けてくる身体の最奥に、想いを注ぎ込んでいった。 (……君を、誰よりも想っている……)  ――『……そんな覚悟もないくせに……』  あの父親の言葉が、不意に頭を過ぎった。  覚悟なら、疾うの昔にできていた。……速水の部屋から出て来た伊織を、この腕に抱き留めた時から。

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