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第八章:至愛(1)
――epilogue『至愛』(side iori)
たとえこの先に、絶望の朝が訪れたとしても…… ――
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ゆっくりと、車が僕の生まれ育った家から離れていく。
見送ってくれているのは、
先生と、慎矢と……、
僕が小学校に入学した時に記念に植えた、庭の桜の木と、
車が動き出す時に、二階の窓辺で揺れるレースのカーテンのその奥から感じた視線。
全部、どんどん小さくなって、
角を曲がって大通りに出ると、もう見えなくなってしまう。
さようなら。
また、いつか……。
「また、いつでも帰ってこれるよ」
角を曲がっても、まだ後ろを向いたままの僕に、隣に座っている人は優しい声でそう言った。
「荷物、少ないね。何か大切な物が入ってるの?」
「……別に」
必要最低限の身の回りの物と……それから……。
「一枚だけ残っていた、母さんの写真を持ってきたよ」
僕がそう言うと、その人は分かりやすいくらいに嬉しそうな顔をする。
「見せて貰ってもいいかな?」
「いいよ」
ずっと、勉強机の一番上の鍵の掛かった引き出しの中に、それを入れてある事すら忘れかけていたけれど。
鞄の中から、写真立てに入れたままの母さんの写真を取り出して渡すと、その人は小さく溜め息のような声を洩らした。
久しぶりに見たその写真は、引き出しに鍵を掛けたあの頃よりも、もっと僕に似ている。
「……鈴宮さんには、会えたかい?」
「……いいえ。……カズヤさんは? 父さんに会えたの?」
質問を返すと、その人は微かに苦笑した。
それは、僕がカズヤさんと名前を呼んだからなのか、それとも父さんに会えなかったからなのか。
「僕も、会っては貰えなかったんだ。だから、タキさんに宜しくお伝えくださいと託 けてきた」
「……そう」
短く応えて、僕は窓の外へ視線を移した。
車は、川沿いの道を、海の方向へと下って行く。
――『お前を私の本当の息子だと思ったことは一度もない』
あの時、父さんに言われた言葉に、もう何もかも失くしたと絶望したけれど。
僕は、あの絵を仕上げながら思い出したんだ。
流れていく景色の中に浮かんでくるのは、桜並木の遊歩道を両親と手を繋いで散歩したあの頃のこと。
夏祭りに浴衣を着て、花火を観たあの頃のこと。
あまりにも人が多すぎて、大人の腰までも身長がない小さな僕は、人の波に揉まれて息苦しくて。
そんな時は、父さんが肩車をしてくれた。
夜中に高熱を出した僕を大きな背中に負ぶって、大通りまでしか来てくれない救急車まで走ってくれた。
僕の頭を撫でてくれる、優しくて大きな手。
僕の好きなあの階段から見える景色も、最初に教えてくれたのは父さんだった。
僕は……小さい時から、父さんが大好きだった。
――父親として……。
そして、確かに父さんも僕を実の子供として見ていてくれた。……優しい瞳で。
あの頃の僕達は、確かに幸せな家族だったんだ。
だけど、いつの頃からだろう、父さんは母さんの心を疑っていた。
今、僕の隣にいる、岬一哉のことを、母さんが忘れられずに想っていると。
あの嵐の日、とうとう母さんは、父さんの束縛に堪え切れずに、逃げようとしたのかもしれない。
でも、あの事故が起こる前、僕は聞いたんだ。母さんの本当の気持ちを。
――『でも……父さんのこと置いて行ったら、また怒られない?』
『――大丈夫よ……だから…………』――
その事を最後にどうしても父さんに伝えたくて、今日、あの家に戻った。
本当は、荷物の事なんて、どうでも良かったんだ。
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