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 ―― 至愛(11)

 この本は、僕が生まれた頃に書かれている。  主人公と女性の名前は違うけれど、これは、父さんと母さんの話だと思う。  確かに、父さんは僕を愛してくれていた。  もしかしたら、生まれる前からずっと。  僕は、母さんの代わりなんかじゃなかったのかもしれない……。 「……なんてね」  全部、僕の妄想に過ぎない。  タキさんからの手紙にはいつも、口には出さなくても、父さんは僕に会いたがっていると、ひとこと添えられている。  本当にそうだろうか。  父さんは、タキさんと暮らしている今が、幸福なんだと思う。  タキさんは、父さんの仕事のマネージメントを含む、助手をしている。  僕が、生まれる前からずっと。  家政婦だと、勝手に思い込んでいたのは、僕。  そして、父さんが母さんと出逢うよりも、もっとずっと前から、それ以上の想いをタキさんは父さんへ寄せていたのだと、手紙を貰うたびに感じた。  そして今も。  僕はその手紙に、返事を書いたことはない。  藤野先生は、僕は父さんに束縛されていると言ったけれど、  本当に束縛されていたのは、父さんの方だった。  僕と、母さんに。  その重い枷を外したのだから、もう父さんは何にも囚われることなく、自由になれたんだ。  今はまだ、そんなに簡単に会いたいという気持ちは起こらない。  ――『……今、ここを開けたら、私は今度こそお前を……』  ――閉じ込めてしまう――  あの時、父さんは、きっとそう言いたかったんだ。  僕も……このまま逢わないでいる方が良いと思う。  逢ってしまえば、また見えない鎖が、お互いを雁字搦めにしてしまいそうで怖かった。 「……あ……」  開いた本のページの上に、桜の花弁が舞い落ちてきた。  きっと、僕が小学校に入学した時の記念に植えた、庭の桜の花弁。  幸せだった頃の思い出が、まるで栞の代わりになったような気がして、僕はそのままそっと、本を閉じた。  *  駅へと向かう階段の降り口まで、僕は何度も振り返って、思い出に別れを告げた。  もうきっと、ここに来ることは二度とないから。  階段をゆっくりと降りていく途中で、携帯が鳴っていることに気付く。  目の前に広がる街の景色を眺めながら、耳に当てると、変わらない明るい声が聞こえてきた。

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