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 ―― 桜の頃(3)

「おい、お前、大丈夫か?」  振り向いて声を掛けると、同じ高校の制服を着ているそいつは、俯いて窓の方を向いたまま小さく頷いた。  よく見ると、ズボンだけでなく、ブレザーの中のシャツもボタンが殆ど外されている。  力が抜けてしまった様子で、ドアに凭れかかって立っているのがやっとに見えた。 「おい、早く服、直せよ。駅に着いちまう。」  他の客の目から隠すように立ち、もう一度スーツの男へ視線を戻せば、男はそそくさと混み合う車内を掻き分けて奥へと逃げて行ってしまっていた。 「ちっ、今度会ったら、絶対捕まえてやる」 「え、なんだよ? 何があったわけ?」  男と入れ替わりに、隆司が此方へ近付いてきた。 「なんでもねえよ」  電車の速度が落ちて、間もなく駅に着く事を知らせる車掌のアナウンスが聞こえてきた。  **** 「なあ、どうすんの? 学校行かねえの?」  電車を降りて、取り敢えずホームのベンチにそいつを座らせると、隆司が何故か嬉しそうな声音でそう訊いてくる。  きっとこのまま、学校をサボれるくらいにしか思っていないのが見え見えだ。 「お前、先に学校行け」 「はあっ?!なんで俺だけ?」  不服そうに言う隆司の頭を軽く叩いてやると、さも痛そうに頭を摩りながら、恨めしそうに俺を見上げてくる。 「こいつをちょっと休ませてから行くから、お前は先に行って担任にうまい事言っとけって、言ってんだ」  分かったか? と、もう一度念を押すように睨みつけると、隆司はもう俺に逆らったりしない。  すぐに、「分かったよ」と、言うと、改札への階段を上がって行った。 「あの人、アンタの言い成りなんだね」  少し笑いを含んだような声で、ベンチに腰掛けているそいつは俺を見上げてそう言った。  さっきまで乱れていた制服は、もうキチンと整えて、まるで何もなかったように落ち着いた様子なのに、俺を見上げてくる瞳が、まだどことなく陶酔したように虚ろに揺れていて、一瞬胸がドキリと跳ねた。  「……」  何だ今の……。そう思ったが、すぐに気のせいだと自分に言い聞かせた。  少し大きめな真新しい制服に気付いて、「お前、新入生か?」と問えば、「……そう」と、だけ言って視線をツイッと逸らした。  何と言うか、その見た目に反して可愛げがねえ。 「じゃあ、急がないと入学式始まっちまう」 「……別にいい。入学式なんて興味ないし」  変な奴。 入学式に出席する為に、あの満員電車に乗っていたんだろうに。 「お前、さっき、なんで抵抗しなかったんだよ? なんで嫌だと言わない? まるで……自分から誘ってるみたいだった」  そうだ……さっき電車の中でも見たあの虚ろな瞳。  あれは、助けを求めるような目つきじゃなかったんじゃないか。  あの時の、あの表情を思い出して、そんな考えが頭を過ぎった。

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