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(02) あれしてないのかよ?

亜紀人は、落ち着きを取り戻した。 ソファにもたれかかって言った。 「……ったく、お前はつくづく俺を脅かしやがる」 「そんな言い方しなくてもいいでしょ! 本当に悩んでいるんだから!」 かわいいほっぺをぷぅーっと膨らませた。 亜紀人は、腕組みをして考え込む。 「まぁ、確かにな……勃たないんじゃ、いろいろ不便だしな」 「不便って?」 「へっ?」 亜紀人の脳裏には、昨晩のオナニーの事がポッと浮かんだ。 それを、ぶんぶん頭を振って振り払う。 「そ、そんな事よりいつからだ?」 「いつ? いつだろう……気付いたのは最近なんだ。そういえば朝、元気にならないなぁって」 「ああ、朝勃ちか。って……お前、毎日、あれしてないのかよ?」 「あれって?」 「あれは、あれだよ……」 「あれ? ん?」 亜紀人は声を潜める。 「スッとぼけやがって……あれっつったら、お、オナニーだよ」 「……えっ! オナニーって……は、恥ずかしいなぁ……もう! あっ君のエッチ!」 隆之介は、顔を真っ赤にして頭をブンブンと振った。 亜紀人は、隆之介のあまりも大袈裟なリアクションに、お前は純情女子かよ!と、ため息をついた。 「お前なぁ……自分から話を振っておいて……まぁ、いいか」 「ねぇ……あっ君は毎日しているの? お、オナニー」 隆之介は、上目遣いで覗き込むように亜紀人の顔を窺う。 そして、手をもじもじさせて神経質そうに亜紀人の回答を待つ。 (全く、中学生かよこいつは。でも、そんなウブな所が可愛いんだがな……) 亜紀人は、内心ほっこりとするのだが、無造作に手を振った。 「いいんだよ。俺の話は……。ところで、隆之介」 「……あっ君は、毎日しているんだぁ……どんなのを見てしているんだろ……知りたいな……」 顔を赤くしてぼそぼそと独り言を呟く隆之介。 亜紀人は、はぁ、と再びため息をついた。 「なぁ、隆之介。話を戻すぞ。勃たないのは、メンタルが原因かもな」 「メンタル?」 隆之介は、ハッとして亜紀人の顔を見返した。 「ああ、例えば、性的な事でショックを受けたとか、最近なかったか?」 「性的な事……」 「ちょっと待てよ……隆之介。お前、一か月前ほど、上司から言い寄られているって言ってなかったか? あれは、俺のアドバイス通り、ちゃんと会社にセクハラ被害を言ったんだろうな? 男同士だってセクハラは適用されるんだからな」 「あー、あれね。それがね……」 「それで?」 「やっぱり、言わない! あっ君に怒られそうだから!」 プイっと顔を背ける隆之介に、亜紀人は身の乗り出して言った。 「な!? どうして俺が怒るんだよ! 言えって!」 「怒らない?」 不安そうに亜紀人を見つめる。 「怒る訳ないだろ? 俺はお前の事が心配なだけなんだよ。ほら、話してみろよ」 「本当に怒らない?」 「怒らないって……くどいぞ、隆之介!」 「……絶対だからね!」 隆之介は、視線を天井に向け思い出す仕草をした。 「じゃあ、話すけど……実は、あれからね……」 **** 隆之介は、自宅からノートパソコンを使って朝のミーティングに参加していた。 課長が主催の会議で、メンバーは順番に進捗報告をする。 全員の確認が終わったところで閉会となった。 「……それではリモート会議はこれで終わる。あー、そうだ。隆之介君。ちょっと話がある。繋ぎっぱなしにしておいてくれないか?」 「はい。課長」 皆が会議から抜けていくと、課長と隆之介の二人きりになった。 隆之介は問いかけた。 「課長、お話って何でしょう?」 「えっとな、リモートワーク、不都合なく出来ているかね?」 「はい。とくに問題は無いです」 「僕はね、隆之介君の事が心配で。ほら、オフィスだったらちょくちょく見てあげられるだろ?」 課長は、やさしい口調で言った。 隆之介は頭を下げながら返す。 「すみません、課長。お気を使っていただいて……」 「そんなの上司なんだから当たり前だよ。そうだ、お昼休みに駅前のスポーツクラブで一緒にひと泳ぎしないか?」 課長のあまりにも急な申し出。 しかも、隆之介に答える隙を与えずに、捲し立てて続ける。 「僕は会員なんだよ。心配はいらない。うんうん、それがいい。コミュニケーション不足も解消できるし、運動不足も解消できる。一石二鳥じゃないか。そうだろ?」 「プールですか……でも、僕は……」 「ははは。遠慮はいらないよ。ゲスト割引が使えるから。よし、今日のお昼、水着を持ってきなさい」 「えっ……えっと、そんな急に……」 「じゃあ、待っているからね!」 プツリ…… 会議は強制的に切断されてしまった。 隆之介は、はぁ、とため息を付いた。 *** 亜紀人は、怒鳴った。 身を乗り出してテーブルを叩く。 「お、おい! 何、そんな約束しているだよ! 隆之介! お前、リモートワークになる前にそのセクハラオヤジがしつこいって言っていただろ!」 「うん……そうなんだけど。でも、よくよく考えてみたら、親切心かもなって……確かにリモートワークはコミュニケーション不足になるし、運動不足にもなるし……」 亜紀人は、興奮のあまり顔を真っ赤にした。 「だからってよ! お前、そんな時はいつでも俺を頼れって言っているだろ? あー、もう!」 「だって……」 「だってもくそもあるかよ!」 「……ほら、やっぱりあっ君、怒った……だから、言いたくなかったんだ、ボク」 泣きそうな顔になる隆之介。 亜紀人は、しまった、という顔をして頭を掻いた。 「ご、ごめん、ごめん。で、続き、あるんだろ? 隆之介」 「ん? うん、あるよ」 「ほら、話してみろよ」 「……もう怒らない?」 不安そうに亜紀人を見つめる隆之介。 亜紀人は、まだまだ言い足りない言葉があるのだが、それをぐっと腹の中に押し込め、無理やり笑顔を作った。 「ああ、怒らない。俺はそんな細かい事は気にしない性格なんだよ。うん」 隆之介は、亜紀人の顔をじっと見つめる。 亜紀人は、目を逸らして、ははは、とワザとらしく笑った。 「ほら、話せよ、な?」 「……じゃあ、話すね」 隆之介は、続きを話し始めた。 **** 駅前のスポーツクラブのシャワー室。 課長と隆之介は、隣同士のブースに入り汗を流す。 ブース越しに課長が話かけてきた。 「どうだった? 隆之介君。いい汗かけただろ?」 「はい、課長。何だか、気持ちがいいです」 「そうだろ? あっ、そうだ。隆之介君」 「なんでしょうか?」 「二人の時は、課長ではなく、貴明さん、って呼んで欲しいって言っただろ?」 「……は、はい、貴明さん……」 「うん!」 課長の弾む声が聞こえた。 課長の名前は、森下 貴明(もしりた たかあき)。 40才代後半の妻子持ち。 かつては相当モテただろう濃いめの顔に、色黒の肌。 サーフィンとスノーボードを趣味とするイケオジ。 普段は部下思いのいい上司なのだが、隆之介はどうにも苦手なタイプである。 その課長の森下は話を続ける。 「やっぱり、運動はいいね。僕もね、家にずっと引きこもって仕事をしているとストレスが溜まってね」 「そうですね。ボクも体を動かすとストレス解消になります」 「そうだろ? よかった。隆之介君を誘って」 森下と隆之介は、普通にレーンを周回し、思う存分泳いだ。 隆之介が警戒していたやましい事は特に無く、逆に課長に対して失礼だった、と反省した。 この時までは……。 森下は、隆之介のブースに顔を覗かせて言った。 「……ところで、隆之介君」 「な、なんでしょう?」 隆之介は後ろからの近い声に驚いて振り向いた。 森下は、隆之介の体を舐めるように見つめている。 そして、視線はお尻の位置でピタッと止まった。 「隆之介君の体って初めてみたけど……着やせするんだね……結構、ふっくらしている……」 「ちょ、ちょっと、た、貴明さん。覗かないでください。恥ずかしいです」 隆之介はサッとお尻を隠すような仕草をした。 森下は、すっと、ブースに入って来る。 「背中流して上げようか? 後ろ、手が届かないだろ?」 「キャッ……」 森下の手が隆之介の背中に触れた。 森下は大袈裟に笑うと、さらに距離を詰める。 「あははは。恥ずかしがることなんかないさ。僕は隆之介君の上司なんがら、部下の健康管理もしっかりしないといけないんだよ」 「だ、だめ……やめて……貴明さん……」 森下は、隆之介の背中にぴったりと体を密着させ、なでるように手を這わす。 「ふふふ。隆之介君の肌ってすべすべなんだね。僕は結構好きだな……」 耳元で囁く森下。 ぞくぞくっとして体をキュッと縮こませる。 「ほ、本当に止めてください……そ、そんな変な触り方」 「ははは、何を遠慮しているんだい?」 隆之介は、か細い声で言い返すが、森下はお構いなしで手を背中から腰へと南下させる。 「あー、そうだ、隆之介君。お尻を揉んであげよう。リモートだと一日中座っているからお尻、痛くなるだろ?」 「いえ、いいです……あっ、そんな……貴明さん……やめて……あっ」 森下は、隆之介のお尻を鷲掴みでむぎゅっと掴むと、手慣れた手つきで揉みしだく。 隆之介は、堪らずに声を上げる。 「あ、や、やめて……」 「ん? だいぶ、お尻凝っているな。ほら、ここ」 好き放題の森下に、隆之介は涙目になっていた。 「はぁ、はぁ……貴明さん……やめてください……」 「大丈夫だよ、隆之介君。そうだ、お尻の割れ目の所は優しくマッサージするといいんだよ。知っているかい?」 **** 亜紀人は、堪らずに話を遮った。 「おいおいおい! 隆之介! ちょっと、待てい! お前、何やっているんだよ! 何で、上司にケツを触らせるんだよ!」 「……う、うう。やっぱり怒った……」 隆之介は涙目になった。 ひとさし指で目尻を抑える。 亜紀人は、やばい、と思って慌てて弁解した。 「べ、別に俺は怒っちゃいねぇぞ?」 とは言ったものの、先ほどの話を思い起こすと無性に腹が立つ。 それで、止まらなくなった。 「いや、怒っている! 猛烈に怒っている! どうして、断らねぇんだよ!」 「……だって……嫌がってもだめだっていうか……ごめんなさい……」 しょぼんと俯く。 亜紀人は、ちょっと言い過ぎたか、と思い極力優しい声で言った。 「で、その後は? ま、まさか……お前、その後も何かあるのか?」 「え? その後は、別のお客さんが来たからそれきりだけど……」 亜紀人は、ホッとして、大きなため息を漏らした。 「ったく、危なっかしいなぁ……隆之介、もう、誘いにも乗るな、そのスポーツクラブへもいくな! いいな?」 「……う、うん」 隆之介は素直に頷いた。 今回は運よく未遂で終ったが、もしかしたてたら、と思うと亜紀人は気が気じゃない。 亜紀人は、両手の拳を握りしめてゴキゴキと鳴らす。 「変態オヤジめ。森下っていったか、その課長? 今度、隆之介に手を出したら、絶対に殺してやる!」 「……でも、あっ君。課長は、そんなに悪い人では……」 「バカ! 悪い奴に決まっているだろ? 部下の尻を揉むとか……男同士で不潔な!」 「……あっ君……男同士だと不潔……って思う?」 隆之介は、おそるおそる亜紀人の顔を見る。 亜紀人は即答した。 「そんなの当たり前だろ?」 「……そうだよね……」 隆之介は、肩を落としてしゅんとした。 亜紀人はそれには気が付かず、隆之介の肩に手を置いて言った。 「とにかくだ。隆之介が勃たなくなったのは、それが原因で間違いなさそうだ。誰だって、そんなセクハラされたらトラウマにもなるぜ」 原因が分かりすっきり満足気な亜紀人。 しかし、ボソッと隆之介が付けた言葉を亜紀人は聞き逃さなかった。 「……でもね、それだけじゃないんだ……はっ……いや、何でもない」 「おっと、隆之介。何が何でもない、だ? 何か言いかけただろ?」 「え? 何も」 隆之介は、誤魔化すように視線を逸らした。 亜紀人は問い詰める。 「いや、言いかけたね。話せよ!」 隆之介は根負けした。 「……だって、あっ君、怒るから……」 「ふぅ……。怒らねぇよ。これ以上、怒るような話があるかって。ほら、話せよ」 隆之介は亜紀人の顔色を窺う。 「……本当に怒らない?」 「ああ」 「絶対?」 「絶対」 亜紀人は、無言で、どうぞ、と手を広げた。 隆之介は、一息ついて話始めた。 「……なら、話すけど……」 ****

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