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【12】

 耳の奥がざわざわする。騒音という言葉が当てはまるかどうかはわからないが、数多くの人々が話しているような声――いや、音が聞こえる。でも、どんな言語でどんな話をしているのかは理解できない。何となくではあるが、のんびりと眠っている場合ではないことだけはミチにも十分理解できた。  重い瞼を持ち上げてゆっくりと目を開けたミチは、冷たい床に横たわっていた。頭上には果てのない空間が広がり、壁面には無数の扉が見える。眩い光が差し込むその場所は『エデン』。魂が集う楽園――だった場所。腹の上に力なく乗せられたままの自身の両手。そこに抱かれたはずの英慈の魂はどこにも見当たらなかった。 「英慈……。どこ……どこに行ったのっ」  勢いよく体を起こしたミチは、焦ったように周囲を見回した。心臓がありえないほど高鳴り、息苦しいほどに呼吸が荒くなる。パニックを起こしていることは分かっていた。しかし、英慈の魂は気配すら感じられない。もしかしたら気を失った時に手放し、徹平の手に渡ってしまったのか。焦れば焦るほど記憶が曖昧になっていく。徹平の手がミチの首を物凄い力で締め上げた時、遠くでアズラエルの声を聞いた。その瞬間、自身の足元に徹平の顔が転がって……。  あれは夢だったのか。それとも、自身に都合がいいように改ざんされた記憶なのか。耳の奥をくすぐっていた音がだんだんと大きくなっていく。だが不快だとは思わない。むしろ何とかしなければという使命感に突き動かされる。 「――ここはいつ来ても騒がしいな。前にも増して苦情が増えている」  低くはあるが、よく通る声がエデンに響いた。その声がした瞬間、無数のざわめきが止まった気がした。しかし、ミチの耳にはさらに威力を増した音が流れ込み、堪らず両耳を塞いだ。  硬い靴音が近づいてくる。その気配はアズラエルのものとは違っていた。高貴であることは変わらない。でも、その度合いがまるで違う。こういったら彼に怒られるかもしれないが、もっと気高く、ほかに類を見ない畏怖を感じる。ミチは耳を塞いだまま視線をあげ、靴音のする方に目を凝らした。そこには、黒いスーツに同色の外套を羽織った長身の男が立っていた。アズラエルよりも背が高く、がっしりとした体躯で対峙する者に威圧感を与える。何よりミチの目を奪ったのは、彼の深紅の瞳だった。まるで悪魔と見紛うそれは、一寸もブレることなくミチに向けられている。ゾクリと背筋が冷たくなる。しかし、徹平のような邪悪な気配はまったく感じられない。 「目覚めたか……ミチ。四〇〇年ぶりだな」  記憶の中で一際存在感を放つ男――。いつも眉間に深い皺を寄せ、不機嫌なままの表情は変わることはない。強面で周囲からも一目置かれる存在……。ミチはあの時とまるで変わらない姿で立つ彼を見つめたまま、その場に片膝を折った。 「サリエル……様」 「アズラエルに記憶を戻してもらったそうだな。どうだ? 四〇〇年もの間、一度も天界に戻ることなく人間界で暮らした感想は」  この記憶が戻る前まで、存在すら信じられずにいた天界庁総括管理部トップであるサリエルが今、ミチの目の前にいる。懐かしさに目を細めたミチは、胸元に手を押し当てると掠れた声でいった。 「俺たちの罪はもう……赦されたのでしょうか」  サリエルは小さく吐息して、長い銀色の髪を無造作にかきあげた。 「最初からお前たちに罪など科してはいない。人間の記憶を持った魂の暴走により巻き込まれた被害者だ。それなのに……ここの管理を放棄して、人間界で自主転生を繰り返し、罪を償った気になっていたのだろう。おかげでここは荒廃し、私でも手がつけられない状態になってしまった。何を以て罪とするか……。それをどうしても知りたいというのなら教えてやる」  サリエルの大きな翼が広げられると、純白の羽が舞い上がり、真っ白な世界が訪れる。柔らかく舞うその羽がミチの体を包み込んだ。それまで感じることのなかった温もりがミチを満たしていく。そう――まるで、最愛の者に抱かれているかのように。 「英慈……」 「エデンの護り人であるお前たちが犯したのは、互いの手を離した罪。決して離れてはならない二人が別々の場所で、違う時をすごし、他人と共に生きたこと。二人の魂が離れれば離れるほど、エデンは荒れ果てていく。そして、ここに眠る魂はお前たちがいなければ転生できない。いつ戻るとも分からないお前たちの帰りを待ちわびてこの有り様だ」  サリエルの言葉に賛同するように、ざわめきが再び大きくなる。ミチの耳に届いていた音は、転生を望む魂たちの悲痛な叫び。胸が締め付けられるように痛い。音として耳に入ってきていたものが『声』に変わったとき、ミチの頬に涙が伝った。 「ごめん……なさ、い。ごめんなさいっ!」  ミチは泣きながら叫んでいた。冷たい大理石の床に落ちた涙の滴。それが光の波紋となって広がっていく。キラキラと輝くその輪に囲まれた場所に緑が生まれ、清らかな水が溢れ出した。 「これが生命力を生むイヴの力か……」  色を失った空間に光が溢れ、枯れた木々が鮮やかな緑色の葉を広げる。苔むした噴水も沼のように変色した湖も、みるみるうちに四〇〇年前の姿を取り戻していく。永遠の楽園と称されたエデンが再びその姿を現していった。思わず感嘆の声をあげたサリエルの目が、少し先にある木陰に注がれる。それに気づいたミチが振り返ると、そこにはたっぷりとした白い衣装に身を包んだ英慈が立っていた。その隣には大釜を肩に担いだアズラエルがいる。 「英慈……」  涙で滲む視界。手の甲で何度も拭いながら、それが夢や幻でないことを確かめる。 「四〇〇年間使うことのなかった力。この果てのない空間を、あの時と変わらない楽園に戻すとは……。さあ、今度は最愛の伴侶と共に、眠っている魂を目覚めさせてくれ。転生の準備は管理部がすべて行う。お前たちは今まで通りにやればいい。まさか――忘れたわけではあるまい?」  サリエルの言葉にミチは少しだけ頬を染めて俯いた。そんな彼の背中を力強い腕が優しく抱き締めた。 「ミチ……」  懐かしい声。一日も忘れたことのないぬくもり。振り返らなくてもその人が誰なのかわかる。たとえ幾つもの時代が通りすぎても、互いの容姿が変わっても、呼び合う魂は変わらない。 「サリエル様、今の俺には名前がない。これじゃ、ミチと愛し合うこともできない」  そう言った英慈の横で、アズラエルが面倒くさそうに呟いた。 「人間として生きた最後の名前――エイジでいいだろ。ミチもその方が呼びやすいんじゃないか?」  アズラエルの方にチラリと視線を向けたサリエルだったが、すぐにミチを抱きしめている彼に視線を戻すと、窺うようにわずかに首を傾けた。それを見た彼は、素直に口元を綻ばせた。 「ミチ。俺の名を呼んで……」  甘さを含んだ低温が耳元を擽る。今まで何度も呼んでいたはずなのに、恥ずかしさと緊張で声がうまく出せない。掠れた小さな声で呟くが、彼は「聞こえない」と言いたげに顔を寄せてくる。 「――ジ。エイ……ジ」 「もっと、呼んで……。そうじゃないと、ここにいる魂がもっと騒ぐよ」 「え……?」 「忘れたわけじゃないだろ? もう記憶は戻ってるはずだ。お前の声はエデンに安らぎを与える。そして、魂を目覚めさせ自我を芽生えさせる。その役目を担うのが俺たち――護り人だ」  ミチは小さく頷くと、スッと息を吸い込んで喉の奥を震わせた。その声が果てのない空間に響き渡ると、海の潮が引いていくように魂の声が小さくなっていく。しかし、ミチが少しでも躊躇すると、再びあの『音』が戻ってくる。 「もう、躊躇うことなんかないんだよ。ここは俺たちがいるべき場所。そして、俺たちを必要としてくれる者たちが慕う場所。エデンの護り人の使命……それは、ここを愛で満たすこと」  英慈の声がミチの鼓膜を震わせるたびに、体の芯が熱くなっていく。気怠さを孕んだ火照りが徐々に熱を帯び、体の中で渦巻いていくのが分かる。記憶の奥底に眠っていた彼との行為がまざまざと思い出され、ミチは彼の腕に顔を埋めたまま頷いた。 「未熟だった四〇〇年前の俺たちとは違う。離れてしまった苦しみも悲しみも……。そして、お前に出逢えた喜びも愛しさも……全部、経験した。もう、離れる理由なんかどこにもない。ここにいる魂を、新たな世界へと送り出してあげるために必要なこと――分かるだろ?」 「分かってるよっ」  ムキになって言い返したミチを諭すように、英慈は彼の耳朶を甘く噛んだ。そこからジワリと広がっていく疼きに、ミチは小さく肩を震わせた。英慈がゆっくりと顔を上げ、目の前に立つサリエルとアズラエルを見つめる。そして、深々と頭を下げて言った。 「ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」  英慈の真摯な態度と、エデンの崩壊を免れたことの安堵で、ほんの少しだけサリエルの表情が緩んだような気がした。彼は外套の裾を大きく翻すと彼らの背を向けた。大きく美しい翼がふわりと揺れる。 「――あとは頼んだぞ。エデンの門番と、そこにいるアズラエルの指示に従え」 「はい……」 「――四〇〇年ぶりか。今夜はゆっくり眠れそうだ」  喉の奥で笑ったサリエルの背中を追いかけるようにアズラエルが駆け寄る。そして、サリエルの肩をグッと力任せに掴み、顔を覗き込んだ。 「おいっ。ゆっくり眠らせるわけないだろ! 四〇〇年間、禁欲させられた俺の身にもなれっ」 「なんだ?」 「俺とはセックスしないって言ったくせに、データ管理部の娘と浮気しやがって。エデンが荒廃したショックで勃たないだと? 笑わせるなっ」 「そんなことを言った記憶もなければ、浮気などという事実もない。――愛しているのはお前だけだ。アズラエル」  サリエルの言葉を訝るように、大鎌を担ぎなおしたアズラエルはミチたちの方にチラッと視線を投げた。そうーーこの二人は伴侶の契約を交わしている。だが、それを知る者は天界広しといえどもほんのひと握りだ。生と死を司る二人の関係を知られることで、不利になることもある。ミチと英慈のように、片方が欠けても魂の審判は成り立たない。記憶が戻ったことで思い出した二人の関係。そして、昼行燈上司の真の姿……。  ミチが『何とか言ってくれ』と合図を送るアズラエルに困惑し口籠っていると、英慈の腕が再びミチの体を包み込んだ。それだけで不安が解消され、心がすぅっと解けていく。 「(あお)の洞窟に行こう。俺たちが誓いを立てた場所……」  迷うことなく頷いたミチに微笑んだ英慈は、アズラエルに向かって声を上げた。 「俺たちの邪魔だけはしないでくださいねっ」  英慈の声にキッと目尻を吊り上げたアズラエルは、足を止めて二人の方に向き直った。柔らかな栗色の髪が揺れ、薄いブルーの瞳が輝きを増す。そして、わずかに首を傾けて唇の端を上げて笑った。 「ミチ。明日の出社の際には、そこにいる新入社員を連れてこい。今回は特別措置として、多少の遅刻は認めてやる」 「え……?」  ミチは驚いたように英慈と顔を見合わせた。彼もまた初耳だったようだ。 「護り人だからって、ダズルのスタッフでなくなるわけじゃないからなっ。ミチ、俺はお前の洗濯屋としての腕を買ってる。その新入りにみっちり教えてやれ。死を目前にした人間の魂に寄り添い、遺された者たちの悲しみを癒す重要な仕事だ。手を抜くことは絶対に許されない――ってな」  そこに普段のゆるキャラ社長の姿はなかった。生を受けてから天に召されるまでの時間。長い者もいれば数日間しか生きられない者もいる。でも、魂は平等にある。傷つき、苦しみ、死への恐怖から逃れようと足掻く魂を安らかに輝かせる――それが洗濯屋だ。  仕事の重圧に悩んだこともある。クライエントとの接し方に躓き、自我を見失いそうになった時もある。でも、選ばれた洗濯屋であるというプライドを胸に幾度となく窮地を乗り越えてきた。そして……一度は手放してしまった最愛の魂をこの手に抱いて、この場所に戻ることが出来た。それは魂の洗濯屋であるミチにしか成しえなかったこと。ミチはグッと顔を上げ、営業スマイルとは違う、嘘偽りのない喜びの笑顔を浮かべた。 「はいっ。社長!」 「だから、今は社長って呼ぶなって言ってんだろっ」  毒づいたアズラエルだったが、ミチの今までにない明るい笑顔に満足したのか、派手に靴音を鳴らしてサリエルを追いかけた。サリエルもまた、足を止め肩越しにアズラエルの姿を見守っていた。その口元に笑みが浮かんでいたことをミチたちは見逃さなかった。  外界とエデンを分かつ扉が閉じられていく。サリエルとアズラエルを見送ったミチたちは、互いに顔を寄せ合って笑った。 「サリエル様もまんざらではないようだったな」 「あの様子じゃ、社長の方こそ遅刻するんじゃないの? なんだか負けるの悔しいから、絶対に時間厳守で出社しようっ」  そう言ったミチの唇を英慈の唇がそっと塞いだ。啄むだけの柔らかな口づけ。それが心地よくて、ミチはゆっくりと目を閉じた。 「せっかく遅刻することを容認してくれたんだ。四〇〇年ぶりのセックスって……俺、自分がどうなってしまうのか自信、ない」 「え?」 「――お前をメチャクチャにしてしまうかもしれない」 「英慈……」 「早く、俺の……俺だけのものにしたい。お前の全部が……欲しい」 「傲慢っ」 「何といわれてもかまわない。もう罪を犯すことに恐怖はない。お前と一緒なら……」  ミチの体がふわりと抱き上げられる。二人が向かう先は、エデンの中央にある『碧の洞窟』。そこは護り人以外足を踏み入れてはならない絶対的な聖域。伴侶としての誓いを交わした場所……。そして、このエデンに眠る魂を呼び覚ます愛を紡ぐ場所。  横抱きにされたミチは少し照れながら「下ろせ」と叫んだが、英慈の力強い腕に抱かれていることが何よりも心地よかった。忘れかけていた愛しさが溢れ出す。彼の気配、香り、息遣い……すべてがミチの体を反応させる。彼の首に両腕を絡めたミチは、耳元に顔を寄せると微かな声で囁いた。その言葉に、英慈の口元がふわりと綻ぶ。 「探してくれて、ありがとう」 「一緒に……どこまでも堕ちよう。この楽園で」  魂の声が果てのない空に向かって響いていく。その声も、もうすぐ穏やかなものへと変わる。長く待ちわびた転生への準備。閉じ込められていた扉が、今開かれようとしていた。  *****  水晶に囲まれた薄暗い洞窟。足元には清らかな水を湛える小川があり、わずかに差し込む光が水面に反射に壁面を青く染める。たっぷりとしたレースの天蓋がついたベッドは、四〇〇年の時を経ても朽ちることなく、美しい姿のまま鎮座していた。ここで幾度となく愛を確かめ合ったことを思い出すと、ミチは頬が熱くなるのを感じた。  人間界でいろんな男に抱かれた。しかし、どれだけ愛していても虚無感だけは拭えなかった。その理由は……彼ではなかったから。ミチの魂が求めていたのはこの世界で一人しか存在しない最愛の伴侶。記憶を失くし、男を受け入れた体も今はもうない。でも……ミチとして英慈と接した時間ははっきりと残っている。英慈もまた、同じだった。愛する者を失うも、それが本当の愛だったのかという疑念に囚われて生きてきた。それは、この世に二つとない真実の愛を知っていたから。  互いに求めていたものが、やっと一つになる。その悦びに体が震えた。  たっぷりとした白衣を脱いだ英慈がベッドに腰かける。小さく軋んだベッドの上で、ミチは開けたシャツを胸元で掻き合わせた。肩甲骨に浮かんだ翼を模したモチーフ。そこに唇を押し当てた英慈は、舌先でそれをなぞった。 「――ここではもう、封じておく必要はないだろ? お前の綺麗な翼を見せて」  低く掠れた声が洞窟に響く。誰にも聞かれることがないと分かっていても、ミチは羞恥に頬を染めた。チュッと音を立てて肌を吸われるたびに、ギュッと閉じたままの内腿に力が入ってしまう。英慈がそばにいるだけで兆してしまう浅ましい体。それを隠そうと、ミチは漏れてしまいそうになる声を堪えた。でも、その虚勢はほんの少しの間だけで、硬く噤んでいたはずの唇が解けてしまうと、絶え間なく漏れてしまう。 「あぁ……。英慈……っ」 「綺麗だよ、ミチ……」  シャツを脱がされながら、キスをくり返される。彼の大きな手がミチの細い腰に触れた時、ビクンと肩が跳ねた。後ろから抱きしめられるようにして、穿いていたスラックスのベルトも緩められたミチ。前が寛げられるのは時間の問題だった。拒むように体を強張らせたが、英慈の手はウェストの隙間からするりと入り込み、直接その場所に触れた。冷たさに肌が粟立つ。それなのに、兆した場所を優しく愛撫する彼の手に翻弄され、腰が前にせり出してきてしまう。 「いやぁ……。英慈……そこ、やだぁ」 「もう硬くなって濡れてる……。いつから?」 「し、知らないっ」 「嘘……。ミチの蜜の匂い……サリエル様たちも気づいていたんじゃないかな」 「えぇっ。そんなの……ありえない、よっ」  ミチは焦ったように言い訳するが、それが嘘であることは明白だった。英慈に抱きしめられた時、体は即座に反応していた。触れてもいないのにその場所が膨らみ、はしたなくも蜜を溢れさせていた。気づかれまいと思っていたが、やはり英慈の目は誤魔化せなかったようだ。 「甘い蜜に誘われる者は多い。でも……それを口にすることが出来るのは俺だけ」  英慈がまだ人間として生きていた時。彼のマンションで押し倒されたミチ。ミチの中に真路の姿を見た英慈に口淫された。彼の温かい口内で嬲られる自身の茎が、熱く硬くなっていくのを感じた。彼に触れられた場所が熱を持ち、甘い疼きとなってミチを苦しめた。直接的に与えられる快楽に抗えず、彼の口内に迸らせた精液。それを飲み込んで動く喉仏。薄闇の中で聞こえる彼の息遣いがやけに耳に残っていた。あんなに苦しい思いをするくらいなら、いっそ好きにならなければよかった。ミチが悪いわけでは決してない。しかし、澱のように心にわだかまった罪悪感だけは拭えなかった。天使と人間が一線を越えた夜。それを合図にすべてが動き出した。 「――何を考えている? もしかして、あの時のことか?」  図星をさされ黙り込んだミチの前に体を滑らせた英慈。上目づかいでミチを見つめながら上体を沈めていく。下着ごと引き下ろされたスラックスから、濡れた白い茎が跳ねるように飛び出した。ミチのそれは小ぶりではあるが、先端から蜜を溢れさせた姿は煽情的で、英慈を煽るのには十分だった。彼の喉仏が一度だけ大きく動いた。 「蜜が溢れそうだ……。舐めてもいい?」 「ん――っ」  ミチが答えの代わりに吐息するのと、英慈の口がそれを咥え込んだのはほぼ同時だった。あの時と同じ温かさがミチの茎を包み込む。だが、一つだけ違っていた。それはミチに誰の姿も重ねていないことだ。英慈は他の誰でもないミチを愛している。それは様子を窺うように細められた彼の目からも分かる。片時も目を離したくない。ミチのすべてを見ていたい……そう思わせるものだった。 「あぁ……はぁ、はぁ……。英慈……そこ、やっ。あぁ……っ」  先端を舌先で転がされ、激しく上下に揺すられる。そのたびに卑猥な水音が漏れ、ミチは脚を開いたままベッドに倒れ込んだ。顎を上向けると、喘ぎ声が止まらない。背筋を這い上がっていく甘い痺れが思考を曖昧にしていく。 「きも……ち、いいっ」  思わずそう口にして、英慈の髪に指を食い込ませる。押し付けるようにして、彼の喉奥まで咥えさせると、ミチは体中をゾワゾワと走る感覚に足の指をキュッと丸めた。内腿が細かに痙攣している。その間にはペニスを咥えた英慈の顔があった。 「ダメ……。それ以上、した……ら、イ……イッちゃ、う……からぁ」 「出して……。俺の口に出して……。あの時みたいに」 「やだ……。き、きたな……いっ」 「汚くなんてない。お前は綺麗だ……」  英慈の唇が動くたびに裏筋を刺激する。陰嚢が膨らみ、もう吐き出すことしか考えられなくなる。ミチは首を左右に振ってみたが、鈴口を舌先で抉られた瞬間、閉じていた瞼の裏側が真っ白になった。灼熱が理性を押し切って隘路を駆け上がっていく。そうなるともう止められない。 「あぁ……っ。で、出ちゃう……。イ、イクッ……イ、イッーーくぅ!」  ビクン。大きく腰が跳ねる。同時に大量の白濁が英慈の口内に吐き出されていた。彼の唇の端から飲みきれなかった白濁が流れ落ちる。それがミチの下生えを汚した時、初めて自身が達していたことに気づいた。気怠さと同時に猛烈な羞恥がミチを襲った。熱くなった頬を隠すように顔をそむけたミチに、英慈は口元を拭いながら言った。 「いい声……。もっと、もっといい声を聞かせて」 「バカ……っ」 「お前の声じゃないと、魂は目を覚まさない……。その声をエデンに響かせるのは俺の役目。他の誰でもない……俺なんだよ」  シーツに足を投げ出したミチは、恨めし気に英慈を見つめた。人間界に堕ちる前、ここで何度も抱き合った。護り人が交わるたびに生まれる愛によって、魂は転生することが出来る。人の輪廻を司るミチたちを咎める者はいない。なぜなら、それが魂の管理者ゆえの宿命だから。それなのに、あの時はなぜか疑念を抱いていた。自分たちがしていることは間違っているのではないか。こんなことをして一体、何になるというのだろう――と。その迷いが、心の揺らぎを作ったともいえよう。しかし、今は違う。神様から生を受けたのには、必ず理由がある。それを知ることが出来たのは、四〇〇年の間離れていたお陰だ。本当に望むもの、心から会いたい願う者、それにめぐり逢えた時の戸惑いと驚き、そして喜びはもう二度と経験することは出来ない。ミチは思った。自分たちが生を受けた理由――それは、互いを信じてめぐり逢うためだと。  体の脇に下していた手を伸ばし、英慈の方へと差し出す。その手を恭しくとった英慈は、濡れた唇をそっと押し当てた。 「四〇〇年分……愛して、くれますか?」  ミチの問いに「もちろん」と応え、英慈は彼の両足首を掴み大きく広げると、慎ましく色づいた後孔を顔を寄せた。英慈の吐息が敏感になった場所に触れ、ミチはピクンと体を震わせた。そして、彼の舌が硬い蕾を解すようにねっとり絡みついた。 「あぁっ」  この体になってから男を受け入れたことのないその場所は頑なで、少し慣らしただけでは英慈のモノを受け入れることは不可能だった。先ほどから英慈の下着の中央を押し上げているモノは、見ただけで重量感がある。生地を引き延ばし、うっすらと見えるその形も立派だ。あの時とは、互いに体が変わっている。ミチは真路に近く、英慈も人間だった時の体躯と変わらない。真路も英慈も生前、体を繋げていない。何もかもが初めての経験となる今回、ミチは破瓜の痛みを思い出して不安になった。そんなミチの気持ちに気づいたのか、英慈はたっぷりと唾液をまぶした舌先を蕾に捻じ込みながら言った。 「絶対に傷つけない。安心して、俺に委ねればいい」 「英慈……」 「こうやって、もう一度初夜を体験できるとは思っていなかったよ。なんだか……新鮮で、ミチへの愛しさが止まらない」 「俺だって……。不安だけど、英慈に愛されてるって思うだけで……あぁ、また勃ってきちゃった」  英慈の舌がミチの蕾を抉るたびに、力なく萎んでいたペニスが頭を上げていく。ピクンと先端が跳ねると蜜がミチの白い腹に零れ、淡く色づいた蕾がヒクヒクと震えた。薄い粘膜が広がったタイミングを見計らい、英慈は中に舌を滑り込ませる。ピチャッと小さな水音がして、ミチは腰を揺らした。 「あぁ……。気持ち、いい……。ムズムズする……はぁ、はぁっ」 「柔らかくなってきたぞ」  英慈の手がすっかり力を蓄えたミチのペニスに伸びた。手で包み込むと上下に扱き上げる。前と後ろを同時に攻められて、ミチは溜まらず声を上げて腰を捩った。 「あぁ――っ、ん!」  指に纏わりついた蜜を蕾に塗り付けた英慈は、再び舌を使って丹念に解していった。桜色だった蕾が柘榴の色へと変わっていく。彼の指が挿入され、ミチのいい場所を掠めるたびに腰が跳ねた。その指が一本、二本……と増やされ、三本目を難なく咥え込んだ時、英慈の指先が中の突起をこすり上げた。その瞬間、目の前に無数の光が飛び、ミチは顎を上向けて濡れた声を上げていた。 「あぁ――っ。そこ、だめぇ――っ。イ、イクッ! んあぁぁぁぁっ!」  洞窟の空気が揺れた。ミチの声がエデンに響き渡る。すると、それまで落ち着きなく騒いでいた魂たちが急に静まり返った。 「ミチのいいところ、見つけた。――もう指じゃ、ガマン出来ないのか」 「ちが……っ。違う……」 「何が違う? ほら、お腹を精液で汚して……ベトベトだ」  ミチの白い腹に精液を塗り広げるかのように英慈の手が動く。その手が胸の突起を掠め、また腰がピクンと跳ねた。触れる場所が熱くてたまらない。その熱が体中に広がって、炎のように勢いを増していく。 (早くひとつになりたい……)  ミチの中で生まれた願いは、英慈の野性的な瞳に光を湛えさせた。無駄なものがなく引き締まった体躯。その体がのそりと起き上がり、ミチの後孔内で広げられていた三本の指が一気に引き抜かれる。 「ひぃっ」  スルリと抜けるかと思えば、入口の薄い粘膜を引っかけていったせいで、彼の節のある指の感触をまざまざと知らされた。それもまた、微かな痛みが甘い痺れにすり替わり、ミチの体に油を注いだ。 「あぁっ。英慈……。来て……。お願いっ」 「まだ解さないと傷つけるぞ?」 「もう……だいじょ、ぶ……だからっ。早く……英慈のもの、に……して」  体内で渦巻いている熱を何とかしてほしい。一度や二度吐き出しただけじゃ、まだ足りない。一度火が入ってしまったミチの体は、英慈を求めてやまなかった。狂おしいほどに彼を求め、この体内に彼の種を受け入れたい。まるで発情した雌犬だと思われても仕方ない。でも――それが護り人の仕事なのだ。  ミチの腰が自然と揺れる。まるで英慈を誘っているかのように艶めかしい。精液と蜜、そして彼の唾液で濡れた下肢が青い光を浴びてぬらぬらと光っている。その光景は何ともいやらしく、さすがの英慈もこれ以上堪えるのは難しかった。眉間に深く皺を刻んだまま、必死に何かを耐えている英慈に、ミチはシーツの上で体をくねらせて見せた。 「我慢……するの、やめたら?」 「え?」 「そういわないと、英慈のストッパー外れそうにないから……さ」 「ミチ……」 「俺も……ずっと英慈に抱かれたいって思ってた。この天界を追放されてもいい……英慈と繋がりたいって、思ってた。――ホント、人間だった時と変わらない。素直になればいいじゃん。そうすれば楽になれるって分かってるクセに」  ミチは溢れてくる涙を止めることが出来なかった。それを乱暴に手で拭って、無理やり笑って見せる。 「俺も苦しかったから……。どうして素直になれなかったんだろうって……。たった一言「好きだ」って言うことが出来たら、どんなに楽になれただろうって思うよ。もう、後ろめたいことはない。隠すこともない。だから……俺は素直に言うよ」  勢いよく体を起こしたミチは、呆然としている英慈を押し倒して、その体を跨いだ。下着の生地を盛り上げている彼の分身に自身の後孔を押しあてると、その熱さに吐息した。そして、英慈を真上から見下ろすと、舌先を覗かせて言った。 「誰かのためにセックスするんじゃない。もう、誰かを庇う必要もない。この想いは何百年経っても変わらない。それを証明するために……この体を穢してくれ。お前だけが出来る……お前しか出来ないんだよっ」 「ミチ……。お前っ」  ミチの双丘の狭間でドクンと英慈のペニスが脈打った。その刺激で、ミチの体に電気のようなものが走った。 「あぁ……。早く……繋がりたい。も……我慢、できな……いっ」  天使でも快楽には誰しも貪欲になる。ミチはそれまで抑えていた性欲が嘘だったかのように、甲高い声を上げた。英慈の手が自身の下着のウェストにかかる。それを一気に引き下ろすと、猛った先端がミチの蕾をノックした。英慈のペニスもたっぷりとした蜜で濡れ、挿入するにはもう十分すぎるほど整っていた。ミチがわずかに腰を浮かせ、柔らかくなった蕾に先端を押し当てると、自重に任せて体を落とした。 「ん……っは! あぁ……広がって、く。英慈の……が、俺の中に……入ってくるっ」 「ミチ、息をしろっ」 「くるし……っ。内臓、圧し潰されるっ」  ミシミシと音がしそうなほど割り広げられた薄い粘膜が、英慈の太い茎を呑み込んでいく。女性の手首ほどの太さのモノが無垢だった未開の場所を淫らに開き、聖なる場所を穢していく。ゆっくりと腰を下ろしていくと、最奥の壁にぶつかる。しかし、英慈のペニスはまだすべて収まっていない。ミチは、薄い唇を悔しそうに噛みしめると、その先にある場所禁断の場所まで彼を誘うべく、腰を揺らしながら体を沈めた。 「ミチ……やめろ。お前の奥……ダメだ」 「誰も……足を踏み入れてない場所。俺のエデンに……お前だけを迎え入れるっ。んぁ――っ! キツ……いっ」 「やめっ。あぁ……動く、なっ。はぁ、はぁ……ダメだっ。ケガをするっ」 「したってかまわない! だって、俺……天使だよ?」  S字結腸の入口を英慈の張り出したカリが開いていく。そこに到達した瞬間、ミチは嬌声を上げて絶頂した。英慈の腹を汚した精液は、量は少ないものの甘い蜜の香りがした。ぐったりと力なく倒れ込んだミチを支えた英慈は、隙間なく咥え込んでいる自身のペニスをゆるゆると動かし始めた。グチュグチュと音が漏れ始め、ミチも薄らと目を開ける。そして、耐えまなく与えられる快感に喘ぎ、全身を痙攣させて射精を伴わない絶頂で何度も気を失った。  ミチの声が響くたびに、それまで眠ってた魂が動き出すのを感じた英慈は、彼の耳元で優しく囁いた。 「ミチ……。魂たちが目を覚ましたよ」 「ん……。ふぇ? でも……もっと、って……言ってる」 「本当か?」 「言ってる……」  淡褐色のミチの目が金色に輝き始める。英慈と繋がったまま上体を起こしたミチは、背中にある翼を広げた。それは以前とは比べ物にならないほど大きく優雅で、美しいものだった。英慈が下で腰を突き上げるたびに、ミチの体が揺れ、数えきれないほどの羽が舞い落ちる。ミチの力がエデンを動かしている。そして英慈もまた、野性的な瞳を金色に輝かせながら体を起こした。互いに繋がったまま、ミチと向かい合うような形で見つめ合う。涙で潤んだ瞳の輝きに魅了され、英慈もまた自身の翼を大きく広げた。  無数の羽が舞い散る中、二人は何度も口づけを交わした。天使のセックスは、両者が翼を広げた状態で交わることが最良とされている。中には翼を閉じたままで行う者もいるが、それでは自然から発生する力を得ることが出来ないと言われている。今、ミチと英慈はその力をエデンに還元している。美しい世界を取り戻し、魂を目覚めさせる。目覚めた魂はサリエルが統括する管理部で転生手続きを行い、人間界へと旅立っていく。四〇〇年分んの魂を一度に送り出すことは不可能だが、もう迷うことも立ち止まることもない。 「あぁ……英慈っ。きもち、いい……っ。もっと……突いてっ」 「ミチ……。いやらしい顔してる」 「んふ……っ。お前だって……あぁ! いきなり……んぁぁ、突き上げるなっ。ダメ……また、イッちゃうからぁっ」 「何度でもイケよ。そして、ここを……俺たちの楽園を、あの時の姿に……戻そうっ」 「う、ん――っ」  英慈の息遣いがより荒くなる。そろそろ限界が近づいているようだ。しかし、これで終わりではない。何度も愛を確かめ合い、伴侶にその精を注ぎ込むことで独占欲の証となる。 「ミチ……そろそろ、イキそうだ……っ」 「出してっ。いっぱい出して……。俺の腹の中に……お前の精子、ちょうだいっ」  奥深く沈められた場所で英慈の茎がひと際大きく膨らんだ。ミチの中にある無数の襞が蠢動し、離すまいと締め付ける。英慈の突き上げの速度が増し、ミチの中を激しく擦り上げた時、ドクンと大きく脈打った。 「んあぁ……っぐ。あぁ――っ」 「イク、イク、イク――ッ!」  ミチの中に灼熱の奔流が迸り、最奥の壁を濡らした。英慈のそれは吐精するたびに脈打ち、ミチの敏感なところを刺激した。えもいえぬ快感の嵐に巻き込まれ、断続的に絶頂を迎えているミチの理性は粉々になっていた。互いに抱き合ったまま荒い呼吸を整える。吐き出してもなお力が衰えない英慈のペニスが、ミチの甘い香りに触れ再び膨らんでいく。押し出された精液が結合部から溢れ出し、英慈の下生えを汚した。 「ミチ……。愛してる。何度言っても足りないっ」  鼓膜をくすぐる心地よい声に、薄らと笑みを浮かべたミチは、再び訪れるであろう快楽の嵐の中に、自ら身を投じた。  *****  透き通るような青い世界――。  マリンパークの大水槽の前でキスを交わしたカップルは、永遠に離れることはないというジンクス。あの時は、出来る事なら信じたいと思った。でも、今なら……信じられる。  ミチが流した涙のわけ。そして、英慈がミチの中に見つけた真路の姿。すべてが重なったとき、楽園の扉は開かれた。  眩いほどの青に包まれた二人の影が一つになる。聖なる碧の洞窟。互いに誓った永遠の愛は、絶対に壊れることはない。昔も……今も。  エデンに、粉雪のごとく舞う金色の粒子。護り人の帰還に安堵し、歓喜する魂がミチの声に誘われる。安らぎと絆、そして溢れるほどの愛を託され、人間界への門をくぐる。たとえ、つらく悲しい現実が待ち受けていようとも、再びこの安住の地に戻れることを願って……。 「いってらっしゃい……」  柔らかなミチの声が響く。それは、聖堂の鐘のように空間を震わせる。 「再会を願って……」  英慈の願いは、愛した人と再びめぐり逢えますようにと心を込めて……。  互いに伸ばした手はもう、離れることはない。魂がある限り何度でもめぐり逢い、愛しあうことが出来るから。

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