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第3話
ふわふわと宙に浮いて進む優月と連れ立って、俺はホテルのフロントの前を通る。
こんな時間から外出だなんてと言いたげな顔を一瞬見せたが、何も言わずに見送ってくれた。
内心では怪しい奴だと思っていることだろう。
そのうえ、実際に俺の隣に幽霊がいるなんて知ったら、腰を抜かすかもしれない。
優月の家は本当にホテルのすぐ後ろだった。
古めかしい造りで瓦の上には鍾馗が祀ってある。
犬矢来がいかにも京都の町屋らしい。
俺は優月に連れられ脇の細道を入っていく。
こんな時間、不法侵入で職務質問にならないかとちょっと心配だ。
「商売やってるのか」
家の造りから見当をつけて聞いてみる。
「いえ、やってた、です。おじいちゃんが死んでから店は閉じました」
「なにやってたんだ」
「べっ甲職人でした」
「へえ」
今どき珍しい。
俺も商売でべっ甲を取り扱うことがある。希少性もあってかなり高価だ。
「だんだん原材料が手に入らなくなって先細りしてきて、どうにも立ち行かなくなって……後継者もいないし」
暗闇の中すこし落ち込んだ声が届く。
「僕が継いでもよかったんだけど、おじいちゃんは『そんな時代じゃない。学問を身に着けろ』っていつも言ってて、だから僕、大学受験がんばろうって……」
そうして夜遅くまで勉強をしていたらなんらかの要因で幽霊になってしまったらしい。不憫だ。
「裏口から入りますね」
優月は扉の前に立って俺を見る。
身一つの姿で、霊体で、鍵を持っているとは思えなかった。
「鍵はあるのか。お前はすり抜けられるだろうが、俺は無理だぞ」
「大丈夫です。その棚の一番下の引き出しに予備の鍵が入ってます。それを使ってください」
実体のない自分には扉を開けられないからと、幽霊の視線が棚を指し示す。
裏口脇に据え付けられている薄汚く古そうな三段の戸棚。工具などが入っている引き出しを俺はガサガサと漁った。
茶封筒に入った鍵を見つけ出す。
こんなところ誰かに見られたら、マジで泥棒扱いだ。勘弁してくれよ。
「よっと、これか」
俺は鍵を使って店舗の裏口を開けた。
声を潜めて聞く。
「優月。お前の家族は?」
「母屋のほうでみんな寝てます。大丈夫です」
うなぎの寝床のその奥はまだまだ繋がっているらしい。
「こっちは誰もいないのか」
「店舗にしてたとこだから。今は僕が一人で受験勉強に使わせてもらってます。邪魔が入らなくて静かだし」
それは思いのほか好都合な気がする。
俺は内心でほくそ笑んだ。
こいつが本当に生き霊だったとして、うまく元に戻れれば、俺にはうさぎちゃんを食べるチャンスがある訳だ。
「どうぞこちらへ」
いざなわれて、俺は一歩を踏み出した。
ん、なんだこの微かな匂いは。
一瞬匂い袋を想像したが、そこまで強烈ではないと首をひねる。
京都は寺が多いから意外なところから線香の匂いがするものだ。
古い木造の家には独特の匂いがついていたりするが、きっとそういった類のものだろう。
暗い台所を抜ける。
優月が使っているという部屋の電気はついたままだった。なるほど、勉強中に寝落ちしたというのは本当らしい。
奥の窓際の机でうずくまったような人影。それが優月の本体だった。
俺はコートを脱ぐと、なんとなくそろりそろりと机に近寄った。
多少緊張をしつつ、とりあえず肩に触って揺り起こしてみる。
反応はない。しかし体温はあるようだ。
死んでからもしばらくは温かいだろうから何とも言えないが、多分こいつは生きている。
俺は優月に確認して布団を引っ張り出すと、本体を抱えて運んだ。
真っすぐに寝かせる。
優月本体はおとなしく俺の要望にそって寝付いた。当たり前だが抗いはない。
死後硬直もないようだ。
「そっくりだな」
見比べる俺の視線を感じて優月は何を言ってるんですかとかわいく膨れた。
「当たり前ですよ。僕と僕なんですから」
おっしゃる通り。
「とりあえずお前、こいつの上に重なって寝てみろ」
「はい」
従順な返事が返ってくる。
ふわふわと動いて、そして俺の見ている前で、優月幽霊は優月本体と重なりあった。
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