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第4話
マンガで見るようなシュールな光景が目の前で展開されている。
薄い色に透けている霊魂が実体に溶け込んでいく。
それは上手いことにぴったり隙もなく重なり合った。
精緻な科学の実験みたいだ。
「どうだ」
「はい。あのぉ、確かにちゃんと重なってるんですけどスカスカするというかなんというか」
優月は本体の上で身を起こすと心細げに俺を見る。
起き上がった上半身と寝ている上半身とが完全に分離している。
さらにシュールな光景だった。
「うまく身体に戻れないみたいです」
優月の報告に俺は頷いた。
そんな簡単な話じゃなかったよな。それにこんなことは優月本人もやっていただろうし。
これはかなり厄介だ。
「救急車呼ぶか」
そうそうにお手上げになって打開案を提示するが優月の反応は思わしくない。
「それはまだ……」
見るからに怖気づいていた。
「救急隊員に僕のことが見える人がいなかったら、そのまま死んだことにされちゃいそうで怖いんです」
確かに今のところ見えるのは俺だけだからな。
「それにしても、お前こんなになるなんていったいなにしたんだよ」
「なにもしてないですよ」
「なんか原因があるはずだろ。今日なんか変わったことなかったか」
事態の打開には原因を探る必要があると思う。
俺の追及に優月は小首をかしげた。
こうして見ていると本当にこいつはかわいらしい。
今どき珍しい純朴な雰囲気は俺の好みだ。
「今日は僕の誕生日で、みんなにいろいろお祝いしてもらって、とても楽しい一日でしたよ」
「誕生日?お前いくつになったんだ?」
「18です」
ふーん。じゃあ犯っちまっても淫行にはならないか。
俺は心の中で口笛を吹く。
「めでたいな」
「ありがとうございます」
いや、純粋にそういう意味で言ったのではないのだが、都合よく解釈してくれてよかった。
俺は胸の内でいやらしくほくそ笑む。
同意のうえの行為なら犯罪にもならない年齢だしな。
「ちょっとそこからどいてろ」
「はい」
命令に、するすると優月は宙に浮かび上がる。
俺は本体の横に座り、唇に耳を寄せてみた。
微かに息をしているような気もするが確証はない。
続いて胸に手のひらをあててみる。
普通なら呼吸に合わせて上下するもんだと思うのだが、こちらもあまりはっきりしなかった。
だがぬくもりはある。
仮死状態というのが正しい表現かもしれない。
「お前の言うとおり死んではいないみたいだな」
だがこのままの状態でいい訳がなかった。
さて次はどうするか……。
俺は優月幽霊を見上げる。
「呼吸止まってんのかな。なら強硬策だな」
俺の眼に嫌なものを感じたのか優月はハッとなった。
構わず、寝ている顔の上に覆いかぶさる。
「なにする気なんですか」
「マウストゥマウスだ。蘇生術の基本じゃないか」
「ええっ。でも……僕ファーストキスもまだなのに」
恥ずかしそうで悲痛な顔で訴えてきた。
やっぱりそうなのか。初物か。俺の中でスケベ心がむくむくと沸き上がる。
ラッキー。
ファーストキス、俺が戴いちまおう。
「かわいそうだが緊急事態だ」
もっともらしいシリアスな顔で俺は優月の上に再び顔を差し出した。
眼を閉じたままの優月本体は綺麗な顔をしている。
あどけない魅力に俺はやられそうだった。
参ったな。本気になっちまったらどうしよう。
年甲斐もなく妙にドキドキしながら俺は距離を縮めた。
柔らかい唇がなんの抵抗もなく俺を迎え入れる。
あ、なんかしっくりくる感じ。
いいフィーリングだ。
緊急救命はならったことがあるので実際に息を吹き込んでみた。
優月の頭を少し逸らせ顎を上げさせる。鼻をつまむ。口から息を吹き込む。変化はないか様子を見る。胸部の真ん中に真上から両手を当てる。30秒ほどかけて何回も胸骨を押す。あきらめずまた空気を注ぎ込む。
それらの行為をリズムよく何度も繰り返す。
胸骨圧迫はけっこう強い力が必要なので、ほんの2,3分でも真剣にやると汗が出て来るくらいの行動なのだ。
しばらく真剣になって救命を続けたが、本体は真っすぐ身体を伸ばしてピクリともしない。
「ダメだな、反応がない」
「そうですか」
がっかりした声が頭上から落ちて来た。
また泣き出しそうな悲壮な気配。
「落ち着かないからここに来て座れよ」
「一生懸命やってくれたのにすいません」
しょんぼり。
俺の横にちょこんと座り俯いている。
優月が悪い訳じゃないのにな。
無意識に俺は優月の肩に励ましの手をかけていた。だがスルッとすり抜けてしまう。
ああ、そうだ。お前幽霊だったな。
調子狂うな。
俺は思案しながら目元を軽くもんだ。
「落ち込むなよ。前向きに考えろ」
「はい。そうですね」
「案外、明日の朝になったら勝手に元に戻ってスッキリ目覚めたりしてな」
「そうだといいんですけど」
楽観的過ぎる見解を聞いても、優月は同意する気にはなれないらしく、眼に涙を貯めている。
「優月、大丈夫か」
「はい」
健気に言って、白い指先で眼元をぬぐった。
俺のほうを振り仰ぐ。
「湯橿さんに迷惑かけちゃってごめんなさい。ありがとうございます」
自分のことどころか俺に遠慮して感謝すらしている。心根の優しい、思いやりのあるタイプらしかった。
畜生。
なんてかわいいんだ。
抱きしめてやりたいぜ。
「いいんだよ。俺はたいした事してる訳じゃない」
俺の邪念にはまったく気づかず、優月は悲しい色の瞳で自分の本体を見つめている。
「もっといっぱいやりたいことあったのにな……」
すでに諦めたような悲観的な言葉と口調とに、さすがに胸をつかれた。
優月は不安でたまらないのだ。
そりゃあ死んじまうかどうかの瀬戸際なんだから絶望的な気持ちになるのも無理はないよな。
心細さに寄り添おうと、らしくもなく俺は優しく言っていた。
「きっと大丈夫だ。なんとかなる。もうちょっと頑張ってみよう。元気だせ」
「はい」
きっと戻れる。そう信じて優月は唇を噛むと俺に頷いて見せる。
そして努力して口角をあげた。
切なくて健気な微笑。
あ、やばい。
俺はその顔を見てごくりと唾を飲んでいた。
スイッチが入った感じだ。
つまり、その、なんだ。
俺の欲望スイッチだ。
なにかを耐えてる感じの顔が、なんつーか俺には溜まらないのだ。
しかもそれが俺好みの若い男となると余計だった。
相手を組み敷いて煽ってる時、イきたいのにイかせないという駆け引きの時、そういう時の相手の紅潮した頬とか、まぶたとか、涙とか……。優月の不安を堪える切ない表情はそういうものを想起させた。
食っちまいたい。
唐突に凶悪な気分になって俺は息を飲み込む。
それから舌で唇を潤した。
「湯橿さん…?」
俺の目の前では依然、食ってくださいと言わんばかりの無防備さで、優月本体がおとなしく眠っているのだった。
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