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両片想い5

☆∮。・。・★。・。☆・∮。・★・。  イったばかりのブツをスラックスから出したままという、あられもない姿で慌てふためきながら、バスルームに逃げ込んだ。勢いよく扉を閉めて鍵をかける。  中途半端に絶頂を迎えたせいで、躰の奥に熱がこもっていた。アイツの大きくなったモノを挿入する部分が無駄にヒクついて、物足りなさをこれでもかとアピールする。  好きな相手に抱かれる悦びを知ってから、無意識に壮馬を求めてしまった。さらなる快感を得ようと、何度想いを告げそうになったか。 (好きだと告げたら、間違いなくふたりそろって、奈落の落とし穴に向かってしまうだろ。壮馬は生粋の坊ちゃん育ちで、会社の後継者になる身分。落ちるなら俺ひとりで十分なんだ)  不幸を伴う苦労を、壮馬にさせたくない。自分が一度味わっているそれを、何としてでも防いであげなければ。 【壮馬は私たちの宝物です。これまで大切に育ててきました。あまりに大切にしすぎたせいで、少々ワガママなところはありますが白鷺先生、よろしくお願いしますね】  不意に頭の中に流れてきた、壮馬のご両親のセリフ。父親に見捨てられた俺と違い、壮馬は親にとても愛されながら育てられている。だからこそ、この関係を崩すようなことがあってはならない。  俺のせいで、アイツに不幸を背負わせては駄目なんだ。  心に燻る壮馬への気持ちは、無言を貫いてなきものにした。ただ強請られたときだけ、心の奥底に秘めている想いを告げる。それくらいは許されるであろう。 「ルームサービスで頼んだ赤ワインよりも、鉄平の顔のほうが赤いのはどうして?」  バスルームでシャワーを浴び終えた俺にかけられた、開口一番の言葉。テーブルに用意されている果物やツマミを食べながらワインを飲んでいた恋人は、すでにできあがっているように見えた。 「シャワーを浴びたからだ。お前、ハイペースで飲んでるだろ」 「なぁ、一度聞いてみたかったんだけど……」  目に映る現状を眉根を寄せながら指摘したせいか、壮馬にえらく低い声で訊ねられた。 「なんだ?」 「ヤってる最中、名前で呼ばれるのと課長って呼ばれるの、どっちがいいのかなぁってさ」 「課長に決まってるだろ。名前呼びは、あまりしてほしくない」  本音は名前で呼ばれたほうが嬉しいのに、それが言えないのがつらい。 「だったら先生は?」 「ありよりのあり」  ややふざけ気味に返しながら壮馬の向かい側の席に腰かけ、空いてるグラスにワインを注いだ。 「そうなんだ。教え子に襲われるって、興奮しながら感じたいんだ?」 「お前なら、そういうプレイが好きだろうなと思った。ただそれだけ」  グラスの中でワインを回してから、喉を潤す程度に流し込む。赤ワインの酸味と渋みが、ちょうどいいバランスに感じられた。 「課長は何をしても、サマになるからいいよな。俺が同じことしても、ぜーんぜん格好よく決まらない」  俺の真似をして、同じようにグラスの中にあるワインを回してみせる壮馬。揺らし方が不安定なせいで、子どもがふざけてやっているような感じに見えた。 「無理して、格好つけようとするからだろ。しかも俺の手元をよく見ないでやるから、そんな雑な動きになるんだ」  くすくす笑いながら腰をあげて壮馬の手を取り、グラスを一緒に揺らしてやった。 「だってしょうがないだろ。課長の顔とか指先に、どうしても目がいくし」 「そうか……。でもそれじゃあいつまで経っても、覚えられないだろ」  触れていた手をそそくさと退けた瞬間、手首を掴まれた。触れられた皮膚から感じる壮馬の熱。シャワーを浴びたあとだというのに、熱くてどうにかなってしまいそうなものだった。 「課長から教わったことは忘れない。だけど俺に教えることがなくなったら、どこかに行ってしまうんじゃないかって、心配になるときがある」 「そんなこ、と」 「せっかく同じ会社に入って、一緒にいられる時間が増えたのに、やけによそよそしいし、相変わらず目を合わせてくれないよな。たまにくっついてくれることもあるけど、なんつーか見えない線みたいのを引かれてる気がする」  壮馬の長い文句を聞きながら、グラスに入ってるワインを煽るように飲み干した。 「俺たちの関係、ほかの社員にバレたら困るだろ」  掴まれたままでいる手首に、そっと視線を落とした。こうして触れられることも、実はとても嬉しい出来事のひとつになる。  今みたいに壮馬の傍にいられる幸せを感じて、会社だというのに妙にはしゃいだりウキウキしてしまうことがあった。あれはそう――お客さまのお茶出しに困った、大きな背中を見たときだ。  お茶を持ってこない壮馬に焦れて、新入社員の女の子を呼び寄せ、お客様の相手をしてもらった。  何やってるんだと思いつつ給湯室の扉を開けたら、小さな声で文句を言い続けながら、大量の茶っ葉を急須に入れるタイミングに遭遇した。  目の前にある大きな背中からシンクを覗いてみると、一度お茶を淹れたらしい形跡を発見。きちんと自分で飲んで確かめたからこそ、この茶っ葉の量らしい。それにしても正直なところ、ものすごい量だ……。 (ここはしっかり者の恋人を、褒めなければならない場面だろうが、お客様を待たせているので減点しなければ!) 「坊ちゃん、俺の商談を壊すために、渋いお茶を淹れようとしてるだろ」  適度に厚みのある肩に顎をのせながら、耳元でぼやいてやった。 『せっ……。こんなところで油売ってて、大丈夫なのかよ?』  先生呼びが日常化しているせいで、すぐに課長とは呼べないか。 「お前と一緒に入社した女子社員と、和やかに談笑中だ。俺よりも若い女の子のほうが、向こうさんも嬉しいだろうさ」  壮馬の脇から両腕を伸ばし、急須に入れたばかりの茶っ葉を、シンクの中に勢いよく捨てる。もったいないが致し方ない。 『ちょっ、せっかく入れたのに!』  ふたたび文句を言い出す壮馬を尻目に、適量の茶っ葉を急須の中に手早く投入してみせた。 「やったことのない仕事は誰かに訊ねるなり、ググって調べたりして、少しでも完璧にこなす努力をしろ」  シャープなラインを描いた頬の柔らかい部分に、唇を押しつける。ぐずる壮馬を宥めるには、これが一番なんだ。 『課長……』  もの欲しげな視線が、俺の心をここぞとばかりにくすぐった。  本当はこんなふうに肩に顎をのせて密着したり、頬にキスしたりするなんて危険な行為は、会社でしちゃいけない。だけど一緒にいられるという嬉しさのせいで、自然と壮馬を求めてしまう。 (できることなら呼吸が乱れるキスを、今ここでかわしたい。ここが会社じゃなくふたりきりなら、絶対拒まずに流されているというのに――) 「先方を待たせてるんだ。早めに用意してくれ」  まぶたを伏せながら、近づいてくる顔に向かって言い放つ俺のひとことは、とても冷たいものになってしまった。上司としては間違いない命令をしただろうが、恋人としては最低だ。 『はい、わかりました』  寸止めされた壮馬の気持ちが痛いほどわかるだけに、二の句が継げにくい。 「お前が淹れたはじめてのお茶、期待してるからな」  無理やり笑顔を作って言うなり、逃げるように給湯室から飛び出す。廊下に出て顔を俯かせながら、胸元をぎゅっと押さえた。 「白鷺課長、大丈夫ですか?」  聞き覚えのある女性の声は、隣の課にいる最近入社したばかりの派遣社員だった。自分をアピールしたいのか、何かあってもなくても、向こうから積極的に何度も声をかけられているので、その姿を見なくても誰かわかってしまう。  ここのところは特に壮馬についての質問が多く、玉の輿に乗る気が見え見えなので、笑顔を交えながら嘘八百なことばかりを並べ立てていた。  まさかその現場を壮馬本人に見られるとは、思いもしなかった。 「坊ちゃんの誤解を解きたい」 「何だよ、いきなり」  不機嫌な感情を表す声を聞きながら、自分の手首を掴んでいる壮馬の手の甲を、反対の手ですりりと撫でてやった。 「確かに隣の課の女性には、よく話しかけられた。その理由は新入社員のお前に、一番深くかかわっている上司だからだ」 「イケメンで仕事のできる、白鷺課長を狙ったんじゃなく?」 「ああ。会社の次期社長候補であるお前の情報を仕入れるために、俺に接触してるってところさ」 「ケッ! くだらない。そんなもん、さっさとあしらえばいいだろ」  掴んでいる俺の手首を放そうと力が緩んだのがわかったので、甲を撫でていた手で壮馬の手をぎゅっと握りしめた。 「可愛い部下に変な虫がつかないようにするのも、上司の役目だろ」  俺に手を捕まれて自由を奪われても、抗うことなくそのままでいてくれる。こういう素直なところも、大好きだった。

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