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両片想い6
「その言い方、色気がねぇな。そこは上司じゃなく、恋人にしてほしかった」
顔を俯かせて見えないようにしているのは、頬の赤みを見せないようにしているためだろうか? そんなことをしても、見下ろす形で目の前に立ってる俺からは、壮馬の顔は見放題だというのに。
「とりあえず、適当な嘘ばかり教えておいた。彼女に激辛ラーメンを食べに行こうと誘われたら、思いっきり不機嫌丸出しの顔で断ってくれると、俺の苦労が報われるんだが」
「課長がそんな意地悪なことをしてるなんて、全然思わなかった。俺ってば実は、ものすごく愛されちゃってる感じ?」
首をもたげたまま、視線だけ上げて俺を見つめる。窺うように投げかけてくるそれに『そうだ』と答えたいけれど、コイツのために俺は自分の気持ちを伝えられない。
「さあな……」
言いながら壮馬の手を解放してやる。そのタイミングで掴んでいた俺の手首を放し、テーブルに置かれたグラスを持つ。
「答えがわかってるのに、どうして同じことを聞いちゃうんだろ……。バカみたいだ」
どこか泣きだしそうな壮馬の微笑を前にして、秘めた想いが喉元まで出かかる。それを止めるために、口元を引き締めながら壮馬の手からグラスを奪い、中身を半分だけ口に含んで、グラスをテーブルに置いた。
「課長、自分のワインがなくなったからって、俺のをとることないだろ。空いたグラスに注いで、好きなだけ飲めばいいのに」
顔を上げて、射るようなまなざしで俺を睨みつける壮馬の顔を、両手でやんわりと包み込み、唇をきっちり重ねて、ワインをゆっくり流し込んでやった。
「んっ……、んんっ」
「こんなふうに飲むのも、結構美味しいだろ」
流し終えてから一旦唇を外し、顔の角度を変えて触れるだけのキスをした。俺としてはこのままベッドに移動したいと思ったのに、壮馬は自ら顔を退かせて唇を離した。
「課長から積極的になるときって、いつも何かあるよな」
「そうか? たまにはいいかと思っただけなんだが」
「俺に言えないような、隠し事をしてるだろ?」
(付き合いが長い分だけ、ちょっとした癖や表情ひとつで、考えていることが何となくわかってしまう。それは俺だけじゃなく、壮馬も同じなんだな)
「……隠し事というほどのものじゃない。もう終わった話なんだ」
「終わった話?」
オウム返しをした壮馬の声は、いつもより低いものになった。そのせいで、余計に話がしにくくなる。
「仕事中に社長に呼ばれた。壮馬が見かけた、隣の課の女性に話しかけられたあの日だ。いきなり見合いを勧められた」
「なんで親父が課長に、そんなもん勧めるんだよ!」
「役職に就いてる以上、身を固めたほうが仕事にもやりがいが出るだろうって、社長なりの思いやりなんだと思う」
「そんなの……」
「俺には必要のない話だろ。丁重にお断りした」
「どうしてそのこと、今まで黙っていたんだよ?」
壮馬はどこか必死な形相で、俺が着ているバスローブの袖を引っ張った。
「断った時点で、この話はなかったことになったからだ。結婚する相手は自分で見つけたいと付け加えておいたから、同じ話はされないだろう」
壮馬は理路整然に並べ立てた俺のセリフを聞き、掴んでいたバスローブから手を放すなり、面白くなさそうな表情で椅子から立ち上がった。
「壮馬?」
「シャワー浴びて頭冷やしてくる。ここに連れて来たときみたいにイライラしてたら、課長の嫌なことをしそうだから!」
着ていた上着を座っていた椅子に放り投げて、俺の視界から逃げるようにバスルームに向かう大きな背中を、黙って見送るしかできない。
できることなら見合いの話を、壮馬に聞かせたくはなかった。だけど、それ以上に知られたくなかったことは死守できた。見合いを断ったあとに告げられた、社長の言葉――それは俺の心を、うんと暗く沈ませるものだった。
『壮馬も白鷺課長くらいの年齢になったら、見合いをさせようかと考えているんだ。あの子に似合う女性が、いるといいんだけど……』
親なら、子どもの幸せを願うのは当然のこと。見合いをさせてしっかり身を固め、結婚後の仲睦まじい姿を見たいんだろう。それだけじゃなく、そこから孫の存在も一緒に想像しているのかもしれない。
「俺くらいの年齢になった壮馬くんは、今よりもずっと頼もしくなっているでしょうし、素敵な男性になっていると思います。見合いをする前に、綺麗な女性を射止めているかもしれませんね」
淀みなく語った俺のあのときの顔は、どんな表情をしていたのかさっぱりわからない。だけど告げたことは、間違いなく当たっている自信があった。
中学生の頃から彼の成長を見ているからこそ、否が応でもわかってしまう。親の七光りに負けないくらい光り輝き、誰もが憧れる存在になる。
耳に聞こえてくるシャワーの水音を聞きながら、自分のグラスにワインを注いだ。先ほどまで壮馬が座っていた椅子に腰かけて、グラスの中身を一気に飲み干す。
(今頃シャワーを浴びながら、俺の見合いの話を忌々しく思っているんだろうな。将来、自分が見合いさせられることも知らずに――)
「くそっ。どんなに好きでいても、いつかは別れなきゃいけない未来が数年後に訪れるっていうのに、諦めきれないなんて……」
空いたグラスに、ふたたびワインを溢れる手前まで注ぐ。手前に持ち上げて照明に照らしてみた。ガーネットのような濃い色の赤は、壮馬に想いを馳せた深みを表す色に思えた。
別れを切り出すことはおろか、諦めることもできず、立ち止まったままでいる己の恋に涙を流しながら、ボトルのワインをすべて空けてしまったのだった。
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