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コアラとモグラ 第一章 第三話
コアラとモグラ
第一章 第三話「アンダーシティ」
華々しい街々の地下に存在する、広く暗い街、アンダーシティ。犯罪者や種族差別を受けた者たちによって違法に作られ、独自に発展したこの街は、溺れるほどの酒、違法な麻薬の取引、人身売買、売春、強姦……、様々な悪がうごめいている。法律も秩序もなく、地上では、口に出すことがタブー視されるほどの差別地域である。
住んでいるのは、モグラ族やヘビ族、アナウサギ族など、暗い場所を好む性質等から、昔から地中や洞窟で暮らしてきた獣人。そして、地上で罪を犯して逃げ出した者たち。彼らの不気味な見た目や、治安の悪さから、この街に近づく人はあまりいない。
かくいうスピカも、生まれてから一度もアンダーシティへ行ったことはなかった。
「ここが、アンダーシティ……」
地下へ続くボロボロの階段を降りていくと、うっすら光の灯った街が現れた。街と言っても、地上の光の届かない地下深くに広い横穴が掘ってあって、そこに屋台のようなものと白熱電球がぽつぽつ並んでいるだけの場所だ。元々は、ヒト族が採掘場として使っていた場所でもあると言われていて、壁に刺さっている腐りかけの木の柱や、地面に放置された壊れた線路にその片鱗がうかがえる。
鍛えられた体の男たちが大声で喚きながら、タバコを咥えて何やら売っているようだ。そういえば、うちの孤児院にもこういう人が来たことがあったなと、スピカは頭の隅でぼんやり思った。
目をつけられぬよう、深くフードを被り、うつむいて歩き出す。そういえば、画家の家の位置も彼の名前も、何も聞いてこなかった。アンダーシティは、この国随一の広さを誇るセントラルシティより更に広いというが、果たしてその中からあの人を見つけられるだろうか。
「名前くらい聞いておくんだった」
ポソッとこぼす。案内所や市役所のような場所はないだろうか、ないだろうな。
コソコソと歩き続けていたら、店のような場所で客から金をせびっていた二人の大型肉食獣らしき男たちが、嫌な目でスピカをぎろりと見た。敏感で、その卑しい視線をよく知っているスピカは、素知らぬフリをして歩き続ける。このような人には、反応したほうが負けだと、悪徳孤児院育ちのスピカは知っている。
しかし、そんな小さな抵抗は意味を成さず、男たちはニタニタと笑いながら近づいてきて、スピカの腕を強く掴んだ。
「い……ッ」
「お前、見ない顔だなぁ」
「まさか、地上のヤツかぁ? オイオイ、ココはアブナイところだぜ?」
男たちの口調は酔っ払っているのかたどたどしく、必要以上の大声が気味悪い。腕を離そうともがいたが、ただのコアラにそんな力はない。あっけなく腕を捻り上げられ、スピカは痛みに思わず目を瞑った。
「地上のガキがここに一人で来るなんてなァ」
「運が悪かったなあ坊主。俺達ちょっと今腹立っててさぁ」
二人はケタケタと笑いながら、スピカを舐めるように見た。
「……離してください……」
スピカは、緊急事態にしては異様に落ち着いた声音で言う。
「そうだなぁ……、まあかわいそうだから、お前の“首輪”でもくれたら、この場は引き下がってやろうかなァ」
「首輪」とは、地上で出生届を出したときに貰えるドッグタグのようなもののことで、その獣人の存在を証明する証のような役割がある。地上の獣人は、それを常時身につけることが義務付けられている。これはヒト族がまだ生きていた頃、獣人を支配していた習慣の名残だ。ヒト族支配の時代には、「血統書」とも呼ばれていた。
そしてこれは、アンダーシティや差別されている他の地域、また、出自のわからない孤児との差別化をはかるためにも使われるものでもある。
元々は、単純に、その獣人 の身分を明らかにするための物として提示できるように、首輪という習慣を残したと言われている。また、犯罪者からは首輪を取り上げることで、一般人と区別化する目的もあったようだ。けれども、それはいつしか、出自が不明であるために首輪を貰えない孤児や、アンダーシティのような街に住んでいるだけの善良な者への差別をも助長するものへと変わってしまった。
首輪の有無だけで、施設の利用や交通機関の利用、そして扱いに大きな差が出る。例えば、首輪を持っていない人間は、乗れるバスが限られていたり、公共施設を使えなかったりする。彼らはいつも、人に見下され、けなされ、人権すら危うい。
「ほら、首輪だよ、寄越せ」
そのため、このような卑しい獣人は揃って首輪を欲しがる。首輪は、それが例え自分のものでなくても、それを持っているというだけで十分に価値があるからだ。首輪に記されているのは、名前と住所、生年月日のみ。確認が雑な公共機関や、一部の間抜けな警察の目なら、他人の首輪でもなんなくすり抜けられる。
「坊主、首輪どこだ?」
スピカは身体を弄られ、小さい頃、骨が砕けるまで殴られた記憶が頭をよぎった。怖くはなかったが、なんとも言えぬ嫌悪感が湧き上がる。
「こいつ首輪持ってねーな」
「はぁ? それが無ぇと金にならねーじゃねえか」
「お家に置いてきたのかァ坊主?」
強い肉食獣に迫られても、スピカは表情も変えずに口を開いた。
「俺は、首輪を持ってない」
「は? バカにすんじゃねぇぞ、分かんだからな。お前地上の人間だろうが」
「俺は孤児だ。首輪なんて持っていない」
男はしばらくぽかんとしていたが、やがてケタケタと笑いだした。
「おいおい首輪が無いだって?」
「あは、どうするよ坊主」
「お前が首輪さえ持ってりゃ、それだけで見逃してやったのになぁ……?」
男の右手がスピカの腹を這っていった。ニヤニヤと汚く笑う男に何をされるのか、スピカには分かりきっていた。
「離してください」
スピカの声は覇気がなかった。彼は、幼い頃から繰り返される暴力に、感情を捨ててしまった男であるから、もう怖いものがないのだ。ただ、面倒だなと、時間がないなと、そんなことしか頭には浮かばない。
「見ろ、いい顔してる」
「ホントだ、お前どこの孤児院のやつだよ、買ってやろうか?」
スピカは男たちに手足を押さえつけられてから、すぐにおとなしくなった。どうせもうピクリとも動けない。声だけは上げることができるが、このような場面で抵抗することは更に事態を悪化させるとスピカは長年の経験から知っている。
下手に抵抗すれば、殴られる。殴られるだけなら運がいい。死ぬまで殴られてしまったら? 殴られ続けて冷たくなっていった孤児を、もう何人も見てきた。
「大人しくなったな」
「物分りのいいガキでよかった」
男たちはスピカの服を引きちぎるようにはぎ取った。
「……は、っ……ゔ……っ!」
最初に、異物感。次に鋭い痛みが走り、そして腹が圧迫されて、吐き気に襲われる。
「ゔ、ぇ……っ、は」
何度経験しても慣れない気持ち悪さと痛み。必死で息を吸って吐く。息を止めたらもっと辛い。
「……はは、お前慣れてんなぁ」
「ガキが犯され慣れてるなんて、地上の孤児院も頭おかしいヤツしかいねぇんだな」
スピカはその言葉を、ただぼんやり聞いていた。
男たちの言う通り、スピカは物心ついたときから性暴力を受けており、彼らの言うとおり、犯され慣れていた。
スピカの育った孤児院では、幼い子どもから義務教育を終えるまで、生きるためには働かなくてはいけない。善良な孤児院であれば、もちろんそんなことはないのだが、彼が生きるこの世界はまだ未発達で、悪徳な孤児院のほうが圧倒的に多かった。
幼い子どもは、新聞を売ったり、店の売り子をしたりして働く。しかし、生まれつき喋りの苦手なスピカは、その才能がてんでなかった。院長たちはスピカを邪魔に思ったが、孤児院は法律上、役立たずなスピカを殺すことも捨てることもできない。
そこで院長は、まだ六歳にも満たないスピカに、孤児院で最も辛い仕事をさせたのだった。毎夜毎夜、やってくる客の相手をする。本来は、孤児院の子どものなかでも、ある程度自立した年長者の仕事だ。しかし、この仕事が、愛らしい見た目のスピカには適任だった。
「っ、ゔっ、あ゙、ぁ……」
「あー、きもちい」
「後で替わってな」
「分かってる分かってる」
一人がスピカを犯している間、もう一人はあくびを噛み殺して、大人しく店番をしている。ちらほら見える通行人も、大して気に留めていない。きっと、これが日常なのだ。この、アンダーシティの、日常。
「あ゙……っ! っ、ゔぁ、あ……!」
男のペニスが膣を擦れ、敏感な身体が仰け反る。男はケタケタ汚く笑った。
「あは、コイツ気持ちよくなってきてる」
「ゔ、ぁ……、あ、っ」
「やっぱコイツすげえイイな」
「おい、早くしろよなぁ。俺もやりてえって」
「分かってるって。交互な」
「暇だし、俺も別の引っ掛けてこようかなぁ」
男たちの会話に危機感なんてない。アンダーシティには警察の目もなければ、この行為を止めようとする人もいないからだ。
ここはそういう街だ。無法地帯。金とドラッグと性に酔った、汚い街。
差別地域の代表格であるのも、無理はない。
「……っ、ゔぁ、ぁ、っあ」
「あー、出る出る」
「早くどけよ。こんな上玉なかなかお目にかかれないんだから」
「はいはい。あー、きもちいい……」
ドロドロとしたものがスピカの膣を満たし、目が眩んだ。引き抜かれると同時に、射精しきれなかったスピカが、息を荒げて喘いだ。
厄介なことに、獣人族には性別がない。人間族でいう「男」の身体の形状で、膣と子宮を持つ奇妙な生き物だ。人間族が獣人を作り出す際に、男性の身体しか適合しなかったからだと言われている。
もちろん、膣に精液を出されれば子を孕む。スピカは、普通であれば頭を真っ白にして泣き叫んでもいいような状況にあった。
しかし、彼に、特に感情は湧かなかった。
「おら、次やれよ」
「あは、色々溢れてるじゃん。汚えなぁ」
「アガるだろ?」
「お前毎回そんなだもんな」
スピカはびくびくと脈打つ自分のペニスを霞む視界で眺め、自己嫌悪で吐き気がした。
二人目の男は、さっきの男より乱暴にスピカの腹を突いた。下手なのだとすぐに分かった。
「あ゙ッ、ゔぐ、……っ!」
「アハハ、下手クソ」
「俺が気持ちよかったらいいんだよ」
げほ、と胃の中のものを吐く。苦しさに目がチカチカした。
「うわ、コイツイイなぁ。汚いほうがイイ」
「あっはは、お前悪趣味だなぁ!」
「いいだろなんでも。な、もっと壊してみようぜ」
「何? 薬でも使うつもりか?」
「良いのがあんだよ。新薬。ほら、市長のさ」
「ああ……」
それをきいたスピカは、途切れ途切れの意識の中で、必死に抵抗した。それだけはいけないと思った。
地上では、孤児院で育ったお金のないこどもでも、義務教育にあたる10歳から18歳までは学校に通うことができる。
しかし、ドラッグなどの犯罪に手を出した孤児は、二度と支援を得て学校に通うことができない。地上では、首輪のない孤児が犯罪を犯せば、居場所はないのだ。
注射痕は見つけにくい。だが、孤児院側は邪魔な子どもを払ってしまいたいと思っているために、目ざとく体を検査する。見つからないとも言い切れない。
「嫌、だ……」
「大人しくしとけよ?」
「やめて……!」
「はいはい、お前押さえとけ」
見慣れない注射針が光る。針には血がべったりとついている。誰の血かも分からない。
スピカは必死に抵抗したが、細身のスピカが、屈強な男、それも大型肉食獣に敵うはずがない。
「ッ……!」
声が出なくなったスピカの腕が押えられ、針が肌を突き抜けようとしたときだった。
「やめなさい」
どこかで聞いたことのあるような声がした。驚いて、スピカはうっすらと目を開く。
「やめなさい。地上の子どもにそんなこと」
男は凛とした声でそう言った。
その人の姿を見て、スピカはまた驚いた。
知っている、この人を。この、背筋のピンと伸びた綺麗な男を知っている。
「ハッ、誰かと思えばはぐれ者の娼婦じゃねぇか」
「止めろって言ったって、俺達暇で死にそうだからなぁー」
男たちは、彼を娼婦と言った。何を言うかとスピカが混乱する。この人は、画家ではないのか。いや、間違いない。この人が、あの絵の作者だ。スピカはその時、理由もなくそう確信した。けれど、この人が誰で、どこで出会ったのかは、少しも思い出せない。
「その子を離してあげなさい」
画家はそれだけ言い、白杖を持って近寄ってきた。二人の男はその命令するような態度が頭にきたようで、唸り声を上げて彼に対峙した。
「お前、偉そうになんのつもりだ?」
「俺達楽しいコトしてんだよねぇ。この子と」
「地上の子どもを汚してはいけませんよ」
「それなら、汚れるのはお前でもいいんだぜ?」
スピカは短く息をしながら、なんとか思考していた。やめてと震える手を伸ばす。自分のことはどうでもいい。けれど、無関係の人が巻き込まれてしまうのは嫌だった。自分が悪いのだから、自分だけが苦しめば、それでいいのに。貴方がそんなことをする必要はないのに。
「構いませんよ。私のこの身体で代わりになるのなら」
カランと白状が落ちる。男性は両手を肩まで上げて降伏のポーズを取っていた。スピカは驚いて目を見開いた。獣人間において、降伏は最も危険な行為である。それを、自ら。
「さあ、どうぞ」
威勢の良かった男たちも、その堂々とした姿に一瞬狼狽えた。
「もういい。萎えた」
男の一人がそう言うと、もう一人も追うようにしてスピカからペニスを抜いて立ち上がった。何事もなかったかのように、彼らはすたすたと店の方へ戻っていく。
「お前みたいな汚え男抱くなんてごめんだぜ」
侮辱されても、綺麗な男は表情一つ変えなかった。言われ慣れているようだ。彼はさっさとスピカに服を着せると、上半身を起こさせた。勢いで、グラリと視界が揺れる。
「大丈夫……ではなさそうですね。緊急避妊薬を持っているので、これ、どうぞ。……ちゃんとした薬ではないので、気休め程度ですが」
「……ぁ、ありがとう、ございます……」
男はスピカを抱きかかえようと背に手を添えた。けれど、男の細腕では、スピカの身体は浮かなかった。男は頑張ってみてはいたが、しばらくして恥ずかしそうに苦笑した。
「申し訳ないのですが、私、貴方より小さいみたいで……。抱えるのは、ちょっと……」
そう言い、男はスピカの腕を自分の肩に回した。
「立って歩けますか」
「……、はい。なん、とか……」
スピカはズルズルと引きずるようにして道を歩いた。どこを歩いているのかもよく分からない。吐き気が酷く、目の前が白む。
「大丈夫ですか」
「…………」
とても喋れない。スピカはぜえぜえと息を荒げながら、おぼつかぬ足取りで歩いていった。
「……着きましたよ」
しばらく歩いたあと、男はそう言って、ドアらしきものの鍵を開けた。腐れかけた木の開く音がして、それから絵の具の匂いがした。
「あまり綺麗じゃなくてすみません」
「あ、あの」
「なんでしょう」
スピカは白む視界の中で、なんとか男を捉え、よろめきながら言った。
「俺、貴方に……。あなたを、ずっと……」
言い切る前に、スピカは玄関のドアに寄りかかってズルズルと座り込んでしまった。うまく息ができない。もう、起きていられない。酷く眠たい。
「あ、あの、大丈夫ですか? 聞こえますか?」
男が喋っている声がする。目が開かない。もう、何も、考えられない。
次の瞬間、スピカはぱたりと眠りについた。
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