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ナマケモノとタカ 第一章 第一話
ナマケモノとタカ編
第一章 第一話「歪 み」
あじさいの季節が過ぎ、本格的な夏がやってきた。カラッと晴れた空。スピカの所属する園芸部の花壇でも、ヒマワリが元気よく咲いている。まるで、自分が夏の主役だとでも言いたそうな姿だ。
スピカは花壇の雑草を抜いていきながら、頭の隅でクロトのことを考えていた。
「なになに、楽しそうじゃんスピカくん」
「わ!」
ふと、誰かがスピカの背を叩いた。惚けていたスピカは驚いて顔を上げる。ボサボサ頭の陸上部が、ユニフォーム姿で笑っていた。
「びっくりした。マキかぁ………」
「なに? 珍しい花でも咲かせた?」
「ち、違うよ」
「じゃあなに? 新しい花屋?」
「違うよ……。すごくカッコいい人と友達になったんだ。素敵な人なんだよ。藤色の瞳と灰色の髪が美しくてね。綺麗で、優しくて」
スピカは頬を染め興奮した様子で、目を輝かせそう話した。
その姿はまさしく恋する少年のそれで、からかいたがりのマキは思わず口の端がにやにや上がった。
「ほーーん? 何? スピカ、その人好きなの?」
「うん、好きだよ」
てっきり恥ずかしがって否定してくるだろうと踏んでいたマキは、スピカの返事に拍子抜けした。
「えっ、何? スピカ本当に恋しちゃった?」
「えっ、そういうんじゃないよ。俺はただあの人が好きなの」
「だから恋だろ?」
「違うよ。マキはなんでも恋愛に結びつけるんだから」
「はあ? お前マジで言ってんのかよー……」
あんな顔でその人のことを語っておいて、ただの好きであるはずがないだろう。スピカが鈍感なのは知っていたが、まさかここまでとは。マキは苦笑を浮かべた。
昔から、ひっそりと人気が高い男だった。甘いマスクと欲のない優しい人柄。本人は会話を苦手だと感じているようだが、話し方が丁寧で、聞き上手だ。
そんな彼は、度々周りの人間から好意を持たれていたが、持ち前の鈍感力で全て回避してきた。妙な勘は働くくせにな、とマキが心の中で何度悪態をついたことか。好意を持っていた人間の気持ちを思うと悲しくなる。
オマケに自分の気持ちにまで鈍感なのだから、これはもうどうしようもない。マキは心の中でその“友達”を憐れんだ。
「あーあ、俺も恋人ほしいなぁ。シキシマとかかわいいじゃん」
「ああ、マネージャーの?」
「そう! すっげえかわいいんだよ。かわいい系ってやっぱ珍しいからさ」
「でも確かシキシマくんって、付き合ってる子いた気がするよ」
「あ!? なんで知ってんだよスピカ!」
「誰かが話してたんだよ」
「えー。んー、じゃあミツキかなぁ。アイツネコ族でかわいいし」
「ああ、そういえばマキはネコ族好きだったね」
「あの三角耳と長い尻尾がかわいいだろ?」
マキの言葉に、スピカは特に同意はしなかった。彼には、好みのタイプというものが存在しないからだ。かわいいだの何だのと、正直よくわからない。
「まあ、大型肉食獣は同じネコ科でも嫌だけどな! 俺より小さい子がいい」
「どうして?」
「そりゃあ、いくら気張ったところで、結局は草食動物のナマケモノだからな。俺は。命令されるとかゴメンだし。……はーあ、なんでナマケモノなんかに生まれたかな……」
「いいじゃない、ナマケモノ。珍しい種族だし、かっこいいじゃん」
「かっこよくねぇ。俺はナマケモノなんかに生まれたくなかった」
マキは吐き捨てるように言った。スピカは少し困ったような顔をした。今はそうでもないが、昔は自分もコアラという種族が嫌いだったため、スピカにも彼の気持ちは少し分かる。
「……そういえば、マキはよく自分の種族を隠したがるよね。どうしてナマケモノが嫌いなの?」
「そりゃ、一般的にトロいし使えねーイメージついてっからだよ。名前も“怠け者”って。もっとマシなのあっただろ」
ナマケモノ族は、一見何の獣人かわかりにくい。ナマケモノ族の大半は、見た目が人に大変近かった。マキも例外なく、短い尻尾くらいでしかヒト族との判断がつかない。それをいいことに、マキは昔から、よく自分の種族を隠していた。
「どうせなら弟みたくヒョウに生まれたかった」
マキの弟はヒョウ族である。兄弟にも関わらず二人の種族が違うのには、マキの両親と、獣人族の性質に理由がある。
獣人は、両親の種族が違っても子供を作ることができる。その際、子供は足して割られた姿で生まれるのではない。両親のうち、どちらか片方だけの獣の性質を引き継ぐようにできている。
つまり、マキは、ナマケモノとヒョウを親に持つ子供であった。
「でも、マキがナマケモノじゃなかったら、コアラ と友達になってくれなかったかもしれない」
「そんなことねーよ。俺はお前のこと、種族なんか抜きに一番の親友だと思ってるぜ」
「……ふふふ、マキは優しいね」
「当たり前だろー?」
マキは癖毛をガシガシと掻きながら、照れくさそうに笑った。
ふと、園芸部の菜園を囲う柵の近くに、陸上部の同級生が現れた。
「あっ、マキこんなところに! お前全然来ねえから部長がキレてるぞ!」
マキがめんどくさそうな顔でえー、と声を漏らした。
「マジかよリク」
「マジマジ。てかマキお前、毎回毎回マヒロ先輩怒らすなよぉ、こえーってマジで」
「怖かねーよあんなトリ野郎」
「怖えだろ! トリっつったってタカだぞお前! タカ! 食物連鎖の上位生物だ……考えるだけでトリハダが……」
「お前ウサギじゃん。トリハダて」
「もー、とにかく早く来いったら!」
「分かった分かった。じゃあな、スピカ」
「うん、またね」
スピカは手を振り、マキを送り出した。セミがうるさく鳴いている。スピカは泥だらけの手で花壇から雑草を抜いていった。
「……クロトさん元気かな」
今度はうちで咲いたヒマワリを届けよう。そんなことを思いながら、スピカは心底嬉しそうに笑った。
「遅い」
「さーせん」
グラウンドに仁王立ちする白髪の男。焦茶のインナーカラーの入った独特な髪色は地毛である。背が高くてガタイがよく、鋭い目線が恐ろしい。
この男はマヒロ・シラトリ。陸上部の部長で、マキの一つ上の、大学部の先輩である。威圧的な性格と、恵まれた体躯、それにタカ族というステータスも加わって、陸上部の部員たちには大層恐れられている。
「お前はいつもそうだな。陸上が嫌なのか」
「俺、陸上は好きですよ。陸上は」
アンタは嫌いですけどね、と思わず口に出してしまいそうになる。それ程に、マキはマヒロが嫌いだった。
昔は、彼のことは決して嫌いではなかったし、むしろ大好きで、尊敬していた。マキはマヒロの為に走っていたと言っても過言ではない。
しかし、ある事をきっかけに、マキはマヒロをひどく嫌っているような態度を見せるようになった。
「いくら足が速くても、時間も守れないような奴を、リレーには出せない」
「俺が出ないと勝てないでしょ」
「……お前じゃなくても替わりはいる」
「はは、俺より速く走る奴いないでしょ。それとも、先輩が出ます? あ、先輩は予選落ちして出られないんでしたっけ?」
「マキ……!」
マヒロが一歩踏み出してくる。マキはビクッと勝手に肩が跳ねたのが自分でもわかったが、虚勢で睨み返した。
「なんすか」
「……っ、俺は……ッ」
「あーこらこら、やめろやめろ。マヒロ、マキ」
「……監督」
監督が仲裁したことで、マヒロが黙った。すっと冷めた金色の瞳がマキを見つめる。何だその冷めた目は。さっきまで俺に怒っていたじゃないか。マキの中で、ふつふつと怒りが沸いた。
いつも、マヒロは監督のいいなりだ。彼は絶対に監督に逆らわない。ご機嫌取りとはなんとまあ愚かしいことか。食物連鎖の王様が、聞いて呆れる。
マキはまだ言い足りなかったが、監督に目をつけられては面倒だったので、おとなしく引き下がった。
「はい。みんな集まれ」
監督に呼びかけられ、部員たちはパタパタと駆け寄ってくる。短いミーティングを終えると、部長であるマヒロの「行くぞ」の一言で、皆が一斉に走り出した。
一番前を走るマヒロの足には、固くテーピングが巻かれている。マヒロは数ヶ月前に足を怪我してから、最前線の選手としては使えなくなってしまった。マキがマヒロを嫌う原因となった怪我でもある。
マキは、少し言い過ぎたかもしれないと思ったが、どうしても謝る気にはなれなかった。
「ラストー!」
キレのある声。その一言だけで、ぐっと気合が入るようだ。この人は、食物連鎖の頂点、タカ族の男。気高く強く、世界のてっぺんに立つべきだった男。
獣人族の世界では、食物連鎖の頂点の種族がそのまま政治の頂点立つことが多い。上層部がほとんど同じ家系の人間で仕切られているという理由もあるが、単純に、“強い動物は弱い動物を従えることができる”という“獣性”の力のせいでもある。
このマヒロという男も、例に漏れず、イーストシティで有名なタカ一族、シラトリ家の息子である。
マキという人物は、ざっくばらんで、明暗を自身ではっきりと分けられる性格をしている。彼は、力を持ちながら、街をより良く変えることのできない富裕層の人間も、心底嫌いだった。
「マキ」
「……なんすか」
部活終わり、水道水を頭からめいいっぱい浴びていると、その大嫌いなマヒロがマキに声をかけてきた。
「お前は、どうしてそう反抗的な態度を取るんだ」
「…………」
キュ、と蛇口をひねる。水が止まり、マキの黒い縮れ髪からポタポタと雫がたれた。
「……嫌いだからですよ」
「……俺がか」
「そうです」
マキは良くも悪くも素直で裏表がなく、思ったことはすべて口に出す男だ。
本来のマキは、人のいいところを見つけるのが得意で、普通の人よりうんと優しい心を持っている。そのため、思っていることをすべて口に出しても、普段は嫌われることも憎まれることもない。マキの方が、人を嫌ったり憎んだりしないからだ。
けれど、マヒロだけはどうもいけ好かない。腹の底から強い力が湧く。この男の頭をねじ伏せてやりたいと思う。
「……先程、監督から注意を受けた。『マキに厳しすぎる』と。お前が最近いいタイムが出ないのは、俺に原因があると言っていた」
ぴくりと眉が跳ねる。マキは顔をマヒロへ向けると、嘲笑うかのように言った。
「…………それで?」
「俺はお前のその態度を正そうと、確かに厳しくしすぎたのかもしれない。反省している。もっと優しくするよう心がけよう」
「……うるせえな」
マキは、抑えきれない感情が湧き上がるのを感じた。全身の毛が逆立つような、血が煮えたぎるような感覚。
「監督が言ったから? だから俺に厳しくしたり優しくしたり、こうやって声かけたりするんですか?」
マヒロはじっと身じろぎもせずマキを見つめている。マキがいくら腹を立てて睨みつけたところで、この食物連鎖の王には少しも敵わないのだろう。
「あんたもっとプライドの高い男だっただろ。なんでそんな、監督の言いなりになってんだ」
マキはタオルを投げ捨ててマヒロに近づいた。マヒロの瞳は静かにマキを見ている。けれど、この人は、自分を見てはいない。見てくれない。マキには、それがよくわかった。
「……マキ、何に怒っているんだ」
「うるせえ!」
ガツッと音がしたと思ったら、マヒロの頭が自分の手のひらの中にあった。マキは無意識のうちにマヒロの髪を掴んで壁に叩きつけていたのだ。マヒロが血を流したが、それでも衝動が収まらない。息がきれ、ひどくめまいがする。
マキはもう一度、強くマヒロの髪を引っ張った。
「マキ! 何やってんだ!」
「おい、大丈夫かマヒロ!」
再び気がついた時、マキはチームメイトによってマヒロから引き剥がされていた。先程まで頭を支配していためまいが止み、心臓だけがバクバクと音を立てている。
「何やってんだマキ!」
マキを抑えていたのはリクだった。
「リ、リク。俺…………」
何が起こったのかわからなかった。震えながら自分の手のひらを見る。
今、この手で、俺は…………。
「……どうしたんだよ、最近変だよマキ。部活サボったり人殴ったり……、お前、そんな奴じゃないのに」
リクの目が、怯えているのが分かった。
リクだけじゃない。周りの人間が、皆マキの豹変ぶりに怯えていた。
「…………おれ……」
怖かった。自分が、全く違う何かのように感じた。
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