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ネコとフクロウ 第一話

ネコとフクロウ編  第一話「Rion」  花屋の朝は早い。朝起きるとすぐに市に向かい花を買い付け、花屋へ持ち帰る。  花の水揚げ作業を行って、スケジュールを確認し、店の掃除をする。 「おはようございます、ジンさん」 「ああ、おはようございます、ハシモトさん」  近所付き合いはそれなり。売り上げはまあまあ。家族もいなければペットもいない、挙句趣味もないので、金は足りている。 「おはよう花屋のおじさん!」 「おう、カラスの坊や。ビワは一日一個だぞ」 「分かってるよ!」  店の横に生えている琵琶の木は、近所の子どもが勝手に引きちぎっていく。多くの子が食べられるように個数制限を設けようと、子どもというものは我儘な生き物で、聞いてくれた試しがない。  ジンの花屋の開店時間は朝10時。店は開いていても準備が終わっていないことも多いため、周りからはよく、怠け者だとも言われている。  店は基本開けっ放し。あまり見張りもしていない。売り物の花を泥棒したいならさせておけばいいと思っている。  呑気で危機感がなく、変わり者。それが、ジン・ハチムラという男だった。 「だから、百年戦争の初期は、ヒト族の白峰克真って奴が……」 「分からないよ、さっきはクロなんちゃらだったじゃん」 「それは黒澤だろ。百年戦争を始めたときのヒト族の代表で……」 「なんだ坊やたち、百年戦争の話か」  ジンが声をかけると、二人はペコリとお辞儀をした。コアラのスピカと、ナマケモノのマキ。この店の常連で、特にスピカの方はいつも花屋に居座っている。 「課題なんだ。でもスピカが、全然覚えられないって言うから……」 「だって、実際に会ったこともない人なのに」  マキとスピカはそんなことを言い合いながら、教科書とノートを見比べていた。  ジンは顎に生えたヒゲをなぞるように手を当てて、しみじみと言った。 「……そうか。百年戦争はもう歴史の一部になってしまったんだな」 「えっ?」 「俺も百年戦争の時代は高校生の歳だったな。そうか、もう30年も経つのか」  ジンの言葉に、二人は気まずそうに顔を合わせ、課題をカバンの奥にしまった。ジンは二人の様子を見て不思議そうに首を少しだけ傾げた。 「ごめんなさいジンさん。俺ら知らなくて。よく考えたら、ジンさんの歳ってそうだよな」 「ん? ああ、いい、いい。続けて構わないよ」  マキの隣で、スピカが首を振る。 「ううん。百年戦争は、すごく大事に扱わなきゃいけないことだから……。……配慮が足りなくてごめんなさい」  別にいいのに。ジンは苦笑をこぼす。きっと、今からここで課題の続きをさせても、優しい彼らは居心地が悪いだろう。 「あー、いいのに。なんか悪いね。じゃあほら、お詫びに花でも」 「カトレアだ。いいの?」 「いいよ。あの画家さんにでも持っていってくれ」 「ありがとう、ジンさん」 「本当ごめんなさい。……もっと気をつけるから」 「本当にいいんだがな……。坊やたちが素直だとちょっと怖いよ、俺は。ほら、まだ課題あるんだろう。行くなら早く行きなさい」  二人はお邪魔しましたと深くお辞儀をして、学校の方へ歩き去っていった。 「百年戦争か……」  ジンは、夜花束を取りに来る予定の客の為に花を切りながら、ポツリと呟いた。  ジンにとって、百年戦争は、自分の人生を大きく狂わせた出来事だった。  子供はおろか恋人も友人もおらず、趣味もないこの腐った男には、かつて、愛し愛してくれた、二人の男がいた。  現代から30年前。当時18歳だったジンには、ジンと同じ境遇にある、家族のような友人がいた。 「なあリオ、聞いたか!」 「わ、なんだよジン。うるさいから静かに喋れよなぁ」  ぴるぴると耳を震わせる、この少年の名はリオン。ジンにはリオと呼ばれている。ネコの獣人で、垂れた耳が特徴の、童顔の少年だ。 「ヒト族、残りはあの研究所にいる百人だけなんだって!」 「……ふーん、そうなのか。この戦争も、もう時期終戦かもな」  リオンは寄ってきたジンの膝に頭をおいて大きくあくびをした。ごろごろと喉がなっている。リオンはよく、こうして人の膝で眠る。彼は、幼い頃から、人とどこかが触れ合っていないと気が済まない奴だった。  部屋は暗くて狭い。リオンやジンの他にも子供は居たが、皆暗い顔でぼうっと一点を見つめていた。 「俺すげえ嬉しい! この世界が、やっと俺達のものになるんだ!」 「……そうかぁ? 俺は、ヒト族が完全にいなくなったら、きっと法律も秩序もなくなっちまって、混乱すると思うけど」 「でも、もう叩かれて蹴られながら働かなくて済むんだぞ?」 「うーん、どうだろう、それはなぁ」  リオンは少し複雑そうな顔をしていた。ジンはきょとんとした顔で尋ねる。 「リオはヒト族がいた頃のほうがいいと思うのか?」 「そうじゃねえけど。だって、俺達の仲間が、上に命令されてどれだけ死んだよ。結局、ヒトだろうが獣人だろうが、俺達みたいな駒の扱いは一緒だろ」  言われて、ジンは黙り込んだ。戦争の最前線では、今も仲間の誰かが死んでいる。そして、いずれ二人も。  二人は孤児で、この施設に買われるまでは、奴隷だった。百年戦争では、多くの孤児が戦場に送られていた。大した訓練もしていない少年が、鉄砲玉のように飛ばされて、自分の命と引き換えに相手を攻撃する。所謂、特攻である。  獣人族は、身体能力だけなら、ヒト族には決して劣らない。真正面からぶつかれば、獣人は簡単に戦争に勝利しただろう。しかし、ヒト族には、発展した科学があった。ヒト支配時代、獣人たちは、学ぶことを殆ど許されなかった。ヒト族が、反乱を恐れたからだ。獣人たちは、少なく古い知識で、なんとかヒトに勝利するため、躊躇などしていられなかったのだ。  リオンは起き上がると、美しい橙色の瞳で、まっすぐジンを見つめた。 「俺たちも、死ぬんだよ、ジン」  なんだか恐ろしくなって、ジンはおずおずと口を開く。 「……でも、あと百人だぞ。あと、たったの百人。昨日の情報だから、もう数十人も残っていないかも」 「……千人から百人まで減るのに、一体何十年かかったと思っているんだ。ヒト族が、その百人にどれほどの力を集結させてるか、お前分かんねぇのかよ」  リオンは、ほとんど怒っているような強い口調でジンにそう言った。ジンはびくりと肩を震わせて、俯いた。 「…………ごめん、リオ」  ジンはリオンから目を逸らし、しゅんと小さくなってしまった。リオンは頭をかく。 「……そんな顔するなよ。ごめん、愚痴言っちゃって。……俺だって怖いんだよ、ジン」  リオンは再びジンの膝に横たわる。いつも兄のようにジンを引っ張ってくれていたリオンが、近頃は、まるで猫の赤子のようにジンにべったりとくっつくようになった。なんだか、これから嫌なことが起こるようで、ジンは余計に怖かった。 「……こんなこと言ったら怒られるけどさ。お前に言うのなら良いよな」 「なに、リオ」  リオンの頭を撫でていたジンの手を取り、リオンは小さな声で呟いた。 「……俺、行きたくねぇよ、戦場。ずっとお前とこうしてたい」  ジンは目を丸くした。リオはいつも夢の話を聞かせてくれるが、こんなに弱々しい願いごとは初めて聞いた。 「…………お前と、こうやって一緒にいるだけで、俺は……」  リオンの言葉に、ジンはリオンの手を掴んで優しく包み込んだ。 「大丈夫。もうヒト族は百人しかいないんだぞ。俺達が出るより早く、ヒト族が滅びるさ」 「……そうは思えないんだ」 「そんなことない。絶対に大丈夫だ。俺が絶対にお前を行かせない」 「………なあ、俺が死んだら、墓作ってくれよ。そしてさ、お前がおじさんになって、よぼよぼのおじいさんになって、幸せに死んだときさ、俺と同じ墓に入ってくれないか」  リオンが言うと、ジンはしばらくぽかんとしていたが、やがてにやっと笑った。 「プロポーズか?」 「毎日お味噌汁作って、のほうがよかった?」 「あはは、ニホン式ってヤツ? いや、お前らしくていいんじゃない? 捻くれててかわいいよ」 「ジンはすぐそうからかう。……返事は?」  リオンの橙色の目がジンを捉える。ジンは、その真っ直ぐな眼差しになんだか恥ずかしくなってはにかんだ。 「長く待つのは、お前きっと飽きちゃうだろ。俺、お前に飽きられんの嫌だし、二人で一緒におじさんになってさ。おじいさんになって、二人ともお互いのことしか覚えてないくらいボケても一緒にいよう。そうして二人で、幸せだったねって笑って、一緒に墓に入ろう」 「長え長え。詩人かお前は」 「詩人かぁ。いいかもな。戦争終わったらポエムでも書いちゃうか」 「あは。無理だろ。お前ボキャブラリー少ねえもん。食い物の名前しか知らねぇじゃん」 「ぼきゃ……? 何語?」 「あはは、ほらな」  リオンはケタケタと笑っていた。こんなリオンの姿を見たのは、いつぶりだろう。  しばらく二人だけで喋っていたら、突然、部屋のドアがばたんと開かれた。 「リオン! いないのか! リオン!」 「はい! ここにいます!」  ジンはこのとき、何故かゾワッと胸騒ぎがした。リオンに手を伸ばし、思いっきり抱きしめた。 「……なんだよジン」  リオンははにかんだ。上官がこちらを振り向いて、鬼のような形相で怒鳴った。 「リオン! 早く来い!」 「はい!」  リオンは部屋を走り出ていった。リオンの身体から手が離れ、ジンがその場に座り込んだ。  上官に呼ばれるのはいつものことだというのに、どうして今、自分がリオンを止めてしまったのか、ジンには分からなかった。  ただ、何故かその時、彼がとても儚いものに思えて、酷く、酷く恐ろしかった。

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