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ネコとフクロウ 第二話

ネコとフクロウ編  第二話「抱きしめて」  「キミ、名前なんてーの?」 「っ」 「? どうしたんだよ」  リオンとジンが出会ったのは、百年戦争も終戦間際になった頃。ヒト族が作り、獣人に権利が引き継がれた奴隷市場だった。  かつてヒト族は、愛すべき愛玩動物である獣人を売る“ペットショップ”とは別に、家畜や労働力として獣人を売る“家畜市場”を作った。そこで扱われていた獣人たちは、戦争が終わりに近づくにつれて“奴隷”となり、同じ獣人にも売り買いされていた。 「怖いのか? 大丈夫だ、怖くないぞ」  まだ幼さの残る顔つきのジンが、三人の主人にたらい回しにされ、ボロボロになって最後にやってきたのは、ほとんど値もつかないような獣人を扱う奴隷市場だった。  この頃、既に合法地域では獣人の肉を食べることが禁止されていたため、奴隷たちは肉にされることこそなかったが、奴隷の餓死や衰弱死は黙認されていた。そのためか、リオンや周りの奴隷たちは、ジンの知る奴隷たちよりも更に痩せていた。 「俺はね、リオンだよ。リオン・ハチムラ。あっ、名字は自分で勝手に考えたんだけどね」  幼いリオンは、太陽がとろけたような笑みを浮かべた。 「いお……」  ジンが、ぼそっと声を出した。獣のような、舌っ足らずで聞き取りにくい音だった。それでも、リオンは嬉しそうにぱっと顔を明るくした。この奴隷市場に、言葉を話せる獣人は少なかったからだ。 「リオンだよ、リオン」 「りお……ゔ」 「リオンー」 「りお……………ヴぅ」 「りーおーんー。んだよ、ン」 「ヴ…………」 「仕方ないなあ、リオでいいよ。リ、オ」  ケタケタと笑いだしたリオンを、ジンは怯えた表情で見上げた。 「そんなに怯えなくても大丈夫。ここはそんなに悪いところじゃないよ」  リオンはジンの頭を膝にのせ、優しく撫でた。骨と皮だけで柔らかくもない膝の上。しかしその心地よい暖かさに、ジンは一筋涙を流した。 「名前なんていうの? わかる? 名前だよ、なまえ」 「…………ジ、ゔ……?」 「ジウ?」  リオンが聞き返す。ジンは俯いたまま反応しない。 「あ、もしかして、ジン?」  ジンが顔を上げる。リオンはぱっと嬉しそうな顔をした。 「ジン! すごくかっこいい名前だな。親が付けたのか?」 「…………」 「んー、ジンはどうしてここに来たの?」 「…………」  リオンはジンの顔をのぞき込んで、二度瞬きした。 「そいつは喋れないよ。何をさせても役に立たないからここに連れて来られたんだ」  ジンを連れてきた男が、吐き捨てるように言った。リオンはジンをまじまじと見つめた。 「そっかぁ。よろしくな、ジン」  リオンは、ジンの両手を掴み、にこりと笑った。  周りの子供は皆怯えきった顔でうずくまっているのに、この男は、この太陽のような男だけは、違っていた。  リオンは、ジンにしつこいくらいに話しかけ、何をするにもついて回る。夜になれば、二人は一つの毛布に包まって、くっついて眠った。  この奴隷小屋は、奴隷の扱いが比較的良かった。逃げ出すほどの知能を持っていない獣人が多かったために、監視役は、ほとんど、数日おきに一度、粗末な食事を投げ込みにくるだけ。躾も仕事もないものだから、暴力をふるわれることはほとんどなかった。  毎日毎日、何年も、リオンはジンに話しかける。他の子どもの中にも喋れる者はいたが、皆あまりリオンとは口をききたくないようだった。リオンに何年も話しかけられ続けたことで、ジンはだんだんと、言葉を発するようになっていった。 「いまは、俺達とヒト族が戦争してるからおかねがないけどな、戦争に勝てば、俺達奴隷でも、すげー豪華なご飯が食べられるんだぜ。あ、豪華って分かるか?」  リオンは口癖のようにこう口にした。生まれてから、ゴミか腐りかけのゴミしか口にしていなかったリオンにとって、豪華な食事は一生の夢だったのだ。  それはジンにとっても同じくで、ジンはいつもよだれを垂らしてリオンの話に聞き入った。 「シチメンチョーって知ってるか、ジン」  首を振るジンに、リオンは両手を大きく広げて見せた。 「俺達の身体くらいあるでっかい鳥なんだ! ヒト族や獣人族の金持ちは、それを丸ごと焼いて、その腹に思いっきりかぶりつくんだってさ! 骨まで食っちまうんだって!」 「すげー……」  ジンがキラキラした目でリオンを見つめた。そんなごちそうを、人生で一度でいいから食べてみたい。 「おいオンボロ! クソみてーな話すんじゃねぇよ! もっと腹が減るだろうが!」  体の大きな年上の孤児が大声でそう言った。彼は、幼い頃は教育を受けていたらしく、リオンのように言葉をスラスラと話せた。 「ごめんごめん」 「……おんぼろて、何?」  リオンは、昔ヒト族と暮らしていた頃に病気を発症し、身体を崩しやすくなってから、奴隷として価値無しというレッテルを貼られて、ここにいた。そんなことなど少しも気にせず、リオンはいつも明るい笑顔を絶やさなかった。 「おいしくないものだよ」  リオンはジンと二人で同じ毛布を被ると、くっついてしまいそうなほど顔を近づけて、小さく笑った。 「俺な、大きな白い家で、花を売って暮らすのが夢なんだ。花屋さんっていうんだぜ。毎日キラキラしたお菓子をたくさん食べて、飽きるまで本を読む。クリスマスには大きな七面鳥を食べるんだ。店には絵を飾って、花がいっぱいのお店で、常連さんとコーヒーを飲む」 「くり、ます……? こーひ……?」 「コーヒーは黒い飲み物。すごく苦いんだって。豆から作るんだよ。そしてクリスマスっていうのは楽しいパーティさ! いい子にしてた子には、夜にサンタさんってヒトが、空飛ぶトナカイにソリを引かせて、プレゼント持って来てくれるんだ」 「サンタサンさん!」 「すっげーだろ!?」  他の子に聞こえないような小さな声で、二人は夢を大きく膨らませた。  ジンは、リオンの話す、夢と理想の話を聞くのが好きだった。夢を語るリオンは楽しそうで、ジンの心まで嬉しくさせてくれた。それから、リオンは物知りで、ジンの、知らないことはなんでも教えてくれた。 「ジンは、大人になったら何になりたいんだ?」 「おれは……」  ジンには、答えることが難しかった。自分たちが奴隷でなくなる日が来るというのが、想像できなかったのだ。 「何もないんだったら、ジンも俺と一緒に花屋になろう」  リオンはそう言ってジンの頭を撫でた。 「シチメンチョー……」  リオンの話に頷きつつ、ジンは、シチメンチョーという言葉の出す、美味しそうな雰囲気に酔いしれていた。  リオンがジンに教えたことは、夢や希望だけではなかった。 「ジンは文字読めるのか」 「モジ」 「文字。ヒト文字は読めなくても、獣文字は読めるだろ?」  ジンは首を傾げた。  獣文字とは、獣人族の用いる文字のことである。ヒト族の用いていた英語や日本語は、全てまとめてヒト文字と言われる。 「ジン、読み書きは大事だぞ。戦争が終わったら、俺達はいきなり花屋にはなれない。まず、資金を集めるために、仕事を探さなきゃいけない。読み書きくらいできなきゃ、雇ってくれるところなんてねえよ」 「ヨミカキ」 「お前は言葉も知らないんだから、全くもう。なんでも教えてやるから、ちゃんと聞けよ?」  リオンは、むき出しの地面にザラザラと線を引っ張った。 「まずはお前の名前だな」 「…………ジン!」 「ほら。これがジンだ」 「シチメンチョーは?」 「まずはお前の名前から。これは絶対に書けなきゃ困るからな」  真似してみろと言われ、ジンは恐る恐る真似をして地面に書いてみる。 「そうそう。上手だ、ジン」  リオンはジンの頭をぐしゃぐしゃに撫で、その下にまた文字を書いた。 「リオン。これは『リオン』だ」 「リオの名前。……あれ、二つある」  リオンは、書いた文字を上からなぞった。 「これが獣文字。この下のはな、ヒト文字の中でも“英語”ってやつで、これもリオンと読むんだ。ヒト族はたくさん言葉を持っているんだぞ」 「すごい! リオは物知りだな!」 「俺、昔、ご主人様の目を盗んで勝手に勉強してたんだ。ご主人様に見つかったらすげー怒られたけど、その後、そこのお坊ちゃんがこっそり教えてくれたんだよ」  だからリオンは物知りなのかとジンは納得した。 「リオ、シチメンチョーはどう書くんだ?」 「もー、ジンはそれしか言わないんだから。……ちょっと待ってて」 「クリスマスは? コーヒーは? サンタサンは?」 「待って待って。順番に書いてやるから」  寝る前にリオンから世界のことを学ぶのが、ジンの毎日の楽しみだった。  リオンは、他の子とはまるで違った。いつも、明るい笑顔をジンに向けていた。それは、彼が、世界を知っていたからかもしれない。希望を、知っていたからかもしれない。 「ヒト族の国はいっぱいあって、話す言葉も文化も、それぞれで全然違うんだ」 「同じいきものなのに、同じ言葉を使わないなんて変ないきものだな」 「そりゃあ、俺達獣人と違って、ヒト族は別々のところで生まれて独自で文化作っちゃったんだから、当たり前だろう」 「でも、きっと困るだろうな」 「そうだな。でも、自分の気持ちを伝える方法がたくさんあるってことだし、俺は好き」  リオンはきらきら笑った。  更に時が流れて、二人の身体が大人に近付いてきた頃には、ジンは言葉を多く覚え、リオンと議論をすることもあった。リオンはジンが意見を出すたび、嬉しそうに笑っていた。  数年後、一人のワニの獣人がやってきて、この奴隷市場の孤児たちを全て買い取っていくまで、二人の秘密の授業は続いた。  「俺たち全員を助けてくれる優しい獣人が、絶対にいるって信じてたんだ」  リオンはそう言って、与えられた部屋で寝転がった。周りの子供も、主人が決まり、皆心なしかホッとした顔をしている。 「でも、この人数の子どもを買い取る人なんて、どれだけすごい人なんだろう」 「おいしいごはんが食べられたらいいな」 「ジンは食べ物のことばっかりなんだから」  二人が大声でそんな夢のような話をしていても、誰も文句を言わない。リオンが、キラキラした瞳で、遥か遠くを見つめる。ジンは彼のその夢を見る眩しい姿を見て微笑んだ。  リオンはジンの光だった。いつかこの男と店を構え、二人で末永く一緒に暮らすのだと、ジンは、信じて疑っていなかった。  しかし、希望に溢れた孤児たちを待っていたものは、望んでいたものとは真逆の、地獄のような日々だった。  自由のない生活。ろくな食べ物も睡眠時間も与えられず、訓練を積み続ける日々。部屋の隅で冷たくなりずっと動かない仲間。上官に連れられていく仲間。日々浴びせられる罵倒、暴力。  逃げようにも、訓練場は森で囲まれているし、途中で捕まれば有無を言わさず射殺されるため、逃げることもできない。  そんな中で、ジンはリオンと話すことだけが救いだった。リオンという光さえいれば、ジンはどんなに辛くても我慢できた。 「ジンは本当に知ることが好きだな。どうしてそんなに世界を知りたいんだ?」  ある日、リオンがそう尋ねてきた。ジンはニコっと笑う。 「楽しいんだ。ロマンがあるだろ? 戦争に勝てば、好きなだけ勉強できるって思うと、わくわくする。リオはそうじゃないの?」 「俺は……、俺はもういいかな。もう、これ以上知りたくない」  ジンと対象的に、リオンはだんだんジンと議論をすることもなくなり、世界に対して塞ぎ込むようになっていった。身体の弱かったリオンには、辛い訓練は、彼の澄んだ心を弱らせるほどの重荷だったのだ。いつの間にか、あの太陽のような笑顔を見せることはほとんどなくなり、やつれた頬で愚痴を吐くのがやっとになっていた。 「リオ。俺、獣人族の自由な世界は、きっと今よりもっと良くなると思うんだ」  ジンがそう言っても、リオンが「そうだね」と返してくれることはなくなった。  上官に呼ばれてしばらくして、部屋に戻ってきたリオンは、たいそう苛立っていた。 「あの上官、俺の担当掃除場所に汚れがあるって長々説教してきた。クソ、戦争終わったらぶん殴ってやる」 「そうか、よかった」 「話聞いてた? 良くないんだよ」  ジンは、リオンに出動命令が下されなかったことに安堵していた。リオンは、ジンよりも身体が弱い。最近は体調も優れないようで、死ぬ前に、かかった金の分くらいは役に立てと、ぽいと飛ばされないか心配していたのだ。  しかし、安堵したのも束の間、ジンは、リオンの様子がどこかおかしい気がした。怒られたからしょげているのだろうかと、ジンはリオンの頭を撫でた。リオンは驚いた顔をして、頭を振った。 「もう。ジンだけだ、そんなに呑気なのは」 「俺は呑気なんじゃない。リオが無事だったことが嬉しいんだ」 「……そうかよ」 「だって、リオは俺の太陽だから。お前がいなくなったら、きっと俺はあいつらみたいに、抜け殻になっちまうよ」  ジンは、自分たちの周りでただぼうっと壁を眺めるだけの仲間をちらりと見て言った。  ここへ来てすぐの頃は、彼らも自分を持っていたのに。 「…………なあ、ジン。お前はさ、俺の願いならなんでも聞いてくれるよな」  ふと、リオンが口にした。やはり違和感がある。いつものリオンの口からは、愚痴とため息くらいしか出ることがないのに、お願いだなんて。 「どうしてそんなことをきくんだ。勿論聞くよ」 「なんでも、だな」 「当たり前だろ」  リオンは、ジンの手を握った。その手は小さく震えていた。 「…………あのさ、ジン。俺と、俺と一緒に……」  そこまで言って、リオンはぴたりと喋らなくなった。俯いてかすかに震えるだけで、口を開こうとしない。 「……リオ?」  ジンが呼びかけると、リオンは顔を上げた。ジンには、その表情が、何かを決意したように見えた。リオンはジンの頬に手を触れ、少し悲しそうに微笑んだ。 「…………今日は、俺と同じ布団で寝てくれるか?」  ジンはリオンを毛布でくるんで抱きしめ、押し倒した。リオンがケタケタと笑い出す。 「あはは、やった。嬉しい」 「一緒に寝るのはいいけど、俺の腹蹴るなよ?」 「えい!」 「蹴るなってリオ!」 「あっはははは。……おりゃ! 隙あり!」 「やめろってば!」  二人は並んで薄っぺらい毛布にくるまった。リオンが、まだくつくつと笑っているジンを抱きしめる。 「………俺たち、ガキみたいだな」 「違いないや」  暗い天井。光の刺さない牢獄のような部屋。奴隷市場にいた頃、こうしてよく二人で同じ毛布に包まって眠ったことを思い出す。  リオンはジンの横で少し背を丸め、ジンの頭を抱きこんだ。 「ねえ、ジンは俺のお願いなんでも聞いてくれるだろ」 「またお願い? 今日は多いな」 「俺は優しいジンが、俺のお願いを絶対に聞いてくれるの知ってる」 「当たり前だろ」  リオンは、兄貴ぶっていた昔のように、ジンの頭をそっと優しく撫でた。 「ずーっと、おじいさんになるまで、俺のこと忘れないで」 「何言ってんだ。忘れるわけない」 「約束ね。お願いだからな。忘れんなよ」  ジンは目を見開いた。リオンの顔と真っ直ぐに向かい合い、その橙色を見つめると、強い語調で言った。 「忘れない。お前の声も、斑の髪の色も、笑った顔も、泣いてた顔も、あったかいことも、何一つ忘れたりしない」  リオンは満足げに微笑み、ジンの胸にすり寄った。 「…………でも、ジンがどうしても辛かったら、俺のことは忘れてもいいからな。俺はちっとも辛くないから」  ジンは、リオンがなぜこのように言うのか、既になんとなく察しがついていた。けれど信じられなくて、信じたくなくて、考えないように首を振る。勝手に涙が溢れる。 「泣くなよ……。ジンは俺の一番大事な人だ。ジンが泣いたら俺も悲しいよ」 「いやだ……! リオ、花屋になりたいって言ってたじゃないか。二人で、幸せに暮らすんだって、言ってたじゃないか……っ!」 「俺は、ジンが生きていてくれるだけで、もう充分幸せなんだ」  リオンは言った。ジンは、溢れ出る涙を拭いながらリオンを見た。彼は、涙でぐちゃぐちゃの顔をしたジンに、ふっと笑いかけた。ジンが大好きな、太陽のような笑顔だった。 「ジンだけが、俺の話を聞いてくれた。すげえすげえって目を輝かせて。周りの奴らみたいに、夢物語だって馬鹿にしないで、真剣に俺の話を聞いてくれてた。嬉しかった。すごく」  リオンの言葉は、ジンの胸に深く染み込み、ジンの涙になる。 「俺……っ、俺だって……、リオのおかげで……!」  ジンはしゃくりあげながら言った。 「リオは、俺の太陽なんだよ……っ」  ジンがリオンを抱き締めた。暖かい。ふわふわの耳、斑の髪、自分より少しだけ小さな身体、柔らかい肌。心臓の音、呼吸、瞬き、涙。  こんなにも暖かいリオン。今、リオンは生きている。生きているのに。 「行かないで……っ」  ジンは夜が更けても泣き続けた。リオンはもう何も言わず、ただジンの頭を撫で続けた。

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