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コアラとモグラ 最終話

コアラとモグラ編  最終話「貴方が私の全て」  成人式後の獣人(にんげん)で賑わっている、サウスシティの中心部。脇に店の立ち並ぶ歩道を、まっすぐ走る。やや傾斜のついた道に足を取られて転びかけ、周りから注目を浴びるが、今日のスピカは気にならない。人を掻き分け、白い息を吐きながら、彼は目的に向かって真っ直ぐに走った。 「クロトさん!」 「わっ!」  バサッと音を立てて、スピカは走ってきた勢いそのままにクロトに飛びついた。クロトは驚いて短い声を上げる。  肩で息をしながら、白い息を吐いてスピカが微笑むと、クロトは鼻と頬を真っ赤にして、ふふ、と笑い返した。 「走ってきたんですか?」 「すみません、仕事が……、終わらなくて……」 「いいえ。私も今来たところですよ」  そんなことを言って、本当はずっと前に来ていたのだろうと、スピカは思った。普段から集合時間より前に来る彼なら、今日のような大切な日に、ギリギリに現れたりなどきっとしないはずだ。やはり、仕事といえど、遅くなってしまったのが申し訳無い。 「寒かったですよね」 「いえ。平気ですよ。貴方の電話の通り店に入ろうかとも思ったのですが、なんだか店で座っているのも落ち着かない気がして」 「そうでしたか。……って、手袋もしてないんですか?」 「どこにも見当たらなくて……」 「だから手袋は同じ場所に置いてくださいと何度も……。ふふ、花じゃなくて手袋にすればよかったですかね」 「はな?」  首を傾げたクロトの手に、スピカは手に持っていた大きめの花束を握らせる。白い花束の奥で、クロトの目が、キラリと輝いた。 「これ……」 「何の花かわかりますか?」 「触っても?」 「もちろん」  クロトがゆっくりと花びらに触れるのを、スピカは嬉々として見つめる。しばらくして、彼は藤色の瞳を細めてにこりと笑った。 「バラですね」 「正解です。……よく分かりましたね」 「花については貴方から沢山教えて頂いていますから」 「色は白で、本数は11本の、オーダーメイドです」 「……おや、それはまた凝った演出ですね」  花が貰えたという事実だけでも嬉しそうなクロトは、何度もその花の香を嗅ぎ、巻かれたリボンを撫でた。  スピカは、クロトの赤くなった指先に気付き、自分のはめていた手袋を外した。 「クロトさん、俺の手袋でよければどうぞ。俺は走ってきたので、大丈夫ですから」 「……ありがとうございます」  手袋を受け取ろうと伸ばした手が、スピカに掴まれる。右手に手袋が被せられる感覚にクロトは少し驚いたが、腕をスピカに預けたまま、ふっと微笑んだ。 「……成人おめでとうございます、スピカくん」 「ありがとうございます」 「……ふふふ、なんだか、私のほうが色々と貰ってしまいました」  今日は成人式だった。スピカも、今年成人した。と言っても、首輪を持たないスピカは、街の成人式には出られなかったのだが。  しかし、せっかくの成人式、何か記念にとクロトが提案したのが、今日のこの日のデートである。  サウスシティでは、二十歳が成人と定められている。まだ十代、大人にならねばとがむしゃらに毎日を過ごしていたが、気が付けば、クロトと暮らし始めて二年が経ち、自分は大人になっていた。 「……俺があげたかっただけですから。……あ、持ちますよ、花」 「……いいえ。嬉しいので、このままで」  クロトは花束を胸元に引き寄せて笑った。 「分かりました。……今日はどこへ?」 「実はこの近くのレストランを予約しました。評判のいいところです」 「た、高いところですか? 俺、テーブルマナーとか分かんないし、お金も手持ちが……」 「ふふふ、大丈夫ですよ。マナーには厳しくないと聞いていますし、もちろんお祝いですから、お金の心配はいりませんよ」 「お、俺ももちろん払います! 絶対に払います」 「……いつも譲りませんね、貴方は。今日は本当に結構ですから」  二人は凍るような寒空の下を歩きながら、いつも通り他愛ない会話をしていた。  今日一日の話、明日の話、その先の話。普段通りの話題の中には、珍しく、過去の話があった。 「……スピカくんに出会った頃、貴方がこんなにも素敵な大人になるとは思っていませんでした。……貴方のことを、まるで、過去の自分を見ているようだと思っていましたから。きっと私と同じように、くだらない人生を送るんだと、勝手に決めつけていました」  クロトは、スピカの手をきゅっと握る。 「……ですが、貴方は違った。本当に立派な獣人でした。……こんな私をも変えてくれた」 「……俺は、クロトさんに会ったから変わったんですよ」  スピカは、クロトを真っ直ぐに見つめて笑う。 「…………俺が最初からこうだったんじゃなくて、貴方が俺をこう在らせてくれているんです」  透明な獣人だと思う。彼ほど透き通った獣人を、他に知らない。きっと、彼を善く生かすも悪く生かすも、本当に、自分次第なのだろうと感じる。 「……それなら、やはり私ももっと頑張らなくてはなりませんね」  クロトは、そう意志のある声で言った。彼を黒く染める訳には、いかない。おそらくそれが自分の使命で、彼が自分の価値の形なのだ。  予約した店は、静かで上品なレストランだった。その高級感にやや萎縮してしまったスピカの隣で、クロトは堂々とまっすぐ背筋を伸ばして立っていた。 「いらっしゃいませ。ラインヴァント様ですね」 「はい」 「お待ちしておりました」  その絢爛たる内装に、スピカは頭がクラクラした。この調子では、落ち着くことなんて到底できそうにない。今日はただでさえ緊張せずにいられないというのに。 「えっ、ラインヴァントって?」  思わず間抜けな声で尋ねてしまう。知らぬ名前に驚いたのもあるが、何よりこの高級感あふれる場にいるのが落ち着かなかった。 「偽名の名字ですよ。名字がないのは孤児……首輪がない証ですから、そんな名前使えないでしょう? ……ちなみに、画家としての名前もラインヴァントです。ふふ、いつもあんなに近くで私の絵を見ているのに、知らなかったのですね」 「知りませんでした……。まだまだ知らない貴方がいるんですね」  嬉しそうに笑うスピカに、クロトはくすぐったい気持ちになった。二人は受付に花束を預けると、案内された席についた。そわそわと未だ落ち着かない様子のスピカに、クロトは苦笑して言った。 「そんなに緊張することはないのですよ」 「い、いえ。すみません、こんなところに来たのは初めてで……」  クロトさんは慣れているんですねと言ったスピカに、クロトは困ったように笑った。 「私もこんなところは初めてです」 「そ、そうだったんですか」 「ええ。ほら、堂々としていれば、案外バレないものでしょう?」 「驚きました。……普段から綺麗なクロトさんだからできることかもしれませんね」  見えないのに、よくこんなにも美しくあれるものだとスピカは感心した。彼の一挙一動が、優雅で気品に溢れ、人の目を奪う。スピカは、姿勢をただして座り直した。  しばらくして、料理が運ばれてきた。瑞々しく輝く野菜が、美しく盛り付けられている。草食の獣人向けに作られる料理は、肉食と比べて比較的安いといえど、このクオリティ。一体クロトはどういうコースを頼んだのか、スピカには検討もつかない。  仕事帰りの財布に、一体いくら入っていたかもよく思い出せないほど緊張しているスピカと違って、クロトはいつもと変わらぬ調子で料理を口に運ぶ。その様子は周りの豪華な装飾がチープに見えてしまうほど上品で端正、周りの目も惹く美しさだ。テーブルマナーが正しいわけでも、特別高価なものを身に着けているわけでもないが、彼はそこにただいるだけで、全てがとにかく美しい。  ぼんやりしていると、クロトがすっと顔を上げた。 「……まだ緊張が解けませんか? ……随分、食が進まない様子ですが」 「あ、いえ……。今のは違います。クロトさんが綺麗だったから」 「……ふ、ふふ、それは嬉しい言葉ですね」  クロトは少し照れたように笑った。その愛らしい笑顔に、なんだか緊張が少しマシになった。  次から次へと運ばれてくる料理を、他愛ない会話をしながら味わう。デザートを食べ終えた頃、スピカは何かを決心したように、ゆっくり口を開いた。 「あの、クロトさん……」 「はい」  スピカは一度息を吸い、それからまっすぐクロトを見つめた。 「……これ、受け取ってもらえませんか」  スピカがクロトの手のひらに乗せたのは、小さな箱だった。 「……これ……」  クロトは、恐る恐る、箱を撫でる。サラサラとした上等な布の質感。クロトは一度、顔を上げた。 「開けてみてもらえますか」  スピカはやや緊張した声でそう言った。  これがもし、であるならば、蓋は宝箱のように上に開く。ゆっくりと指を滑らせて、箱を握った。箱の蓋は、願った通りに開いた。震える指で、その真ん中に在る小さな金属を手に取った。もう確かめずとも分かる。  手の甲で涙を拭いながら、クロトは笑った。こんな歳になっても涙を流す自分が滑稽で、あの幼い子供だったスピカの成長が嬉しくて、まっすぐ自分を見てくれる瞳が、大好きで。 「……っ」  クロトは立ち上がってスピカを思いっきり抱きしめた。今はまだ食事中だとか、ここがレストランだとか、周りの目だとか、そんなものはどうでも良かった。ただ、彼を抱きしめていたかった。スピカは震えるその背に腕を回して、優しく微笑んだ。 「……ありがとう、ございます」  クロトはただそれだけ言うと、子供のように涙を流した。その清らかな雫はぽたぽたとスピカの肩を濡らし、二人の心を温めた。 「ねぇ、クロトさん、手を出してください」  クロトは迷わず左手を差し出した。スピカはそっとその薬指にリングをはめる。それから、彼の手の甲にキスを落とした。 「……貴方は本当に綺麗ですね」  薬指にはまった細いプラチナの指輪が、照明に照らされてキラキラと輝く。 「…………貴方には敵いません。どうしてそうやって私を、こんなにも幸せに……」 「貴方の幸せだけを願って生きているからです。貴方は、俺の全てだから」  クロトが静かに席に戻ると、周りから拍手が起こった。ハッとした表情をした二人は、少し恥ずかしくなってはにかんだ。  それから、二人はこれからの話をした。それは、希望に満ち溢れた、幸せな未来の話だった。

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