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コアラとモグラ 第二章 第六話

コアラとモグラ編  第二章 第六話「ウエストシティ、アルティルにて」  地面にシャベルを突き刺して、足で踏み込む。照りつける太陽の日差しが痛いほどで、スピカは泥で汚れたタオルで顔を拭った。 「…………」  彼は今頃、どうしているだろう。スピカは、ぼんやりと、シャベルの突き刺さった地面を見つめていた。  「おはようございます」と、何でもない顔で、あの翌日彼は笑った。心に鍵をかけられた。スピカには、それがはっきりと分かった。自分が悪いのだ。彼とうまく向かい合う方法が分からなかった。 「おい! おい聞いてんのかスピカ!」 「え、はい!」  ぼんやりと地面を掘り返していたスピカの耳に、ジャックの大声が飛んでくる。横で、ジェカがケラケラと笑っている。 「考え事でしょー? だめだよ、危ないからね」 「す、すみません!」 「いいよー、暑いもんねぇ。なにもこーんなに暑い中でやんなくったっていいのにねぇ」  ジェカは仕事中であるとは思えないほど気だるげな声でそう言った。  ウエストシティ南西部。海からはやや離れたそこは、戦争で一度更地になった後、まだ獣人(にんげん)による整備がされていなかった場所で、名前もなかった。スピカたちがここを訪れるほんの数週間前までは、低い木々と雑草が地面を覆い隠していたほどである。しかし、数十年間利用されてこなかったこの土地に、新しく都市が建設されることになった。都市の名は、「アルティル」。  ウエストシティは、農業の盛んな街で、この国の中心であるセントラルシティや、ベッドタウンとして上手く発展してきたイーストシティに比べ、やや発展の遅れている街である。しかし、豊かな自然と、ヒト支配時代のヨーロッパを彷彿とさせる美しい街並みは、他のどの街にも引けを取らない。ウエストシティの政治家たちは、その美しさに目をつけ、この街を、芸術の街として発展させ始めたのだ。その事業の一環として、このアルティルは建設されている。 「そーんなお疲れなスピカにいいお知らせだよ。今日はこの庭だけで、もう作業おしまい」  ジェカは心底嬉しそうにそう言った。スピカは首を傾げる。 「今日は隣の庭もじゃなかったんですか?」  この街の建設に携わっている企業は多いが、庭師専門となるとやや少ない。ここ数日、朝から晩まで目一杯働かされているというのに、突然どうしたことか。状況が分からず固まるスピカを見て、ジャックは、全く、という顔でため息を溢した。 「……その建物、担当アーティストがいなくなっちまったんだよ。さっき言っただろ?」  アルティル建設のメインは、アーティストである。アルティルのコンセプトは、"アーティストの作る芸術の都市"なのだ。彼らが自由に色を付け、自由な造形で造った建物を並べた、芸術性に溢れた街を作る。それがこの事業の目標で、そのために、世界中からアーティストを呼び集めたらしい。 「現時点で完成してる家が他にはないから、俺たちはこれが終わったら休みだ」 「アーティストの建物を引き立てるためだけに庭作りって、なんかナメられた感じだよねぇ。地味できれいな庭作るの、結構大変だってのにさぁ」  ジェカはぶつくさ文句を言いながら、植木の苗をチェックしている。 「隣って、確か造形作家の……」 「そう。その人が『辞退する』ってさ。アレ、いわく付き物件になっちまったんだよ」 「いわくつき?」  ジャックがコクリと頷き、ジェカが口を開く。 「そう! 一昨日、この建物のなかで食人事件があったんだよ!」 「食人ですか……」  スピカがあまりに淡々としていたので、ジェカが一瞬だけ、こちらを疑るような顔をした。スピカはびくりと肩を震わせたが、それが自分の見間違いか現実か確認する間もなく、ジャックの声が飛び込んできた。 「おい、ジェカ、でかい声で言うな! 誰が聞いてるか分からないだろう」 「もうみんな知ってるって。君は真面目だなぁ」  ジェカはケラケラ笑いながら歩いていくと、作りかけの花壇に腰を掛けた。 「クラウンタウン。知ってる? えっと、こっからねぇ……10キロ……ないくらいかなぁ。知ってる?」 「……いいえ」 「そっかそっか。……俺、実はウエストシティの出身でさ、この辺りの小さい町にもちょっとだけ詳しいんだ」  ジャックが、積まれたレンガの上に座りこむ。ジェカの話はとにかく長いからだ。スピカも、地面に尻をつけて彼を見上げた。 「クラウンタウンは、戦争孤児が終戦の少し前くらいから作り始めたところでね。作られた当時の町のトップはなんと子ども! それ以外の町民もみーんな子どもだったから、"子どもの町"とかも呼ばれてるんだ」 「つまり、子どもの作った非合法の町ってことか?」  ジャックが尋ねると、ジェカはこくりと頷いた。非合法の町といえば、代表的なのはやはりアンダーシティだろう。他にもそんな町がたくさんあるとはきくが、その一つが今こんなに近くにあるとは。 「今はもちろん大人もいるよ。数十年経ってるからね。……でも、あそこに子ども捨てにいく奴らもまだ結構多くてさぁ。相当な孤児がいるみたいだよ。今ってほら、時代がさぁ、食うだけで精一杯だったりするじゃん? 俺らもまぁ、安い賃金で長時間よく働いてるよね。……でさぁ、あの町のすごーく怖いところは…………食人文化が定着してるところなんだ」  スピカは流石に驚いてしまった。アンダーシティですら、食人はごく僅かな獣人しか行わない。人肉は、いわゆる嗜好品の一つだ。しかし、それがまさか定着している町があるとは。小さな町で、普通は口外できないとはいえ、そこまでクローズドな町があってよいものか。 「あそこには人肉の加工工場があってね、町の住人はみーんな人肉食べてるんだ。すごいんだよ、ホントに平気な顔して露店に人肉が売ってるの。足とか、手とか、ぶつ切りにされて並んでるんだよ」  ジェカは、まるで見てきたかのような口ぶりでそう言った。ジャックが顔をしかめる。 「あそこで生産した人肉を、外に売って貿易するんだって! 買いたい人もいるんだねぇ。獣人は獣人を食べられるとはいえ、あんまりおいしくないと思うんだけどなぁ」 「やめろ気持ち悪い」 「ごめんごめん。……でもさぁ、最近は……ほら、なんていうのかな、偉いヤツの圧が強いみたいでさぁ……。町作った獣人がね、王族みたいな暮らししてて、庶民の子どもたちが苦労してて……、ときどき飢えた獣人がこの辺りまで出てきちゃうみたい。人肉食べるのが普通って子たちが出てくるんだよ、危ないよね! だから、この街を作るみたいだよ。きれいに整えて、ここを徹底的に警備して……ってするみたい。いずれあの町を潰すつもりなのかなぁ」  そんな簡単に潰れるかなぁ、とケラケラ笑うジェカは、普段と変わらない笑顔のはずなのに、どこか不気味な雰囲気があった。 「……近くにそんな町があるから、こんな小さな会社がこんなでかいプロジェクトに選ばれたわけだ」 「えぇ? そうかなぁ。俺達けっこうすごいと思うよ、ねぇスピカ」 「……はい」  スピカは頷く。ジェカは立ち上がり、この話はおしまい、と言うようにぱたぱたと手を叩いた。 「だから、アーティストがいなくなっちゃったの。……そもそも、この辺が危なすぎてさぁ。こんなとこまで来る人、少ないみたいだよ。今アーティストの人手足りてないってさ。……どうなることかなぁ。企画は面白いと思うんだけどなぁ」 「あ、あの!」  スピカは、突然立ち上がると、ジェカの真正面までやってきた。彼をやや見下ろすような形で、スピカは言葉を続ける。 「あの、アーティストなら……、俺、素晴らしい方をご紹介できます」  ジェカとジャックは、二人で顔を見合わせて首を傾げた。  仮設宿泊所の中にある事務所から、ハキハキとした声が漏れている。 「せっかく、"姿を見せない画家"と言われる貴方が、わざわざここへいらっしゃったのに!」  ジェカはわざとかと疑うほど大袈裟な声で、そんなことを言った。 「ですから、ベイカーさん、私は……」 「お願いです! 興味があられるからここにいらっしゃったんでしょ?」  ジェカの勢いに押されるように、クロトは息を吐いて、椅子にもたれた。 「……もちろん、嬉しいです。興味もあります。しかし……、少し私には荷が重い」  再び姿勢を正すと、クロトは机の上で手を組んだ。 「……ベイカーさん、ご存知ですか? のことは」 「もちろん! 選考会でも一応話しましたよ。『彼は地下のアーティストだが素晴らしい』って! その上で、貴方は選ばれている。この街は、上もしっかり、芸術が好きみたいです」  ジェカはニコッと笑う。彼は一般人にしてはやけに、首輪のない獣人を良くしてくれる。スピカの話に聞いていた通り、不思議な獣人だった。  ジェカは先程までの勢いを少し弱めて、椅子に深く座った。 「……実はね、上に、『貴方をどうにか引き留めてくれ』と言われているんです。『彼が地上に顔を出すことなんて滅多にない』って、もうそれはすごい圧で。スピカに頼もうとしたんですけど、『俺はクロトさんに強要できません』って言うんですよ。じゃあ、俺がやんなきゃかなーって。俺も見たいし、貴方のアート」  クロトは少しの間沈黙して、それからおずおずと口を開いた。 「……良いのですか、私のような者を、こんな大きな企画に関わらせたりしたら、どうなるか……」 「ラインヴァントさん」  クロトが顔を上げる。「ラインヴァント」とは、彼の所謂ペンネームである。キャンバスを意味する、ヒト支配時代のヒト言葉だ。地下の獣人として、また市長のお気に入りであった身として、クロトの名前を出すわけにはいかなかったのだ。 「ラインヴァントさん、お返事をききたいです。俺たちは、真剣に、貴方の作品の額を作りたいと思っています」  スピカだってきっと同じだ。だから彼は、説得に自分ではなく、話の上手いジェカを向かわせたのだろう。  この人の作品なら、自分たちはひっそりと美しい額でいい。そう思わせるような絵を、彼は描く。 「……やります」  クロトは小さく、しかし意志のある声で言った。 「やらせてください。挑戦してみたい」  右手を胸に押し当てて、クロトは笑った。 「……私は画家です」  事務所にスピカや実行委員を入れて、ジェカは壁際に体を避けた。クロトのそばをそろそろとぎこちなくうろつくスピカを、手招きする。 「かっこいいね、クロトさんは。あんなに堂々とした地下の人、俺知らないよ」 「……はい。とても。……俺は、クロトさんに見合う大人になりたいんです」  ジェカは腕を組み、ふっと苦笑をこぼした。 「…………スピカが惚れるだけあるよねぇ」 「え、俺……が?」 「好きなんでしょ? 彼のこと」  ジェカがニコニコ笑っている。スピカは俯いた。 「……好きって……何でしょうか」 「えっ、哲学? 俺頭使うの駄目なんだよぉ」 「……いや、あの、哲学とかじゃなくて……」  ジェカは逃げるように実行委員の側に寄っていくと、愛想笑いを浮かべて喋り始めた。スピカは壁にもたれ掛かり、ぼんやりクロトを見つめていた。  しばらくして、クロトが少し顔を上げた。 「スピカくん」 「あ、はい!」  スピカは慌てて近寄った。クロトは白状を片手に、ゆっくり立ち上がると、周りの実行委員たちに深々とお辞儀をした。 「終わりました。部屋に戻りましょう」  建物の中には、簡易的な部屋がいくつもある。作業員やアーティストたちは皆そこに寝泊まりしていた。クロトは、普段とは違う造りの場所は暮らしにくいために、スピカと同じ部屋でとお願いしたらしい。 「スピカくん、私を推薦してくださって、ありがとうございました」  クロトがそう呟く。スピカはぶんぶん首を振った。 「そんな! 俺はただ、貴方の絵があれば、きっと良い都市になると思っただけです」 「いいえ。君がいなければ、私はここに来ることさえできなかったはずです」  スピカの腕をぎゅっと掴んで、クロトは呟く。 「……本当に、私には勿体無い機会です」  その言葉に、スピカが立ち止まる。クロトは驚いて、首を傾げた。 「……クロトさんは」  スピカははっきりとした声で言葉を発する。 「クロトさんは、俺の心でさえも動かせる画家です。勿体なくありません、クロトさんにぴったりの案件だと思います」  スピカの言葉は、いつまでもまっすぐだ。本当のことしか言わず、感じたことを少しも包み隠さない。それ故に、クロトは受け取り難い。 「……ありがとうございます、スピカくん」  クロトは小さく愛想笑いを浮かべた。  部屋はベッドが二つ設置されているだけのような簡素なものだが、トイレとシャワーがしっかりついている。浴槽やキッチンはないが、清潔で、生活に必要なものは大体揃っているようなところだ。  泥まみれだったスピカは先にシャワーを浴びてから、ベッドに座った。クロトも、その後でシャワーを浴びに行く。二人は夕食を食べて寝支度を済ませると、いつものように同じ空間に離れて座った。 「……サウスシティというのは、すごい街ですよね」  クロトは、窓から夜空を見上げていた。実際には彼には何も見えていないのだが、その様子は本当に星空を楽しんでいるようだった。 「私たちのような首輪のない獣人にも、こうやって会社が宿泊場所や食事をくださるなんて」 「……本当ですね」  サウスシティは差別の少ない街として有名だ。私営の施設は大抵首輪の確認もない。会社だって、社内で首輪の有無の格差があるほうが珍しいほどだ。こんな街は、なかなか存在しない。  それは、サウスシティに住む獣人の人柄と、サウスシティの海の中にある違法街、マリンシティの存在が影響しているとされる。サウスシティの獣人は、お互いが何者であるか、あまり確認したがらないところがあるのだ。それは、近くにあるマリンシティと、安全な関係性を保つために必要だったと言われている。サウスシティでは、相手の素性に口を出さないことで安全が守られているのだ。人と自分を知って区別し、身の安全のために差別化したがるイーストシティとは、対称的だ。 「サウスシティに来てから、色々変わりました。……私の生活も、境遇も、今までとはまるで違う。……少し怖くなります。この幸せが終わるのが」  クロトは呟く。スピカは一言も言葉を発さず、静かに彼の心を聞いていた。 「……私は、多くを望みすぎているように思うのです。このままでは罰が当たってしまいそうで。…………今で十分幸せだと言うのに、私は君を困らせるようなことしか言えません。この前のように」  全くロクな大人ではない、とクロトは言う。それから、困ったように笑った。 「……もう寝ましょうか、スピカくん。君は明日も早いでしょう」 「……はい」  明かりが消えると、スピカは途端に心がもやついた。ぎりぎりと、拗じられているような痛みを感じる。 「おやすみなさい」 「…………おやすみなさい」  自分の中に答えがない。答えがないものは、返せない。自分を曝け出し、決意を持ってスピカについてきてくれた彼に対して、なんて不誠実だろう。これほどまで、自分の感情を恨んだことはない。スピカは布団を肩まで上げて、ゆっくり目を閉じた。  早朝、スピカは庭に今日分の資材を運び込みながら、筆を動かすクロトの後ろ姿を見つめていた。 「おはよう、スピカ。早かったね」  まだ眠そうな声をして、こちらへ寄ってきたのはジェカだ。スピカは振り返ると、少し頭を下げた。 「おはようございます。クロトさんが、描くなら朝がいいと仰っていたので」 「なるほど、それでね」  ジェカはスピカの隣に並んで、じっとクロトが絵を描くのを見た。 「…………やっぱさ、生命力が段違いだよねぇ。この街にあるべき作品だよ」 「……俺には、作品の良し悪しは分かりませんが……、クロトさんの作品は、クロトさんそのものとよく似ています」  スピカの目が、朝日に照らされてゆらりと輝いた。 「だから俺は、クロトさんの絵を見ると、とても、こう……暖かくなります。……なんと言うのが正しいか、分からないんですが」  ジェカはひとつ瞬きすると、安心したように微笑んだ。 「……スピカさ、もしかしてあんま感情ないタイプ?」 「……はい、そうですね」 「へえ、なるほど、なるほどね。だからそんな感じなんだ。……いたよそういうの。俺よく知ってる」  ジェカはゆっくりとした口調でそう言って、クロトの方へ再び目線を戻した。 「…………じゃあ、大変だ。スピカも、クロトさんも」  何が、とスピカが尋ねようとしたとき、クロトが脚立を要求した。慌てて、スピカは側に駆け寄っていく。ジェカも、スピカを追いかけるようにして、ゆっくりと歩き出した。

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