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マングースとハブ 第三話

マングースとハブ編  第三話「悪い男」  夢を見ていた。暖かい波が、自分の身体をまるごと飲み込む。それは身体を蕩かして、奥の奥ではじけた。気持ちが良くて、離れがたい。 「は……、あ……」 「……ヤト、大丈夫?」  耳が、声を拾った。その瞬間、身体が、夢のような場所から、ゆっくりと引き上げられていった。  目を開くと、そこには知らない天井が広がっていた。 「ん、あ……ッ!?」  突然、自分の喉から高い声が飛び出した。ヤトは、自分の意志とは関係なく上がった声に困惑した。 「あ、あ……ッ」  何かが、自分の腹を突いている。ぼんやりとした頭では、溢れる声を抑える方法も分からず、ヤトは無理矢理口を塞いだ。ようやく意識がはっきりしたとき、驚いたような顔をしたジェカと目があった。 「あれ、もしかして理性戻ってきた?」 「な、何して……ッ」 「……あはは、セックスかな?」  笑い事ではない、と静止しようとしたヤトの手が空を切る。ジェカの性器が膣の奥を抉ったからだ。 「ひ……ぅ……」 「ねえ、ヤト、覚えてない? お前、ショッピングモールでフェロモンテロしてたよ」 「し、知らな……ッ、ん、ン……っ」 「……はは、覚えてるだろ? 俺がいなかったら、今頃君は強姦にあってたよ」 「……ぁ、わかんな……ッ! 馬鹿……っ、やめろ、ジェカ……!」  強姦と今、一体何が違うんだ。  ヤトはジェカの身体を弱い力で押し返した。ジェカは突き出された手を掴み、赤黒い瞳でヤトを睨んだ。 「……大人しくして。お前のフェロモンのせいで今、俺だってうまく頭が回らないんだ。暴れたらヤトが怪我しちゃう。……できるよね、ヤトいい子でしょ」 「お前……っ」 「大人しくして」  ジェカの低い声に、反射的に身体が固まる。ジェカはにこりと微笑んで、ヤトの頭をなでた。 「…………うん、いい子だね」  痺れるような快感。思わず、彼に身を委ねそうになり、すんでのところで踏みとどまった。 「やめ、ろ……ッ」 「……ヤト、気持ちいいんでしょ。頭ふわふわして、身体が敏感になって」 「……だめ、いやだ、ジェカ……っ」  ヤトは小さな声で抵抗した。しかし、いつものような態度はとれそうにない。心よりも奥底で、彼を求めているからだ。ジェカは、撫でていたヤトの頭を、ベッドに優しく押しつけた。 「支配されるの、気持ちいいね?」  ジェカの言葉は正しかった。  ヒト族が、獣人に組み込んだ呪い。それは、ヤトの身体にももちろん刻まれていた。 「……いやだ、離れろ……っ」 「答えて、ヤト。気持ちいいでしょ?」 「……っ、は、……ン、ん……」 「ヤト」  ジェカは、威圧的な声で言葉を発する。彼が何か命令するたび、ヤトは確かな興奮を覚えていた。 「……ヤトくらい獣性強い種族なら、普通こういうのあんまり気持ちよくないもんじゃない? ヤトは支配されるの、好きなんだ?」  ヤトは何も言わず、ただ声を抑えようと必死でシーツを手繰り寄せて、唇を噛んでいた。ジェカがヤトの薄い唇に指を添えて、にこりと笑う。 「答えてよ、ヤト」 「……ッ、……きもちいい……っ」  素直なヤトに、ジェカが驚いたように目を開いて、それからゆったりと笑った。 「ふふ、かわいい」  ジェカは強く腰を打ち付けた。ヤトの背がのけぞり、彼は泣きながら、逃げるように腰をくねらせる。その腰を強く掴んで、ジェカは更に深く性器を突き刺した。 「ッん゙……!! は、あ゙、あ……ッ!」 「逃げないでよ。仮にも肉食なら、追いかけたくなる気持ちがわかるだろ?」  ヤトはジェカの腕に爪を立てる。なんとか手を離させようと、力いっぱい握っても、彼はびくともしなかった。 「あ、はは……っ。お前じゃ無理だよ、俺とは獣性の相性も悪いもの」 「ぁ、はっ、あぁ……ッ!」  ぼろぼろと涙を溢して、ヤトがシーツを引っ掻く。  ジェカは口の端だけで笑うと、腕を引っ張って、突然そこに噛み付いた。 「あ゙、あ…………ッ!!」  ヤトはビクビクと熱を吐き出した。呼吸は激しく乱れ、涙が溢れ出る。ジェカが、やや驚いた顔でヤトを見つめた。 「ごめん、痛かった? 痛いのが好きなの?」  ヤトはジェカの腕を掴み、ぐいと引っ張る。 「……もっと……っ」  ヤトは笑っていた。ジェカはヤトの肩を掴むと、ひっくり返してうつ伏せにした。頭がくらくらする。ヤトは自分から腰を上げ、尻尾をジェカの背中に滑らせた。 「……お前、あべこべだね。中身がまるで草食の獣人みたい」  ジェカは性器を挿入して、抜き差しを再開した。 「あ゙、あ……ッ!」 「はあ……っ、かわいいね……」  ジェカの言葉が、重く腹を抉る。ヤトはもう、すべてが、どうでも良くなっていた。ただこの暖かな快楽に浸っていたかった。 「好き、大好きだ……。手に入れたい……ぜんぶ、俺のものに…………」  ヤトは、理性を手放した手で、ジェカの手を掴んだ。  暗い工場の隅、ぼろぼろに崩れた檻の内側で、ひっそりと息を潜める。檻の外を通りかかる血塗れの白い服を着た獣人や、高価な服を着た獣人が、たまにやってきては、檻の中の自分を見て、満足そうに帰っていく。その時も、その後も、ずっと、ただひたすらじっと、動いてはいけない。  ここは、クラウンタウン。「子どもたちの城」。その町中に建つ、大きな食肉加工工場の片隅。  遠くから、かつかつと足音が近付いてくる。ヒールの音だ。檻の中にいた子どもは、目だけをちろっと動かした。  その足音は、その子どもの檻の前で止まった。 「……ヤト、元気か」  檻の中に入ってきた短髪の男は、ヒールブーツの先をトントンと鳴らした。 「……おにいさん!」  ヤトは、今まで死んだように黙っていたのに、この男が入ってくるなり、ぱっと身体を起こした。  この男の名前はテドという。クラウンタウンに住む、ドブネズミの獣人で、食肉工場で働いている従業員の一人だ。彼は肉をかっぱらっては他の獣人や地域に高値で売りさばいて、大金を得ていた。 「……よしよし。今日はいい食べ物を持ってきてやったからな」  テドはそう言って、ポケットから何か取り出した。 「肉だ!」 「そう。ヤト好きだろぉ?」  テドの持ってくるものは、いつもヤトにとって新鮮で、彼を幸福な気持ちにさせた。この檻の中の、唯一の娯楽だった。  かつては、両親と、三人で暮らしていたような気がする。その頃には、音楽を聴いたり、本を読んでもらったりするのが好きだった。ヤトはその頃の楽しかった記憶を思い出しては、ほんの少し寂しい気持ちになったりもした。 「おいしい。おにいさん、これすごくおいしい」 「……そうかそうか。よかったな」 「うん、ほんとうにおいしい」  ヤトは小さな二つの手のひらで肉を掴み、むしゃむしゃと食べた。今回は妙にこってりとした味だ。身は脂が多いが、その脂が病みつきになる。 「……ヤト、立て」  テドはそう言った。ヤトはすぐに立ち上がる。次はどうするべきかと、彼の顔を見上げた。 「……うん、お前は本当に綺麗だな。上等だ。……あとはが治ればなぁ」  テドはヤトの身体をじろじろと見たあと、ヤトの顔を見てため息をついた。 「……これは駄目かもなぁ。やっぱり、もっと早くから育てなきゃ、頭はどうにも……」 「お兄さん……? 何が駄目なの?」  ヤトはべたべたに汚れた手で、テドの服を掴んだ。テドは感情のない瞳でヤトを見下ろしていた。 「ヤト……ヤト何でもする……。駄目じゃない……」  ヤトは、テドに縋りついた。幼いながらに、この人から見放されると死ぬと直感していた。 「やっぱり駄目そうだな」  テドはそう言って、ヤトの頭を撫でた。 「……じゃあ、また来るからな、ヤト」 「いや……帰っちゃだめ……!」 「今日は大事な用事があるから」 「いやだ! もう一人でいたくない……」  ヤトはそう言ったが、テドは聞こえぬふりをして檻出入り口へ向かった。ヤトが慌てて追いかける。足枷に足が引っ張られ、ヤトは床に叩きつけられた。 「やだ! やだよ、おねがい!」 「大丈夫。また来るから」 「いやだ! ねえ、いつまでここにいたらいいの? ヤトのお母さんとお父さんはいつ来るの?」  ヤトは叫んだ。 「……はあ。やっぱり賢すぎる」  呟いたテドは上半身だけ振り返り、にこりと笑う。 「……すぐだよ。それまで、俺といような」  テドの笑みは、無性に恐怖を掻き立てる。ヤトは息を止めて、また小さくうずくまった。 「いい子だな」  ヤトは震えながら、そのトパーズの瞳でテドの背を見ていた。 「なあ、あの王様は天然モノがいいって言ってんだよな? 魔法で少しイジっても駄目か聞いておいてくれよ。少しだからよ」  テドはそう言いながら、扉の奥へ消えていった。  自分に神の名を付けた両親は、ある日忽然と消えた。テドは、ヤトにとって、兄のような、親のような、それこそ神のような存在だった。 「…………おいしい」  骨をしゃぶりながら、ヤトは寝転がった。なるべく無気力に、死んだように。  檻の外を、自分よりも少し大きな子どもが歩いていく。喜々とした表情を浮かべて、溶けるような甘い顔をして、ゆっくりと歩いていく。 「…………いつまでいればいいのかな」  この鉄の城は、ヤトの心を蝕んでいく。  いつか、自分もあの外へ出ていくのだ。それで、その先で、きっと楽しいことがある。だって、彼らはあんなにも恍惚とした表情で、あの先へ向かっているのだから。  ヤトは目を閉じる。瞼の裏には、母と父の顔があった。  朝、目が覚めると、ジェカは隣にいなかった。酷く嫌な夢を見ていた気がする。低血圧でクラクラする頭をなんとか働かせて起き上がった。どうやら、彼はこのホテルの一室のどこにもいないようである。 「…………気持ち悪い……」  空腹と低血圧、そして疲れからか、酷く気分が悪い。ヤトは髪の毛を撫でつけながら、ベッドの上で小さく蹲った。 「………ヤト!?」  驚いた声と共に、ジェカがドアを開けて入ってきた。どうやら、出掛けていただけのようだ。彼はドタバタとヤトのそばに駆け寄ると、その身体を掴んで揺さぶった。 「大丈夫!? 具合悪い?」 「うるせぇ……、揺らすな……」 「……水、水飲んで。買ってきたから」  やたら心配してくるジェカを、気味悪いなと見つめながら、ヤトはおとなしく水を飲んだ。 「……あとこれ、緊急避妊薬……意味ないかもしれないけど……」 「…………要らねぇ。爬虫類は妊娠しにくいんだ」 「やだ。買ってきたから飲んで」  渋々薬を飲み下し、ヤトは俯く。彼はしばらく黙っていたが、やがて居心地悪そうに頭を掻いた。 「……あんなになったのは初めてだった」  ヤトは呟いた。決まり悪そうに目をそろそろ動かしている。 「……なんで突然発情しちゃったのかな?」 「……分かんねぇよ、あんまり……覚えてねぇし。そもそも、俺は肉食だし、発情なんてしたことなかったし……。あんなふうに暴走すると、思わなくて……」  ヤトは後ろめたそうに目を伏せていた。自分のせいだと言いたいらしい。それを見たジェカは、わざとらしくしょげた顔で微笑んだ。 「……いや、俺が良くなかった。ごめんね」 「…………言葉だけの謝罪なら要らねぇよ。そもそも、お前は悪くないだろう。気味悪い」  ヤトの言葉に、ジェカは笑った。 「……ふふ、まあ、正直俺は悪くないと思ってるよ」  ジェカはにこにこ笑って下衆なことを言った。そうだ、こんなふうに性格の悪いのが、ジェカなのだ。謝罪するなど、気味が悪い。 「俺は悪くない。でも、君も悪くない。そうだろ?」  そうだろうか。そんな訳はないと思いつつも、嘘をつかない「嫌な奴」にそう言ってもらえるだけで、ヤトは少し心が軽くなったような気がした。 「……でも、もしこれで子どもができたら、君には子どもを産んでもらう。君が育てないと言っても、俺が育てる」  ジェカの言葉に、ヤトはゾッとした。青い顔でジェカを見つめるヤトに、彼はにこりと笑いかける。 「ヤトの子どもなら、きっと美人だろうしね」  ヤトが、恐る恐る口を開いた。 「……お前、頭おかしいよ」 「君が俺を変えたんだよ」  わけの分からぬことを。今はふざけている場合ではないのにと、ヤトはため息をついた。 「帰る」 「まだ居ようよ。どうせ学校は始まっちゃってるし、君体調悪そうだし」 「…………なら、時間いっぱい寝る。起こすなよ」 「うん、いいよ。おやすみ、ヤト」  ヤトは横になり、目を瞑る。それからしばらくしても起き上がらないのを見て、ジェカは微笑んだ。 「……君は本当に……」  ガードが堅いのか緩いのか分からない。ヤトはすぐに眠りについたようで、ジェカの声には反応しなかった。昨日自分を犯した男の目の前で、腹を晒して眠れるヤトの気が知れない。 「……そんなだから、君は悪い男に捕まるんだよ」  ジェカがヤトの目にかかる髪を払い、そっと頬をなでた。このまま起きないようなら、キスでもしてしまおうか。 「…………かわいそな奴」  そっと顔を近づける。いつ、その長い睫毛が上を向き、トパーズと目が合うかとはらはらする。 「……ふ」  ジェカはそのまま頭を離した。 「……ふ、ふふ、セックスしておいてキスで躊躇うなんて、なんかばかみたい」  くつくつ笑って、ジェカはソファーに座った。 「……本当にばかだなぁ……」  日は高く昇り切っていた。青い空が眩しかった。

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