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マングースとハブ 第四話

マングースとハブ編  第四話「美食」  「ねえねえ、聞いた? セントラルシティにめっちゃでっかい水族館ができたって!」 「…………」 「興味ない? 俺はある!」 「…………」 「ねえヤト、聞いてる?」  ヤトが、イヤホンを耳から外して、ジェカを睨みつけた。  ほのかに夏の匂いのする六月下旬。彼らが出会ってからは、およそ二ヶ月が経過した。周りはもう、ジェカとヤトのことなど気にもとめていなかった。 「行かねぇ」 「えー、まだきいてないのにぃ。おねがい、ね?」  両手をすり合わせるジェカを見て、ヤトは心底面倒そうな顔をした。 「行かねぇ」  彼の「おねがい」には、もううんざりだった。ヤトはジェカを机から押しのけると、再び耳にイヤホンをつけようとした。しかし、その手はすぐにジェカに掴まれる。 「……ヤト」  ジェカが、低い声で名前を呼んだ。ヤトはびくりとして、ジェカの顔を見た。 「な、んだよ……」 「おねがい」  それはもう、もはや「命令」ではないか。そんなことを考えている内に、ヤトは頷いていた。 「やったぁ、うれしいなぁ」  ジェカの声はあまりに無邪気だった。  ジェカと約束をしてから三日後。ヤトは、人が多く騒がしい駅前にいた。休日ということもあってか、道行く人々の顔は、普段より明るいように思える。およそ二十分後、ジェカは待ち合わせの二分前に集合場所に現れた。 「……あれ、早いねぇ」  ヤトの姿を見つけるなり、ジェカはとたとたと駆け足で寄ってきた。 「ばっくれられるかと思ってた!」 「……俺はそんなに命知らずじゃない」 「ふふ、そうだよねぇ。ヤトは嫌な奴だけど、いい子だもん」  彼が明らかに面白がっているのが分かり、ヤトは舌打ちをして歩き出した。 「わわ! ごめんごめん。強い奴の決めたこと、守らないと怖いんだもんね? 俺はそういうの分かんないけどさ!」  ジェカはヤトの腕を掴んで、彼を引き留める。ヤトはおとなしく立ち止まった。 「俺って少し他人より獣性強いんだよね。よく知らないんだけど、なんか……いい血統らしいよ! まあ大昔に聞いた話だから、よく分からないんだけどさぁ。あ、ねえねえ、ヤトはどういう家なの? 珍しい種族だから、愛玩血統かな?」 「……うるさい」  ジェカの長い言葉を、ヤトは一言で切り捨てた。そのすぐあとで、少しくらいは言葉を返してやるべきだったかと、ヤトはジェカをちらと見る。しかし、ジェカは特に気にしていないのか、呑気にへらへらと笑っていた。 「…………それで?」  ヤトはため息まじりにそう言った。 「……ん?」 「んじゃねぇ。どこのホテル行くんだよ」  きょとんとした顔で、ジェカがヤトを見つめる。ヤトは眉をひそめ、ジェカと向かい合った。 「お前、俺とセックスするために呼んだんだろう」 「は!?」 「……違うなら、俺に金でも集めさせるつもりか?」 「違うよ! 俺を馬鹿にしてるの?」 「なんで怒ってんだよ」 「当たり前だろ! 俺は、純粋に君と水族館に行きたいのに、君は俺が、君を抱くためだけに呼んだと思ってんだろ!? 怒るよ! 当たり前だろ!?」 「やめろ、うるさい」  ヤトにそう言われて、ジェカは項垂れた。 「……俺は……本当に君を大切にしたいと思ってるよ。大事な大事なお友達だもん」  まるで本心でも口にしているかのような彼の姿に、ヤトは驚愕した。次の瞬間には、思わず言葉が溢れていた。 「…………友だち? あんなことをしておいて?」 「だって、俺はヤトのことが本当に大好きなんだ……。ずっと君と話がしてみたかった。あの日は、確かに酷いことをしたかもしれないけど……、でも、やっと君を手に入れられると思ったら、もう……」  ヤトは、ジェカの話を、まるで他人事のように聞いていた。 「……あんな、ちょっとした事故みたいなものを、まさか君がそんなに引っ張ると思ってなかった。酷いことするんだね。あれは……あれは誰も悪くないんだよ? ……俺はてっきり、君は忘れてしまうか、忘れたふりでもするもんだと」  ジェカは耳をしゅんと倒してそう言った。呆気にとられて黙りこくっていたヤトは、数秒経ってからようやく口を開いた。 「お前……他の人に同じことして同じこと言ったら殴られてもおかしくないぞ」 「そんなの、当たり前だろ。君だからこう言ってるんだよ。……それとも、ヤトはあのこと、まだ気にしてるの?」  ヤトは目を瞬かせ、彼のことをまじまじ見つめた。 「いや、別に……。腹は立つけど……。ただ……お前が本気で友だちだとか馬鹿げたことを思ってるとは……思わなかっただけで」 「だから、『金でも集めさせるつもりか』なんて、あんな酷いこと言うんだ! 俺のこと悪魔か何かみたいに!」  ジェカは胸元で腕を組み、ヤトの顔を睨み上げた。ずっと赤黒いと思っていた瞳は、案外柔らかい琥珀色をしていた。 「……本当に、お前は俺とただ水族館に行きたいのか?」 「そうだって言ってるでしょ」 「…………楽しいのかよ、それは」  ヤトはそんなことを吐き捨てながら、駅を目指して歩き出した。ジェカはヤトに走り寄って、その背中に飛びかかった。 「当たり前でしょ! 君といると飽きないよ」  ジェカのその言葉が本当でも嘘でも、どちらでも良かった。その言葉の真贋がわからずとも、それは確かにヤトの心を落ち着かせたからだ。 「……そりゃおめでたい頭だな」  ヤトの言葉に、ジェカが少し笑った。  水槽の中を悠々と泳ぐ魚たち。自分の頭上よりうんと高くへと飛び立っていくその姿を見て、まるで自分たちのほうが囲われているかのような錯覚を覚える。 「……あ! 見てよヤト、おいしそうなイワシ!」 「おいしそうって……」 「いいな……イワシ食べたい……」 「…………魚が好きなのか」 「ん? 違うよ、見てたら美味しそうになってきたの。イワシの口になったってやつ!」  ヤトはジェカの後を追いつつ、ゆっくりと水槽を見て回る。ジェカは決して心から楽しそうには見えなかったが、退屈そうにも見えなかった。 「いいなぁ。海って憧れるよね」 「……そうか? サウスシティじゃ、一歩南に出たらすぐ海だろう」 「分かってないなぁ。海は海でも、海の中だよ! キラキラしてて楽しそう!」 「海の中は真っ暗だろ」  ヤトがそう言うと、ジェカはムスッとした顔で振り返った。 「そんな深海の話じゃないもん。もっと浅瀬の……珊瑚礁とかあるところの話だもん」 「……それなら、綺麗かもしれないな」  ヤトは呟いた。珍しく好意的な言葉に、ジェカの目が輝いていた。 「うん! 絶対に綺麗だよ、行ってみたいんだぁ。俺、内陸部の生まれだから、海って特別感あって大好き! あっ、海にはウミヘビって蛇がいるんだよ! 知ってる? 泳げる蛇だよ! ヤトは泳げる? 俺は泳ぐの苦手だけど、でも、ダイビングしてみたいんだぁ」  ジェカはツカツカとヤトの前を進みながら、永遠を感じるほどに、止まることなく喋り続ける。しばらく歩くと、道の先に、狭く暗い洞窟のような分かれ道が見えた。どうやら、洞窟の中を一周して同じ場所に戻ってこられる構造らしい。 「あ、こっち深海コーナーだって! …………あれ? どした?」 「……何が『どした』なんだ」 「ヤトは来ないの?」  ヤトは苦い顔をした。それを見たジェカが、不思議そうに首を傾げ、ヤトのそばまで戻ってくる。  ヤトはジェカから目を逸らし、俯くと、小さく首を振った。 「……俺はいい。ああいう……囲われた狭いところは苦手なんだ」 「えーっ、ヘビなのに?」  ヤトはほんの少し言い返してやろうかと口を開いたが、何も言わないまますぐに閉じてしまった。彼の前で、見栄のために言い訳など、もう今更だ。 「じゃあ俺一人かぁ。さみしいなあ……」  ジェカはそうぽつりと呟いて、おとなしく一人でトンネルの中へ入っていった。人がすぐに消えてしまうほどの暗闇に、ヤトは背筋が震えた。  ヤトは辺りを見渡し、側に誰もいないベンチを探した。しかし、どれも歩き疲れた人がぽつぽつと座ってしまっている。仕方ないと壁際に寄ろうとしたとき、ヤトの肩を誰かが掴んだ。 「……ヤト」  その低い声は、ヤトの身体を一瞬で硬直させた。 「やっぱりヤトだな! いやあ、生きてたか。美人になったなぁ」  忘れもしない声。あの頃と、全く変わらない。そばで、カツカツとヒールの音がする。足が固まる。身体が痛くもないのに痛むようで、ぎゅっと唇を噛んだ。 「……ほら、こっち見てみろよ」  ヤトは、言われた通り、その声の主の方を真っ直ぐに見た。顔を上げると、そこには腕にジャラジャラと飾りをつけ、いかにも怪しげな格好をした、濃い灰色の髪の男が立っていた。 「…………ああ、ほんとに美人になっちまった。これなら、どっかに高値で売れたかもなぁ。やっぱ手放すんじゃなかったかな」 「……おにい、さん」  “お兄さん”。幼い頃ヤトを支配していた、テドという名前のドブネズミだ。 「いやぁ、肉売りだった頃を思い出すな。アレは効率は悪かったが、楽しい仕事だった」  テドは、あの頃と変わらない短い髪を揺らし、くつくつ笑った。 「…………誰かと遊びにでも来たのか?」 「……ぅ、……っ」 「そんな顔するなよ、な? あんときは置いていって悪かったな。お前が裏切るもんだから……。でも、俺はまたお前に会えて嬉しいよ……」  ヤトの頬に、テドの手が伸びる。この鋭い爪で、内側を割くように、彼はヤトの中に触れるのだ。 「だがお前も良くないよ……馬鹿でいればよかったのに……。反抗するな、疑問も持つなっていつも言ってただろう。そうすれば、お前は今頃、こんな惨めな生き物じゃなくて、王族の食べる立派な高級料理になってただろうよ」  忘れもしない、暗い日々。身体の痛み、砂の味、血の匂い。ヤトの頬に、冷たい指先が触れる。ヤトは思わず強く目を瞑った。 「……うわッ!?」  バシンと大きな音がして、テドの手がヤトから離れた。ヤトは驚いて目を開き、目の前の、その背中を見た。 「…………触るな」  ジェカが、鋭い目でテドを睨んでいた。黒い瞳は、光を浴びてうっすら赤く光っている。 「……なんだ、随分なお連れ様だな、ヤト」  テドはジェカの目をじっと見つめて、それからくつくつ笑った。 「まあ、端くれか。このくらいじゃ、もう『純血』とは言い難いな。あのオズベルだって殴れそうだ」 「……ジェ、ジェカ! いい、やめろ、お兄さんは魔法師なんだ。お前に勝てる相手じゃ……!」 「ふーん、そう」  腕にしがみついたヤトには目もくれず、ジェカは低く唸りながら、テドだけを睨み続けていた。 「…………関係ない。どうだっていい。ヤトに触ろうっていう奴は、みんな俺の敵だ」  ジェカの声に、ヤトのほうがゾッとした。テドは暫くジェカをじっと見つめていたが、やがてくつくつと笑いだした。 「あのなあ、俺あ、別にそいつには用事ねぇよ。たまたま会ったからちょっと声かけただけだろうが。……はあ、これだからキチガイ血統は。やめだ、やめ」  テドは飄々とした態度でくるりと方向転換した。 「おい、帰るぞ」  テドは、突然誰かに向かってそう言った。すると、いつの間にか、ニタニタと笑う賢そうな男がそこに現れた。ヤトはジェカの腕をぎゅっと掴んだまま、彼の目線の先を見ていた。 「……なんだ、仕事に誘うのはやめるのかい?」 「聞こえてただろ。アレは純血だ。早く帰ろう」 「はは、オズベルみたいなことを言うんだな。君は純血なんて怖くないだろう」 「なら、お前はあの人の血統と関わりたいのか?」  テドが話しかけた男は、右目だけを細め、苦笑をこぼした。 「いいや、帰ろう。悪いものには近寄りたくないからね」  テドと男は、するりと煙のように姿を消した。彼らの匂いが消え、ジェカはふっと身体の力を抜いた。  その瞬間、ヤトは脱力して床にへたりこんだ。 「だ、大丈夫? 椅子に座ろうか」 「いい。いい」  ヤトは何度か同じ言葉を繰り返して、息を切らしながら立ち上がった。身体が小さく震えているのが分かる。 「……歩く、歩こう」 「落ち着けよ、そんなに急ぐことないよ。大丈夫だから……」  二人は一度屋上に出ると、近場のベンチに腰を下ろした。イベント会場として使われているらしいだだっ広い空間には、今は誰もいない。ジェカはヤトの顔を覗き込んだ。彼の顔は、血の気が引いて、真っ青だった。  ジェカが、ヤトの肩に手を触れようとしたとき、ヤトはジェカの手を勢い良く払い除け、怯えた瞳で彼を見た。 「……ごめん。……肩、触ってもいい? 君を落ち着かせたいんだ」  ジェカの声はあまりにも優しかった。ヤトは、小さく頷いた。 「ありがとう。触るよ」  ジェカはそっとヤトの肩に触れる。そのままゆっくりと撫でられると、幾分か心が落ち着いた。 「……きいてもいい?」 「……ああ」 「あれは誰? どうして君を?」  ヤトは俯いたまま、数回瞬きした。 「……おれ、は……子どもの頃、……誘拐されて、クラウンタウンの食肉工場にいた。あの人は、そこの肉売りで……」  そこまで言って、ヤトはまた口を閉ざしてしまった。頭を抱えて、苦しそうに俯いている。 「……いい。いいよ、無理して話さなくても」  ジェカはそう言って、ヤトの背を撫でた。  ヤトは瞬きを繰り返す。しばらくして、ヤトはジェカの胸に手を当てた。 「…………もう、触らなくていい」 「うん、そう」  ジェカがぱっと背から手を離すと、ヤトは膝の上で手を組んで、ゆらりと顔を上げた。目には薄っすらと涙が浮かんでいて、それが綺麗だった。 「あの町には、『躍り食い』……ってのがある。王族だけがやる……獣人の食べ方だ。生きたまま、獣人を食べるんだ」  ジェカは何度か瞬きを繰り返し、慎重に尋ねた。 「それは……狩りをするってこと?」 「……いや、狩りとは違う。獲物は逃げないからな」 「逃げない?」 「……『踊り喰い』の獣人は、綺麗で従順だ。そいつらは、皆……『食べられたい』と思ってる」  ジェカは小さく眉をひそめた。 「どうして?」 「さあな……獣人ってのは気味悪い生き物だから……。上手く調教すればそういう性癖にもなるんだろう」  ヤトは自分の腕を見つめて言った。 「……人気あるぜ。よだれ垂らしてる奴の前で、自分から腹見せて、食われて興奮する……ちゃんとそうなれる獣人は希少だからな……」 「……ねえ、じゃあ、君は……」 「…………俺は、馬鹿にはなれなかった。自我がしっかりしてきた頃、踊り喰いにはできないと見切られた。でも、食用にするほど身体に大した肉も付いてなかったから……、その後は、お兄さんの仕事の手伝いをしてた」  ヤトは俯いて、ぎゅっと拳を握る。 「だが、ずっと残ってる……。この身体に、精神に、焼き付いて離れないんだ」 「だから、君の獣性は無茶苦茶なんだね」  彼が支配されることを望むのは、そう調教されているから。そういう欲望を持ってしまっているのだ。彼の中身はもう、ハブなどではあり得ない。  ジェカはヤトの背を撫で、耳元で囁く。 「……俺は嬉しいよ。君がそういう獣人で」  ヤトは驚いてジェカの顔を見つめた。彼は僅かに笑っていた。 「だって、君がただの肉食だったら、俺たちの相性悪かったはずだもん。それって、とっても残念でしょ。だから嬉しい。何も悲しむことなんかないよ」  ジェカの顔は、本当に嬉しそうだった。  彼は悪魔だ。ひとの不幸を、平気で喜んでしまう。 「……また酷いことを言うんだな。お前、周りと本当にまともなコミュニケーション取れてるのか?」 「そう? 俺は、君のほうが酷いと思うよ」 「……そうだな」  ヤトは小さく笑った。馬鹿らしいと思った。  自分にとってどれだけの不幸だろうと、彼にとっては幸運なことなら、もうそれでもいいような気がした。 「……ありがとう」  ジェカが、変な顔でヤトを見つめていた。 「ヤトもそんなこと言うんだねぇ」  ジェカは嬉しそうにヤトに抱きつくと、腕に力をめいいっぱい込めた。 「でも、ほんとはね、俺は多分……何でもいいんだ。君が草食でも肉食でも、中身が何でも、どうでもいい。ヤトなら、もうそれでいいんだ」  ジェカは甘えて擦り寄るような声を出す。それから、ゆっくり顔を上げた。 「……帰ろうか。疲れただろ?」  ジェカはそう言って、にかっと笑った。  二人は水族館を出て、駅の近くの店で遅めの昼食を取った。それから電車に乗って、サウスシティの駅に到着した。 「……送るよ、最後まで」 「…………そんなのいい」 「だめ」  ジェカはヤトの横に付いて歩いた。ヤトはジェカから目を逸らしたまま、気まずそうに言った。 「……悪かった」 「ん? なにが?」 「楽しみにしてただろう、水族館」  ジェカは、ああ、と笑った。 「いいよ。君と行く水族館に価値があるんであって、水族館自体には価値はないからね」  ヤトは何も言わなかった。どちらも何も喋らなかったが、家までの道程は、なんだか行きよりも短く感じた。 「……じゃあ、また明日ね。身体気をつけて」  家の前まで来ると、彼はヤトを置いて、すぐに踵を返した。 「あ、なんかあったら言ってね!」  ジェカは手を振りながら、にこっと笑った。完全なる善意。気味が悪いほど、ジェカはヤトを大切に思っている。それが分かったから、ヤトは気付けば言っていた。 「……上がっていけよ」  ジェカが驚いた顔で、へ? と呟いた。 「……家。……何もねぇし、誰もいねぇけど」 「いいの?」 「菓子が余ってる」  ヤトがちらりとジェカを見ると、ジェカは琥珀の目を輝かせ、笑った。 「……嬉しい、ありがとう!」  ジェカの言葉は、嘘ではなかった。ヤトは小さく頷いて、家の鍵を開けた。ボロボロのアパートのワンルーム。ジェカは部屋の中を見渡した。 「……面白いものはねぇよ」 「俺、友達の家初めて来た」 「は? 嫌味な冗談だな」 「ホントだよ。俺、他人ん家とか入らないもん」  ヤトは怪訝な顔でジェカを見つめた。彼は、今でこそ少し浮いた存在だが、元々は人気者だった。友人も多かったはずだ。 「……潔癖か?」 「そう見える? 見えないでしょ。他人に興味ないだけだよ」 「…………なら、どうして俺の家にあがったんだ」 「うーん、下心かな」  ジェカはくつくつ笑って、ヤトの目を見た。夕日に照らされた瞳が、うっすら赤く色づいている。 「…………そういうところだよ、君の」  ジェカはゆっくりとヤトの頬に手を伸ばし、優しく撫でた。鋭い爪が肌を掠め、ヤトはぴくっと小さく反応した。 「……する、のか」 「ふふ、しないよ。君が辛そうにしているのにするわけないだろ」  ジェカはへらっと笑ってヤトの頭を撫でた。 「俺はね、君が大好きなんだ!」  ヤトが、少し俯いて尋ねる。 「……なあ、それ、どういう意味で言ってるんだ」 「……どういうって、どういう?」 「…………やっぱなんでもねぇ」  ヤトはジェカから顔を背けた。ジェカは顎に手を当てて、少し考える。 「…………大好きは大好きだよ。俺にもよく分からないんだ」  そう、馬鹿みたいなことを言って、ジェカは笑った。

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