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マングースとハブ 第六話
マングースとハブ編
第六話「堕ちる」
「…………冗談だろう」
「冗談だと思う?」
「……少なくとも、ジェットコースター待ちの時間にする話ではないと思う」
ジェカはあははと笑って、前との間隔を少しだけ詰めた。
日が昇って、それなのに、ちっとも暑くない。
「……本当だよ。俺の首輪確認してみなよ。ほら、ジェカ・フルーレだろ」
ジェカの持っている首輪には、確かに「ジェカ・フルーレ」の文字があった。ヤトは奥歯を噛み締める。
――なんだか、多分、少し浮かれていた。
ヤトは自分の胸を掴んで、ゆっくりと口を開いた。
「…………お前は、一体なんのために俺の目の前に現れた……? ……敵討ちが目的か?」
「そんなわけないじゃん。何言ってんだよ、話聞いてた?」
ジェカが呆れたような顔でそう言い放ち、ヤトはあっけにとられた。ジェカは自分の胸に手を当てて、にっこり笑った。
「俺は君が大好きなんだよ。そりゃもう、言葉じゃ言い表せないくらい。そうだな……、例えるなら、悪魔に心を奪われているような感じだよ!」
ジェカは踊りださんばかりの勢いで、ヤトの手を取りその場で跳ねた。
「君にはじめて会ったとき、こんなに綺麗な人がこの世に存在するなんてって思ったんだよ。どうしても俺のものにしたいと思って。これはきっと、きっと、恋ってやつなんだよ! ……あれ、もしかして、これが吊り橋効果ってやつなのかな?」
「……お前、頭おかしいんじゃないか」
「あはは、狂わせたのは君でしょ」
ジェカはヤトを指差して、それから彼の胸に手を当てた。
「…………俺、知ってるんだぁ、君たちがどうしてフルーレ家を狙ったのか」
「……それは……」
ジェカは眉と耳を少しだけ下げた。
「……あの日はさ、俺の父さんと母さんが、クラウンタウンへボランティアに行った次の日だったよね。……あの人たちは、平和ボケした緩い頭の獣人 だった。分かってないんだよ、あの街で、恩を無償で配ることの怖さをさ。あの街の王様は、きっと殺せって言ったんだね、自分の権力を脅かそうとする存在を」
ヤトはどうにかしてこの男の口を止めなくてはと思った。そうでなくては、自分はもう、きっとどうにかなってしまうと思った。
ジェカの腕を掴むと、ジェカはヤトの腕を掴み返し、にっと笑った。
「……そして、それは君の仕事だった。でも、俺が運良く生き残ってしまった。……だから、『お兄さん』に裏切ったって思われたのかな? 違うのにね、ちゃんと仕事はしてたのに。だって、君はちゃんと俺の両親を殺して、その首輪を今持ってるもん」
「だまれ……、お前……ッ」
ヤトは声を絞り出した。
可哀想に、とジェカが言う。その気持ちが嘘なのか真なのか、全くわからなかった。
「うん、ヤトは嫌だったんだね。でも、それがその時の君の仕事だった。君が殺したことは事実だよ」
ジェカはヤトの頭を撫で、また手を握った。ただ繋がれているだけの両手が、ぴくりとも動かせなかった。
「ねえ、あのとき、二人が突然動かなくなったんだよ。あれは魔法? 君は魔法が使えるの?」
「……俺じゃない……」
ヤトは小さく首を振る。ジェカはぱっと笑った。
「そっか! じゃあ、やっぱり、君はとどめを刺しに来たんだね!」
自分は今、何と話をしているのだろう。
ヤトは、小さく震えていた。この目の前の生き物が、今、自分を食らおうとしている。一度でも選択を間違えれば、その次には確実に死んでしまう――そんな気がしていた。
「……『お兄さん』も酷い人だね。ヤトも、一生懸命奉仕した恩を仇で返されちゃったんだね。ホント、善人って損ばかりだよね。なるものじゃない」
ジェカはやれやれと首を振った。いつもの声音、いつもの調子。話が少しも分からない。
ヤトは自分の胸元に爪を立て、肩を震わせた。
「…………だったら、なんだって言うんだ」
ヤトは、できる限り平静を装い、低い声で言った。威嚇のような声を聞き、ジェカは少し微笑んだ。
「……俺が、お前の親を殺したからなんだ。殺される方が悪いんだろう! 善人が人から敬われて、幸せな死を迎えるなんて、そんなもん、百年戦争よりもうんと昔の、ヒト時代の話だろ……! 今は、そういう時代じゃねぇんだよ! 殺されるような奴が悪いんだ!」
ヤトはそう叫んだ。周りなど見えていなかった。ただ、誰かにそう言いたかった。
「うん、そうだね」
ジェカはあっけらかんと笑ってみせた。どっと汗が吹き出る。何なんだ、この男は。
「どうしてそんなことをわざわざ言うの? ……ああ! 君は後ろめたいんだね! 大丈夫。俺はちっとも気にしてないもん。あ、それとも、理由をつけて許されたいの? そんなのもっと大丈夫。誰もはじめから憎んでないよ。少なくとも、今生きている獣人はね!」
ジェカはカラカラ笑う。
分からない。どうしてそんな酷いことを言うのか。言ってほしかったのはそれじゃない。もっと、もっと酷くて惨い言葉だ。生きていられないくらい。死んでしまいたいと思えるくらい。
「殺された俺の両親の運がなかったんだね。彼らはそういう星のもとに生まれたんだよ」
ジェカは、ずっと笑っていた。しかし、ヤトが戸惑ったような、混乱しているような、そんな顔をしていたので、だんだんと笑うのをやめてしまった。
「…………だって、分からないの。俺、だって、両親に思い入れなんか、なかったんだもん。父さんも母さんも大好き。でも、それだけだよ。だって、もう死んじゃったんだ。それ以上なんてないよ……」
ジェカは、まるで誰かに叱られているかのように、泣きそうな顔で俯いた。
「だって、だってあの日は、俺にとって、ヤトが俺の前に舞い降りた素敵な日なんだ。……変なのは分かってるよ。でも、本当に、俺にとっては、母さんや父さんのことよりも、君のことが大きな出来事だったんだ……」
ヤトは更に困惑した。ジェカが、今まで見てきた中で、最も獣人らしい表情を浮かべていたからだ。彼にこんな顔ができるとは、思っていなかった。彼も困惑したり、理解できないものを悲しく思ったりするのだと、初めて知った。
「……どうして恨まれたがっているの? ヤトはとっても後悔してる。分かってるから、俺はもういいんだよ。もうそれでいいじゃん。よくある殺人事件だもん。たまたま俺が被害者だっただけ。とっくの昔に許してるんだよ。……でも、君が許されないほうがいいって言うなら、俺はそういうことにしてもいいよ」
「そういうことじゃないんだよ……」
「じゃあどうしたらいいの……?」
ジェカの表情は、まさに迷子の子どものようだった。
「どうしたら、君は罪を赦されるの……? どうしたら、君は満足するの……?」
「……許されることじゃねぇんだよ」
「分からないよ。君は確かに許されたがっている。そして、俺はその罪を許そうとしている。でも、許したらダメなの?」
ジェカはしばらく考え込んでいた。立ち止まった二人を置いて、列は前へと進んでいく。ヤトは彼の言動に、目眩がするようだった。
「…………話すんじゃなかった。君がそんな顔をするなんて思わなかったんだ」
ジェカは歩き出した。二人は長らく黙ったまま、列におとなしく並んでいた。
「分からないなぁ……」
階段を登りきった先で、ジェカは、そうぽつんと呟いた。
それが彼のことなのか、自分のことなのか、ヤトには分からなかった。
「……ねえ、前のほうに乗ろうよ!」
彼はヤトの腕を引っ張った。ヤトは呆気にとられて固まってしまう。ジェカは振り返り、にっと笑った。
「考えるのめんどくさい!」
係員の指示に従って、ジェットコースターに乗り込み、安全バーをおろして待つ。ジェカは呑気に辺りの獣人に手など振っていた。乗り物はゆっくりと動き始める。登る。高く登る。そして、急降下する。ジェカが楽しそうに声を上げた。
このジェットコースターが走り続けている間、ヤトはずっと、このコースターから飛び降りることばかりを考えていた。しかし、考えるだけで、あとは何も浮かばない。
結局、自分は罪の意識くらいでは死ねないのだと思った。ジェカはヤトをよく理解していた。結局、ヤト自身も、仕方のないことだと思っているのだ。それを分かっていたから、彼は、ああいうことを言った。そして、否定してくるヤトに驚いたのだろう。
「ねえ、ヤトが罪を感じながら、俺も得する方法を見つけたよ」
上機嫌のジェカが、ジェットコースターが止まるやいなやそう言った。
「……そんな話をしているんじゃ……」
「俺と付き合ってよ」
「はあ?」
思わず大声が出る。ジェカはケタケタ笑いながら、安全バーが上がると同時に立ち上がった。
「俺は君が大好きだから、君を好きにできたら嬉しい。そして君は、俺を見るとツラいはず! 君の望み通り、罪は許されることなく、俺が得をする。これって、“うぃんうぃん”ってやつでしょ?」
ヤトは、もう一言も発することができなかった。階段を駆け下りた先で、ジェカは楽しそうに言った。
「……ねえ、俺と一緒にいよう!」
ジェカは、夏の青い空の下、明るい笑顔を向ける。眩しい太陽に照らされた陰の下で、瞳が赤く煌めいた。
「……考えろよ……もっと、ちゃんと……。おかしいだろ、そんなのは……」
ヤトは途切れ途切れに、なんとかそう言った。ジェカはクスクス笑う。
「……考えたらおしまいなんだよ、俺たち多分」
ジェカはそう言った。
自分が抱えているこれは、きっと、愛でも恋でも何でもない。けれど、それを考えて、何になる。この身を焼くほど強い感情を、理解した先にあるのは、きっと地獄でしかないだろう。正解など存在しない。いつだって、信じたものが正しいのだ。
ジェカはヤトの腕を掴み、目を細めた。
「俺と一緒に堕ちていこうよ。一緒なら、きっと地獄の底だって楽しいよ!」
ヤトの視界が、ぐにゃりと歪んだ。何事かと驚いて、ヤトが自分の手を顔に持っていくと、生暖かい水が指先についた。
「…………泣いてるの?」
ジェカの言葉を聞いて、初めて、自分は泣いているのだと理解した。なぜ泣いているのか、自分のことなのに皆目見当もつかなかった。
「……ごめんね、違うの。俺は君を責めてるんでも、悲しませたかったんでもないんだよ。君が、君が許されるべきじゃないって、そう言うから……」
ジェカはヤトの身体を抱きしめた。
「……泣かないで、お願い。俺も悲しいよ」
ジェカは、本当に悲しそうな声でそう言って、ヤトの背中を撫でた。ヤトの頬は思わず吊り上がる。それは、自らを嘲り笑うものだった。
「…………分かった。もう全部お前にやる。お前の好きに罰してくれ」
ジェカは、心底幸せそうに笑った。
「俺は、ずっとお前がほしかったんだ」
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