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マングースとハブ 最終話
マングースとハブ
最終話「憎悪」
「おい、聞いてるか、ジェカ」
「……ん? 聞いてない! なんだっけ」
ジェカがあっけらかんとそう言うので、ジャックは飽きれた顔をした。ジェカはゆっくりと机に肘をつく。
「お前……ぼーっとすんな! アルティルに電車通す話!」
「ああ! あはは、見たよ、見た。お前の案でいいと思うよ! 役所とはそれで調整する予定。でも、アルティル、観光名所にはならないと思うなぁ。クラウンタウンある内はね」
「……仕事はしてんのかよ」
ジャックは気怠げな動きで自分の席に戻っていく。デスクの上に置いてあったぬるい缶コーヒーを流し込んで、彼はため息をついた。
「ったく……ちゃんと話を聞けよな」
「いつもはちゃんと聞いてるでしょ。たまたまウエノソラだったの」
「そうかぁ? お前何聞いてもちょっと外れたことばっかり言うぞ」
「えー、スピカそう見える?」
真面目で無口な後輩は、ぴょこんと耳をはねさせて顔を上げた。彼は感情のない瞳でこちらを見たあと、首を振った。
「いえ……話は聞いていらっしゃると思いますよ。ただ、ジェカ先輩は多分、大抵のものに興味がないんだと思います」
「わー、せいかーい」
ジェカはパチパチわざとらしく手を叩いた。このコアラ族の青年、スピカは、他人をよく見ている。そうして、まるで何か見えているかのように、的確に心の内を言い当てる。ジェカにとっては、あまり近付きたくない獣人 だ。
スピカは、人畜無害そうに見えるが、案外自分に似ていると、ジェカは思っていた。身体の内側。何か、芯のようなものが、特に。
「だって、どーでもいいじゃんねぇ……。興味ないもん」
「お前たちはもう少し自分の夫以外のものにも興味持ったほうがいいと思うぜ」
「はは、それは無理だね」
ジェカは笑いながら肘をつく。
「だって俺たち、もう心奪われちゃってんだもん」
ジャックが、また一段と大きなため息をついた。
「ただいまぁ」
玄関の扉を開くと、左奥のリビングから光が漏れていた。大声を出したのに、家の中はしんと静まり返っている。苦笑をこぼしながら、ジェカはリビングの扉を開いた。
「もう、ただいまって言ってるでしょ! 無視しないでよぉ」
「……ジェカ」
「ただいま」
リビングのソファーには、ヤトがおとなしく座っていた。彼は、おかえりと言って本を閉じ、ジェカを見上げた。
「お腹空いたぁ。何食べる?」
「お前が決めればいい。……俺は分からない」
「そ。じゃあ余ってる野菜でスープとか作ろっかなぁ」
ジェカはスーツを脱ぎ、土汚れの酷い作業着を鞄から取り出して、風呂場に投げ入れた。洗面所で手を洗うと、ジェカはまたリビングに帰ってくる。ヤトはソファーに座ったまま、ジェカをじっと見つめた。
「ねえ、その本面白かった?」
「……面白くて読んでるわけじゃない」
「あはは、暇つぶしだもんね」
ジェカは部屋着に着替えると、キッチンに立った。袖を捲りながら、雑に手を洗う。
「ヤト、手伝って」
「ああ……」
ジェカに呼ばれて、ヤトはようやく立ち上がった。ふらつきながら立ち上がった彼は、のそのそとジェカの側までやってきて、手を洗った。
隣に立ったヤトを見ながら、ジェカは少しだけ微笑む。
「手、傷綺麗に治ってきたね」
「ああ……そうだな」
「良かったぁ! ヤトの手に傷が残ったら嫌だったからさぁ」
冷蔵庫を開くと、数日前からここに残っている野菜たちと目があった。ジェカはそれらをあらかた取り出すと、てきとうにシンクに放り込んだ。
「……そういえばさぁ、今日、ひさしぶりに、昔のことなんか思い出しちゃった! 若い子が来たからかなぁ。ほら、昔は色んなところに行ってたよね。水族館行ったり遊園地行ったりしてさぁ。俺もヤトもかわいかったよなぁ」
ジェカはそう言いながら、人参の皮を剥いていく。ヤトはジェカの隣に立って、黙ったまま、ジェカと同じようにしていた。
「まぁた君は黙るんだから……。『うん』くらい言ったら?」
「うん」
言われたとおり、ヤトは頷く。ジェカは手を止めて、苦笑を零した。
「……はは、駄目なんだよなぁ」
包丁をまな板の上に放り出し、ヤトの手を握る。突然のことに、やや驚いたような顔をして、ヤトはジェカを見上げた。
「包丁置いて」
「……ジェカ」
「危ないったら。切られたいの?」
ヤトは一瞬ぴくりと肩を震わせた。それから、ジェカの服をきゅっと掴み、期待を孕んだ目で見上げた。
「……食べるか?」
「食べないよ。美味しくなかったじゃん」
「今は、野菜しか食べてねぇから……。美味くなってるかも……な?」
「ならないよ。お前の頼みでもそれだけは二度と聞かない」
四本指の手を掴み、ジェカはヤトを床に押し倒す。首筋に噛み付くと、ヤトはびくっと飛び跳ねてジェカに抱きついた。
「う……、ん……ッ」
「……お前、そんなに食べてほしいなら、俺じゃなくて誰か他の人に食べてもらってよ」
「……はは……っ」
ヤトは掠れた声で笑う。
「そんなことしたら、怒るだろ」
ヤトの黄色い瞳はぼんやりと揺れていた。ジェカはヤトの服の下に手を差し込み、滑らせる。
「……怒るよ。だって俺のヤトだもん」
「じゃ、あ、テキトなこと、言うんじゃねぇよ……」
ジェカに肌を撫でられ、ヤトは身体をぴくぴくと跳ねさせる。ジェカはヤトの衣服から下着まですべて取っぱらうと、その白い脚を優しく撫でた。
「……だって嫌なんだもん。お前のその被食癖作ったの俺じゃないし。そんなのに興奮して、俺に失礼だと思わないの?」
「ん、はは……お前に興奮してこう言ってるのに?」
「分かんないよ。お前は今なら、誰の前でも腹を見せるかも」
ジェカは白い腹に指を滑らせ、くっと爪を立てた。
「……お前は結局クズなんだ。お飾りの罪悪感で腐るばかりで、いつまでも俺のものにならない」
ジェカはヤトの膣に性器を無理矢理突き刺した。ヤトは少し息を詰まらせ、苦しそうに眉をひそめた。
「は……、俺は、もうお前のもんだろう…………」
「俺は、お前のすべてが欲しいんだ。その汚い過去だって俺のものにしたい」
「ハッ、馬鹿か? ……無理だ、諦めろ」
「無理だからなんだ。俺はほしいって言ってるだろう」
ジェカは低い声でそう言って、ヤトを睨んだ。ヤトはびくりと身体をすくめ、自分の腕をさすった。
「脅かすな、イけなくなるだろうが……」
「勝手に怖がってるのはお前だろ。俺はお前に何も怒ってないのに」
怒ってるだろう。ヤトは苦笑いを浮かべた。
「はぁ……。俺は、お前のために喜んで毒を食うし腕を折る……なのにまだ欲しいのか」
「もちろんそうだよ」
「はあ……、もう……っ」
ヤトはジェカにキスをして、興奮した顔でへらっと笑った。
「……何でもいいだろ、お前に全部やったんだ」
ジェカは、ヤトの肩に噛み付いた。牙が皮膚を突き破るほど、骨が軋むほど。
「あ……あ゙……ッ! ン……、んっ、は……っ、は…………」
「そうだな……どうでもいいや……」
びくびくと射精したヤトの身体を抱きしめて、ジェカは呟いた。
「本当はさ、きっと、人と送る人生って、もっとこう……喧嘩したり仲直りしたりして楽しむものなんだ」
自分の下で腹を見せ、何も考えず、ただ生きている存在を見下ろして、ジェカは震えた。
「でも、どうでもいいなぁ……。ヤトの身体も心も言葉も、全部が俺のものなら、俺はもう、それでいいや……」
ジェカはヤトの頭を撫で、にかっと笑った。
「ま、俺たちヒトじゃないもんね! みんな、本性隠して本能抑えて、感情理解しようってヤケになって、馬鹿みたい。獣人はさ、欲望の生き物なんだ。理性の生き物になんて、なれやしないんだよ。ね!」
ジェカの言葉を肯定も否定もせず、ヤトはただぼんやり彼を見上げていた。
「もー、また黙っちゃって。何か喋ってよぉ」
「……そうだな」
ジェカは笑う。ヤトの頭を撫でながら、ジェカは彼に抱きついた。
「君のすべてが欲しいんだ。過去も未来も全部欲しい。天にだってお前の命を触らせない」
ジェカはそんなことを言って、ヤトの身体に縋るように抱きつく。
「……君の死でさえ、俺のものにするんだ」
この男の人生を、自分を狂わせた悪魔の魂を、自分のものにしたい。この男という存在を食い殺すことでだけ、自分は幸せになれるのだ。
「これでいいんだ、俺たちは」
たとえそれが、傍から見て、気の狂ったバケモノのようでも。これは、そういう愛なのだ。
「…………愛してるよ」
信じ込むように、呟いた。
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