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ナマケモノとタカ 第二章 第三話
ナマケモノとタカ編
第二章 第三話「水の中」
夜七時。人でごった返している駅前で、マキは人混みをじろじろと見渡す。
「こんなでかい建物のこんなわかりやすい場所にいる獣人 見つけられないなんてどんだけだよ……」
マキは文句を呟いて、再び辺りを見回す。やっとのことで、狼狽える白い髪の男を見つけた。
「あ、いた。マヒロ先輩!」
マキが大声を上げる。マキの声を聞いて、灰の髪の二人は顔を上げる。
「こんばんは」
「…………こんばんは」
やってきたマヒロは、にこりともせずに、軽く頭を下げて挨拶をした。
「…………ええと……」
「スピカっすよ」
「すまない、スピカ。こんばんは」
「ふふ、こんばんは」
スピカは、マヒロの態度は気に留めず、にこりと微笑んだ。人の表面ではなく中身を見て生きているスピカには、マヒロがただ失礼なだけの無感情で無表情な人間でないことは分かっていたようだった。
「……あと、こっちがクロトさん。スピカの旦那さん」
「はじめまして、マヒロくん」
クロトがスピカの左隣から手を差し出す。マヒロは遠慮がちにその手を握った。
「…………はじめまして」
「マヒロくん、今日はありがとうございます。水族館なんて楽しみです」
「俺たちだけじゃセントラルシティの水族館には入れませんから、本当に嬉しいです」
二人の言葉に、マヒロは変な顔で一つ頷いた。
今日は、スピカの頼みで、セントラルシティの水族館へ遊びに行くことになっていた。これは先日、スピカがマキに、首輪がなくても入れる水族館を知らないかと電話をかけてきたところから、話は始まった。
「いや……悪いけど俺分かんねぇな……。セントラルシティはだいたい全部駄目っぽいけど……」
マヒロの働く店の入り口に立ち、マキは呟く。ガヤガヤとうるさい声が、ドアの向こう側から響いている。
「そっか……。セントラルシティの水族館……ほら、有名なやつね。あれに一度でいいから行ってみたいって言ってたんだ、クロトさんが」
「ああ……お前ホントいつもそれだな……」
マキは苦笑を溢して、壁によりかかる。
「……マキ?」
「うぉ、びっくりした」
ドアから出てきたマヒロが、怪訝そうにマキを見る。
「……あ、そうだ、マヒロ先輩、この辺で首輪なくて入れる水族館知らない?」
「…………マキ、失くしたのか?」
「俺じゃない、友だちが首輪持ってねぇんだよ。どっか知らない?」
マヒロは首を振る。
「……すまないが、水族館に行ったことがない」
「あー、そうだよな……」
マキは頭を掻く。マヒロは少し項垂れて、それから何か思いついたのか、ぱっと顔を上げた。
「……だが、俺の名前があれば、彼も入れるかもしれない」
マキは複雑そうな表情を浮かべた。マヒロは首を傾げる。
気まずそうに首元を少し撫でて、マキは言った。
「…………なら、俺……俺らと来てくれる? 水族館」
マヒロの目が、きらりと輝いた。
そんなわけで、四人は今、セントラルシティの水族館へ向かっているのだった。
「スピカは植物園のほうがよかった?」
「俺はクロトさんが嬉しそうにしてるの見るのが好きだから、動物園だって水族館だってどこでもいいの。昨日からウキウキしててすごく可愛かったんだから」
「やめてくださいスピカくん……」
スピカとクロトのやり取りを見て、マキはけらけらと、二人を揶揄うように笑う。
その顔を、マヒロはじっと見た。マキは、自分の前ではこんな笑い方は絶対にしない。マヒロは、マキのさまざまな顔を知っているであろう友人のことを少し羨ましく思った。
「……なんか難しいこと考えてないっすか?」
「……いや、なんでもない」
「なら、いいんですけど」
マキはマヒロの横を歩き出す。マヒロは方向音痴であるため、マキを頼りに皆歩いていく。マキは携帯で道を確認しながら、ゆっくり歩いた。スピカは、楽しそうにクロトに街の様子を伝えている。
「……マキ、見てみろ」
「なんすか」
マキは、携帯から顔を上げる。マヒロが指を指す先には、大きな笹があった。
ああそうかと、マキは心の中で思った。今日は七月七日、七夕だ。
「へえ、セントラルシティでも七夕なんてやってるんですね」
「毎年、イーストシティ出身者向けに行われている。……こんなに大きな笹だったのか」
マヒロは、じっと笹を見つめて、ふっと微笑んだ。
「来たことはないんだ?」
「ああ。そもそも出かけたりすることがない。……どこへ行ったって一人だからな」
「……書いていきましょうよ」
マキは思わず言っていた。マヒロは目を少しだけ細めて、俯く。
「何を書くというんだ、今更。……叶うわけでもないのに」
「……叶うかどうかじゃなくってさぁ」
スピカが、クロトに笹の説明をしているのが聞こえる。クロトは楽しそうですねと笑って、こちらへ七夕の願い事を書くことを提案してきた。
「いかがですか」
「……俺は……」
言い淀むマヒロに、クロトはそっと微笑む。
「…………願いとは、願うことに意味があるのですよ、マヒロくん。願いは、生きる力なんです」
「…………分かりました」
マヒロはそう言って、笹の方へ歩き出した。マキが笹の下にある机から短冊を取り、皆に配る。
「はい、先輩」
「……ありがとう」
短冊を机に置いて、ペンを握る。マヒロは、願いを乗せるにしては心もとない緑色の紙切れを見つめた。
「……俺達だけじゃさっきのでもうすでに喧嘩してましたよね」
マキが声を潜めてマヒロに話しかける。マヒロは無表情のまま、そうかもしれないなと言った。きっと、頑固な自分が折れないのを、マキがしょうがないなと言ってくれるのだろう。
「できた。クロトさん、代わりに書きましょうか」
「お願いします」
「マキ、俺これ書いたら飾ってくるね」
「おー。俺もすぐ行く」
マヒロは、ペンを持ったまま、彼らのやり取りをぼんやりと見ていた。あの二人は、雰囲気がよく似ている。お互いを尊重し合って、きっとこれからも、いい夫婦でありつづけるのだろう。不思議と、心に羨ましさや嫉妬は生まれなかった。
ふと目線をそらし、マキを見ると、マキは紙を見つめて、じっと考えこんでいた。マヒロは、その横顔を凝視する。
「……なんですかもう、書きづらいな」
しばらくしてから、マキが困った顔でこちらを見上げた。
「何を書いたらいいか分からないから、お前のを参考にしようかと」
「あんたの願いじゃなきゃ意味ないでしょ。なんでもいいんですから。美味しいものが食べたいとか、いい酒が飲みたいとか」
「何でも…………」
マヒロには、願うことがなかった。夢も希望も持てぬこの状況で、一体今更何を願えばいいというのだろう。黙り込んでしまったマヒロを見て、マキは頭を掻いてため息をついた。呆れられたかと思って再びマキを見ると、予想に反し、マキは短冊に文字を綴りだしていた。
「……俺の願いなんて、これだけなんですよ」
マキはそう言って、書き終えると同時に短冊を持って、逃げるようにスピカたちを追いかけていった。
「…………『マヒロ先輩が、幸せでありますように』」
マヒロは小さい声でマキの短冊の内容を反復すると、自分の短冊と向かい合った。ペラペラの薄い紙で作られた、緑色の短冊。
「『マキが』……」
マキが幸せであれますように。綴ろうとした手が止まる。マキが幸せになるということは、自分のことを忘れて他の誰かと幸せになるということ。
いつもは、マキに新しい出会いをやりたいなどと綺麗事を言うくせに、自分の願い事として書くのは、どうしてかはばかられた。
「……マヒロ先輩、終わった?」
「…………ああ」
「あれ、短冊は?」
「もうつけた」
短冊をポケットに突っ込んで歩き出す。願い事は書けなかった。
「こっちに来て一緒のところにつければよかったのに。知ってる? 高いところにつけると、神様が空から見つけやすから、願いが叶いやすいらしいよ」
「……神様というと……"はじまりの獣人"が?」
「あ、いや……多分これヒト文化だから、ヒトの神様だと思うけど」
そういえば、昔から、神や他人に何かを願ったことはなかった。兄弟から罵られても、父親に結婚を決められても、頭が良くなりたい、結婚したくないと願うことはなかった。
マヒロが人生で願いごとをしたのは、たった一度だけ。自分の人生の自由が終わりを告げるそのときに、「これがマキだったら良かったのに」と願った、あの一度だけだ。
「ねえ、なんて書いたんですか?」
「…………言えない」
「ええ、俺のは見たくせに。ずるい」
「……見たのではなく、お前が見せてきたんだろう」
「…………マヒロ先輩が見たいって言ったからだろ」
「……マキ、あれを見てみろ」
「もう、すぐ話そらす……。なんですか」
マヒロは空を高く指差していた。暗い空だ。
「……星がないだろう」
「ああ、町が明るすぎるんですね」
「……俺はこの空が好きだ。マキの瞳によく似ている」
「俺の目そんな黒いかな」
マキは歩きながら、ショーウィンドウに映る自分の瞳を見た。炭のような黒だ。マヒロの金のほうがよほどかっこよく見える。
「……あ、着きましたよ水族館」
「ここか」
水族館の入口には、「首輪をお持ちでないお客様の入館を禁じます」という看板が立ててある。
「全く不愉快っすよね、この制度。セントラルシティってほんと差別が多い!」
「首輪を持っていない人は荒くれ者が多いですから、仕方ありません」
クロトが言った。マキは不満そうに口を尖らせる。
「でも、全員が悪いやつじゃないのに。スピカもクロトさんも、俺の弟の地下の友達だってすごくいい奴だし」
「……仕方ないんだよ。安心したいんだ、皆」
「……そういうもの……? ……んー……」
マキは唸りながら受付の獣人に金を渡した。首輪がない二人について問われ、マヒロが静かに自分の名字を述べた。彼はおとなしく四人を通した。
「スピカ! クラゲだ!」
「これ、クラゲ? きれいだね、打ち上げられてるのしか見たことなかった」
「昔、ヒトはクラゲの獣人を作ろうとしたらしいぜ。でも見た目がバケモンみたいになっちまって止めたらしい」
「……ヒトって勝手な生き物だよね」
マキとスピカは二人で物珍しそうに海の生物を見つめ、会話をしながら前を歩いていく。クロトはスピカの腕に捕まって歩きながら、その話を楽しそうに聞いていた。
「……マヒロ先輩! ほら、ペンギンですよ」
急に、マキだけが立ち止まり、こちらを振り向いた。スピカとクロトの二人は、会話を交わしながら遠ざかっていく。
「……何故急に俺に話を振るんだ」
「トリだから、ペンギン好きかなって」
マヒロは少し呆れたような妙な顔でマキを見た。
「……まあ、嫌いではないが」
「かわいいですよね、ペンギン」
「……魚にしろ、鳥にしろ、水中を自由に泳げるのは本当にすごいことだ」
「……そんなこと言うなんて、ひょっとしてマヒロ先輩泳げないんですか?」
そうは言ってない。マヒロが不貞腐れたような声で言うので、マキはクスクスと笑って、そうですかと言った。
前にもこんな会話をした。けれど、マキは覚えていないらしい。マヒロは少しだけ残念に思った。
「……俺は本当にあんたといると飽きないよ」
「…………それは、よかったな」
「ふふ、なに、照れてんすか?」
マキはいたずらっぽくふわりと笑った。その顔が、あまりに愛らしく、魅力的で、マヒロは思わず言った。
「……いい男だな、お前は」
マキの頬にマヒロの手の甲が触れる。
「……天然やめてもらえます?」
マキがみるみる赤くなるのをちらりと見て、マヒロは大きなエイの水槽の前に立った。
「…………いいな」
「何がっすか……」
「海だ。海はいい」
マヒロの金の瞳に、青い光が揺れる。大きなエイが目の前を横切っていった。
「……ねえ、今度は、海に行こうよ。約束」
「……今度…………」
マヒロはぼんやり呟いた。
「……約束してよ、マヒロ先輩」
マキは手のひらを握り込んで言った。マヒロといると、惨めになる。
「マキ、今日最後のイルカショーだそうだ」
マヒロは少し楽しそうな声でそう言い、イルカの看板の方へ向かっていった。彼はこちらを振り向かない。自分の前を、遙か先を、歩いていってしまう。
届かない。自分は、この人の背を追いかけるしかない。追いかけることしか、してはならない。
「…………どうした、マキ」
不意に、マヒロはこちらを振り向き立ち止まった。マキの瞳から涙がひと粒溢れ落ちる。
「…………泣いているのか」
追いかけることしかしてはならないのに、どうしてマヒロは、立ち止まってしまうんだろう。
まるでマキを待っているかのように、振り返って、何度も戻ってくる。早くどこかへ、見えないところまで行ってしまえと、何度も何度も思って、けれどその背を追いかけた。
「嫌いだ……、ホントに…………」
自分のものにならないこの男が、心底嫌いだ。
「……なら、アジでも見に行くか」
マヒロは苦笑をこぼしてそう言った。彼が何を言っているのか、マキにはよく分からなかった。
「…………なんでアジ」
「イルカ嫌いなんだろう」
「……違……、イルカでいいですよ、見たいんでしょう」
「だが……」
「……ああもう、いいです。どうもないですから。行こう、座れなくなっちゃうでしょ」
「……マ、マキ」
マキは、スタスタと歩いてイルカショーの会場へ向かう。マヒロは怪訝がりながらも、慌ててマキの後を追った。
「あちゃー……前の方の席は空いてないですね」
「……前じゃなくても、イルカは見えるだろう」
「イルカショー見るなら前でしょ。あ、ほら、あれスピカたちですよ。すごい前列にいる」
「……雨合羽を着ているのか?」
「……イルカショー見たことないんですか?」
マヒロがきょとんとするので、マキは愚問だったと反省した。それはそうだ。マヒロは水族館に来たこともないのだから。
「まあ、後ろでも楽しいですよ。ね、座りましょ」
ポンポンと横を叩くマキに促され、マヒロは椅子に座る。真っ黒な夜空に、ライトがチカチカと輝いている。目の前の大きな水槽を、イルカがすいと弧を描き泳ぎ続ける。
「……子どものころ、こうやって遊びに行くのが夢だった」
マヒロは呟いた。
「……楽しいですか」
「もちろんだ」
「それはよかったです」
カッとライトが瞬き、水中からイルカが飛び出した。飼育員のアナウンスと共に、次々とイルカたちが現れる。
「……すごいな、あんなに飛ぶのか」
「マヒロ先輩、あの低い方の高さなら跳べるんじゃない?」
「…………そうか?」
「そうだよ。跳んでたじゃん。…………あ、すげー、イルカに乗ってる!」
「……素晴らしいな……」
マヒロはキラキラと目を輝かせて、じっとショーを見ていた。楽しそうで、マキは安心した。
「それでは、クウちゃんの大ジャンプです!」
「ああ、来ますよ」
イルカが高々と飛び出し、吊り下がっていたボールを蹴り飛ばす。夜空でぐるりと回転したイルカは、水しぶきを上げて水中へ帰っていく。水で濡れてはしゃぐ観客、笑い声、拍手。
「……そうか、水しぶきで濡れてしまうのだな」
「そう。ビシャビシャになった姿見て爆笑するのが楽しいんすよ」
「……理解した」
マヒロが、濡れてしまったと笑い合う人を見てクスッと笑った。イルカたちが飛び上がったり泳いだりするたびに、バシャバシャと水槽から水が溢れ、観客を湧かせている。
「潮の匂い」
「……ん? ああ、言われてみればしますね」
マキはスンスンと鼻を鳴らした。薄くだが、確かに海水の臭いがする。
「俺、この匂い好きなんですよね。サウスシティ行くたびにいいなあって思うんですよ」
「セントラルシティには海がないからな」
「イーストシティも、俺たちの住んでたところは海遠かったじゃないですか。俺の弟なんか海に行くって聞いたとき、はしゃぎすぎて当日に熱出したりしてて」
「……ふ、マキもやりかねない話だな」
「やりましたやりました。前日の夜に親に黙って庭にプール出して遊んだんですよ。まだ六月だったのに。夜ですよ、夜!」
マキがケタケタ笑った。マヒロはその笑顔を、愛おしそうに見つめている。
「セントラルシティから一番近い浜辺までだとどのくらいかかるのかな……」
「マキ、海に行きたいの?」
スピカの声がした。はっとして見上げると、少し前髪を湿らせたスピカとクロトがいた。
「ショー終わったよ。二人だけずっと座ったまま話してるんだから」
「海に行くのですか? だったら、うちの前の海がオススメですよ」
「あは、いや、行く予定はまだねぇけどさ、いいなと思って、海」
マキが立ち上がり、楽しそうに笑いながら二人の隣に並んだ。マヒロはマキを追いかけて立ち上がろうとして、不意に強い吐き気に襲われた。
「……う……」
「……マヒロ先輩?」
一瞬のことですぐに吐き気は引いたが、嫌な感じが残った。マキがマヒロを心配そうに見つめている。
「大丈夫?」
「……ああ、すまない、大丈夫だ」
ドクドクと心臓が波打っている。何かが身体の中で渦巻いているような、嫌な感じがした。
「マキ、歩こう、歩きたい」
「……う、うん。無理しないでくださいよ」
「ああ。行こうマキ、止まりたくない」
マヒロは何かに追われるように歩き出した。とぷんと小さな水の音がした。
「今日はありがとうございました。とても楽しかったです」
「ありがとうマキ、マヒロ先輩」
「ううん、こっちこそありがとな。来てくれて嬉しかったぜ。また遊ぼうな」
二人が手を振る。遠くから見ても、絵になる、お似合いな二人だ。
マキは手を下ろすと、マヒロの顔を除きこんで笑った。
「……じゃあ、帰りますか」
「店まで道案内を頼みたい」
「はいはい」
二人で歩きながら、町並みを眺める。もう店の光も減り、ぽつんぽつんと飲み屋の明かりがついているだけになっていた。
「……マキ」
「なんですか」
マヒロはどこか遠くをぼんやり見つめたまま呟いた。
「四月の海は寒いだろうか」
「……うん? そりゃ寒いですよ。さっき六月でもプールは寒かったって俺言ったじゃないですか」
「そうだな」
マキはなんだか嫌な感じがした。黒いモヤが自分の脳や胃にまとわりついているような、そんな感覚。なんだか身体が重くなったように感じた。
「…………マヒロ先輩、あの」
「なんだ」
いつもの無表情でマヒロが振り返る。七月の美しい月が、マヒロを照らしている。
「…………いえ。……あ、今日のこと、ちゃんとうまく隠してくださいよ」
「大丈夫だ。心配するな」
「わあ、心配だぁ」
ケタケタとマキが笑った。無理矢理、頬をつり上げて笑った。
なんだかひどく寒い気がした。七月だというのに、指先や背中が冷たく凍りついたように感じる。
店につく。マヒロがいつも仕事を上がる時間ぴったりだ。これなら、変に怪しまれることはないだろう。マヒロはマキのほうを向いて少し微笑んだ。
「………………それじゃあ、またな、マキ」
はい、と答えながらも、胸の嫌な感じは拭えなかった。
『六時起床。水族館へ行った。二時就寝。』
その日のマヒロのメールは、いつもと変わらず無愛想だった。
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