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ナマケモノとタカ 第二章 第四話

ナマケモノとタカ編  第二章 第四話「目を瞑るこの一瞬」  「前から思ってたが、お前いつも携帯見るたびニヤニヤしてるよな。恋人か?」  シェーンは、机を挟んで向かい合ったマキに、にまにまと問いかける。遅めの昼食をとっていたマキは、ぴくっと眉をはねさせて、携帯から顔を上げた。 「ここ二日くらいは心配そうな顔してたし? 恋人なんだろぉ。喧嘩かー?」 「違いますよ。俺興味ないですし」  マキは携帯を握りしめた。  ここ一週間ほど、マヒロからの連絡が一切ない。今まで一、二日ほどメールの届かない日はあったが、ここまで長く間があくことはなかった。律儀な彼がメールを送らないということは、つまり家で何かあったということに他ならず、マキは心配せずにはいられなかった。 「えー、興味ないのかよぉ。俺はマキに興味あるなぁ」 「うわ、訴えます」 「待てって、じゃあいつも何見てんの?」  シェーンは、分かりやすく過保護な男だ。教育係としてついていたマキのことが可愛くて仕方ないらしく、会社に入ってもう半年が経とうとしているというのに、マキのそばを離れない。 「個人情報なんで教えません」 「えー。いやぁ、なんか、マキって変な恋愛に首突っ込んでそうじゃん? 心配じゃん」  彼の言うことが、まさに今の現実そのもので、マキは思わず吹き出してしまう。 「なんすかそれ。偏見ひどいな」 「マキは優しくて人好きで、何ごとにも執着心があるほうだろ? だから、初恋の人をずっと忘れられなさそうなタイプだなって」  今度は、そんなわけないだろうと言いそびれ、マキは頭を掻いた。シェーンはバッとマキの顔を見る。 「……え、図星? お前ピュアだなぁ」 「…………違いますって」 「ええ、そんな奴いるんだ……。初恋の人がずっと好きなんて、もうむしろ執着だろそんなのは」  シェーンはそう言ってケラケラ笑う。マキはいかにも不愉快だと言いたげに顔をしかめて、シェーンをじっと見た。 「そういうの、先輩には関係ないですよね」 「悪い悪い。かわいいなーって話だよ。ホント素直な奴だなぁ」  何が面白かったのか、シェーンは楽しそうに笑った。マキは不機嫌そうな態度で携帯を弄る。  そんなマキを見て、シェーンは何か思い出したのか、ふと表情を変えた。 「……そういや、最近あの店の白髪のボーイ、辞めちまったらしいよ」 「え、白髪のって」 「ほら、あのでかくてきれーなトリの兄ちゃん。お前、知り合いなんだっけ? なんか聞いてない?」  マキは携帯をちらと見る。それから、小さく首を振った。鼓動が、どんどん速くなっていく。  辞めた? 彼が? 何のせいで?  マキは目を瞑って俯き、そのまま尋ねた。 「……あの、いつ」 「一ヶ月前くらい? 俺らが行ってなかった間に辞めちまってるらしいよ」  ここ一ヶ月ほど、マキはマヒロの店に行っていなかった。仕事がかなり忙しくなり、とても店で喋っている場合ではなくなってしまったからだ。  それでも尚、一週間ほど前までは、メールだけはほぼ毎日届いていた。だから、きっと彼は変わりないのだと、そう思っていたのに。 「なんか、体調不良? とかだって。オーナーさん困ってたよ。お前、なんか知らないの?」  シェーンが尋ねる。靄のかかったような不安に心を揺さぶられて、マキはカリカリと机を引っ掻いた。  シェーンと、マヒロの話をしてから数週間後の夕方、近所のスーパーマーケットに出かけた帰り道、マキは寒空の下でふらつく、見知った髪色の男を見つけた。 「あ、あんた何やってんですか!」 「……マキ?」  マヒロは小さな公園のベンチに、薄着でぼんやり座っていた。 「なんでそんな、うわ、手ェ赤くなってんじゃん」  マキは上着を脱ぐと、すぐにマヒロにかぶせた。マヒロは無表情のままマキを見上げて、やや首を傾げた。 「すまない、冷え性で。問題ない」 「冷え性なら、11月になろうっていうのにそんな薄着でウロウロしないでくださいよ馬鹿」 「……すまない、マキ。しかしお前、なんでここにいる?」 「家に帰る途中です」  マキが呆れたような声で言うので、マヒロは少ししょんぼりして、そうだったかと呟いた。 「あんたこそなにしてんの。家の奴は?」 「……少し一人で外を歩きたくなった」 「飯は?」  尋ねられたマヒロは、無表情のまま黙りこんでしまった。マキはガシガシと自分の頭を掻くと、マヒロの腕を掴み、軽く引っ張った。マヒロが驚いた顔でマキを見つめる。 「俺ん家でなんか食べましょう」  マヒロは暫く目を瞬かせていたが、状況を自分なりに理解したらしく、再びいつもの能面のような顔に戻った。 「……マキ、その、俺は……」 「なに?」 「……家に連れて行かれても、お前に何もしてやれない」 「…………なに? お金の話? 要りませんよ別に」  そうではなくて、と言うマヒロの手を引いて、マキは自宅へ向かった。コンクリートの無機質な階段は、冷えた色をしている。マヒロは、不安そうな表情で、辺りをちらちら見た。それから、再びマキを見つめる。鍵穴に鍵を差し込むマキのくせ毛が、ふわふわと揺れた。 「…………家この辺じゃないのに、なんでこんなとこうろついてるんですか」  じっと見つめ続けられて少し居心地の悪くなったマキは、ふと今気になったことをマヒロに尋ねた。尋ねられたマヒロは、また黙り込み、俯いた。 「言いたくないならいいんですけど。はい、どうぞ。汚いけど上がって」  マキの家は、マヒロが思っていたより片付いていた。物があまり多くないからかもしれない。マヒロは子猫のようにきょろきょろと辺りを見回した。  靴箱の上には、タチバナ家の家族写真が飾られていた。見覚えのある家族の中に、マキのズボンを掴んだ、まだ立ち上がったばかりのような幼い子どもが写っている。 「……この髪の白い小さい子は」 「ん? ああ、それ弟ですよ。この前帰ったら、母さんが知らない間に養子とってて。虐待受けてたって話です」 「……この子は、いい家族に恵まれたな」  マキはマヒロの家庭環境はよく知らなかったが、良くないというのは分かっていた。そうでなければ、普通、政略結婚紛いのことなどさせない。マヒロという獣人(にんげん)の性格からしても、とても普通に暮らしてきたとは思えなかった。 「……ユキも、そう思ってくれてるならいいけどな」 「この子はユキというのか」 「ユキヒョウのユキ。かわいいでしょ」  マキはにっと笑って、床に荷物をドサドサと置いた。マヒロは少し遅れて、ああと頷く。 「……うーん、寒いし鍋でいいですか? ……あ、そのソファー座ってて」 「分かった」  言われた通りソファーに座り、マヒロは目の前のテーブルを見た。飾りのない木製の机の上に、可愛らしいぬいぐるみや花が飾ってある。この家の素朴な雰囲気とは少し違ったインテリアに、マヒロは首を傾げた。 「はい毛布」 「わ」  マヒロの頭に、畳まれたブランケットが乗せられた。マヒロはそれを慌てて手で掴んで、マキを見上げる。 「……そのぬいぐるみとかは俺の趣味じゃなくてトキとスピカですよ。あ、テレビつけていいよ」 「いい。テレビは見ない」  マヒロは毛布を広げて包まり、満足そうな顔をした。マキの匂いがする。無意識のうちに、マヒロはそのブランケットに頬を擦り寄らせた。 「……トキ……というと、お前の弟だったな」 「はい。よく覚えてましたね」 「あの子は頭が良かっただろう」  まな板で肉を切りながら、マキが、まあ、と言った。マキの弟のトキは、謂わば天才であった。教育水準は決して低くないイーストシティの中でも、頭一つ抜けた頭脳を持ち、学校では、誰のどんな努力も、トキには敵わなかった。  ただ、天才だろうとなんだろうと、マキにとってはただのかわいい弟。彼の頭の良し悪しになど、マキは興味がなかった。 「そのぬいぐるみ、トキのくれた誕プレなんです。あいつ可愛いもの好きなんですよ。持ち物とかめっちゃかわいくって」 「今はいくつだ」 「ええっと、確か16になる年かな……。あいつ、そういや俺の身長抜いたんですよ。この前久しぶりに会ったらめっちゃでかくなってて」 「さっき写真で見た。その時の写真だろう」 「ありえないでしょ、兄貴の身長超えるとか」  マキは包丁でこちらを指しながら、不満げにそう言った。 「マキだって、普通より背は高いだろう」 「でも、弟に負けるのが悔しいんだよ」 「仕方ない。長男は伸びないとよく言う」 「はいはい、俺より身長高いですもんねマヒロセンパイは。俺の気持ちなんか分かりませんよ」 「大して変わらないだろう」 「変わんの」  くだらない会話をしながら、マヒロはマキをぼんやり見つめていた。彼が食材を切る一連の流れは、まるで料理番組のように安心して見ていられた。かなり手際がよく、リズミカルな音が心地良い。 「マキは料理ができるのだな」 「そりゃ、ひとり暮らしですからね。俺だってそれなりの自炊ぐらいできますよ」 「綺麗好きだし、いい嫁になるだろう」  マキの手が、一瞬ぴたっと止まる。 「……あのさぁ、俺は嫁になる予定はねぇよ。分かってんでしょうが。あんまそういうこと言うと怒りますよ」 「ああ、すまなかった。お前に皮肉を言ったわけではない。……俺には、家事などできないものだから」 「家事ができなくっても、マヒロ先輩にはいいところ沢山あるじゃないですか」  マキは淡々と野菜を切りながら、表情も変えずにそう言った。まるで、当然のことを呟くような素振りだった。それが、マヒロにはとても嬉しかった。 「……お前くらいだ。俺をそうやって、いつも認めてくれるのは」  マヒロは静かにそう言って、少し俯いた。耳から下がった羽飾りが揺れる。  そうこうしているうちに数十分が経ち、マキが鍋の火を止めた。マヒロは立ち上がって、そわそわとマキのそばを歩き回る。 「……パタパタパタパタしないでくださいよ。なんですか」 「俺は何をしたらいいだろうか」 「座っといてください」  マキが鍋敷きを机にのせて、鍋を持ってきた。まだ湯気が立っている温かい鍋を見て、マヒロの腹が鳴った。 「ふふふ、マヒロ先輩ってお腹とか鳴るんだ」  マヒロは首を傾げ、怪訝そうな顔をしてから、鳴る、と呟いた。 「美味そうでしょ」 「ああ。……これなら、食べられるかもしれないな」 「あったり前。俺の特製ですよ。美味いに決まってるでしょ?」 「……ああ、美味そうだ。マキは料理上手だな」 「そういう真面目な反応は困るんですけど、まあ、どうも。……箸と取り皿持ってくるんで、まだ待っててくださいよ」  マキが食器を運んでくるのを、おとなしく座って待つマヒロは、瞬きも忘れてじっと鍋を見つめている。その姿は、まるで腹を空かせた大きな犬のようで、思わずマキはクスクスと笑った。 「…………なんだ」 「いや、マヒロ先輩てホント面白いなって」 「面白い……? 俺がか」  どうにも腑に落ちないという顔をしているマヒロに、食器を渡し、コップにお茶を注ぐ。ほかほかの鍋は見るからに美味しそうで、マヒロは嬉しそうに目を輝かせた。 「取りましょうか」 「ああ」  マキは鍋から具材を取り分け、マヒロに手渡した。 「すまない、マキ。……いただきます」  マヒロが静かに手を合わせる。それを聞いたマキは、自分の皿に鍋の具材を入れながら、突然楽しそうに笑った。 「それ久しぶりに聞いたかも。なんかテンションあがる。セントラルシティ、東出身の奴って結構少ないっすよねぇ。今まで当たり前だった習慣が当たり前じゃなくなると、やっぱなんか変な感じしません?」 「……マキ、これ美味い」 「話聞いてよ」  マキが苦笑いをこぼして、野菜をかじる。マヒロが口に肉団子をたくさん詰めて、目を輝かせているのを見て、子どものような人だとマキはぼんやり思った。 「……なに、そんなに美味い?」 「ああ。美味しい。久しぶりに食欲が湧いた」 「……そりゃ良かった」  よく見れば、マヒロは前回会った時に比べても、少し痩せたような気がする。薄着であるせいで、細くなった身体が余計に目立っていた。 「……あんた、体調悪いんですってね」 「……誰から聞いた?」 「人伝に。……つか、なんか体調悪いのかなとは思いますけどね。かなり痩せてるし」 「…………痩せてない」  珍しくやや不機嫌そうな声を出すマヒロに、マキは首を傾げる。 「いや、だって、腹回りとかさ…………」 「触るな」  突然、マヒロが低い声を出した。マヒロの身体に手を伸ばしていたマキが、ビクリと跳ねる。 「……あ……」 「ご、ごめん……。勝手に触ろうとして……ごめんなさい……」 「すまない、マキ、違う……」  マヒロはうろたえてマキに謝った。  強い獣人の言葉は、大きな力を持つ。相手の行動を支配するほどの、強大な力を。例え本人にその意志がなくとも、飛び出したそれは相手の奥深くに触れてしまう。 「ごめん、びっくりしちゃった……」  マキは固まった頬を無理矢理持ち上げて、へらりと笑った。小さく震えている。マヒロが、何かを怖がっているような、傷付いたような顔をした。 「……なんでそんな顔するんですか?びっくりしただけだって、ホントに」 「……すまない、マキ、俺は……」 「…………元は俺が悪いんですし、あんた悪くないでしょうが」 「だが……」 「…………そういや、あんたって昔から命令しないよな。肉食獣なんだし、あんたが命令すれば、俺みたいなのすぐにどうにでもできるのに」  マヒロは、昔からいつだって命令をくださなかった。タカである彼が命令すれば、マキに限らず多くの獣人が従うだろうに、彼はそれをしない。お前の好きにすればいいと、誰に対してもされるがままだった。マキには、それが少し腹立たしくもあったのだが。 「……俺は、そんなものでマキを縛りたくない。お前に怖がられることだけは、俺には耐えられない」 「……俺、あんたのこと怖くねえって。じゃなきゃ二人で鍋なんかしない」 「だが、まだ震えているだろう」 「これは……あれだよ、寒いし」  マキはへらっと笑った。  ナマケモノは、基本的にはとても弱い獣人だ。食物連鎖の頂点に立つ獣人から命令を受ければ、嫌でも身体が反応してしまう。マキは何でもないような顔をして、肉団子をマヒロの皿に入れた。 「マキは要らないのか」 「俺、肉好きじゃないから」 「……なぜ買ったんだ」 「買ったんじゃねえ、隣のおじちゃんがくれたんだよ……。あの人イヌだから……」 「マキは可愛がられているんだな」  マヒロは肉団子を口にたくさん詰めて、嬉しそうにしていた。マキは少しほっとする。落ち着いたら、今度はたった今気になったことがすぐに口から出ていった。 「マヒロ先輩、いつまでここにいるんですか?」 「……邪魔か」 「邪魔じゃねぇけど、勝手に家出てきたんだろ? 怒られんじゃないの?」  マヒロは俯いてもぐもぐと口を動かすだけで、何も答えなかった。マキは口を尖らせ、頬杖をつく。 「……まあ、あんたが居たいなら、いつまでも居ていいですよ」  マヒロの睫毛が、ぴくりと跳ねて持ち上がった。 「その代わり、勝手にいなくなるのはやめてくださいね。家出る前になんか一言言ってください」 「…………もちろんだ。世話になっているからな。しかし、何故そんなことを言う?」 「……寂しいでしょうが、置いていかれるのは」  マヒロは呆気にとられた顔をしていたが、すぐにふっと微笑んだ。 「…………そうか」 「……なんですか、にやにやして」 「俺がか」 「他に誰がいるんですか」  マヒロは指で自分の頬を触りながら首を傾げていた。 「……マキは、俺のことをよく見ているな」  マヒロは白菜を口に入れながら、そう呟いた。マキは、なんだか自分が悪いことをしたかのように、心臓がどきりとした。 「……俺のいいところも悪いところもまっすぐに見てくれるから、俺はお前といると心地良いのだろうな」 「……今そんな話だった?」 「……違ったか?」  マキは少し照れたように目をそらすと、コップのお茶を飲み干した。 「……マヒロ先輩の話は飛躍しすぎて、追いつくのが大変だよ」 「俺の中では繋がっているのだが、お前がそう言うならそうなのだろう。善処しよう」 「なんの前置きもなしに突然結論から話し出すとこも直したほうがいいよ」  マキはケラケラと笑った。マヒロが、善処しよう、と呟いて、コップ一杯のお茶を飲み干す。それから、見惚れるような所作で両手を合わせて、会釈した。 「美味かった。ありがとうマキ」 「はいはい。お粗末さまでした」  マヒロが立ち上がり、シンクに食器を持っていくのを見ながら、マキも机を片付け、食器と共に立ち上がった。 「俺がやりますよ。今から風呂ためてくるんで、先に入ってください」 「いや、皿くらい俺がやる」 「あんたがやると時間かかるでしょうが。知ってますよ。調理実習で、マヒロ先輩にもう何もさせないようにって、部屋の隅で椅子に座らされてたって話」  マヒロは少ししゅんとして、俯いてしまった。当時家庭科の先生から聞いた、真偽不明の話だったのだが、どうやら本当の話だったらしい。マキは、頭を掻きながら続けた。 「……じゃあ風呂溜めてきてください」  マヒロは嬉しそうに頷いた。幼い子どもがお手伝いを任されたときのような顔に、マキは思わず笑ってしまった。

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