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アナウサギとヒョウ 第二話
アナウサギとヒョウ編
第二話「アイドルとマネージャー」
トキ・タチバナはかわいいものが好きだった。ぬいぐるみやお菓子が大好きで、包装用の赤いリボンや手芸屋に並べられたフリルに強く心惹かれた。
けれど、人生とは残酷で、この少女趣味の少年トキは、彼の理想とは程遠い、立派な男に成長してしまった。皆が羨み惚れ惚れする、背が高くて引き締まった肉体。きりっと凛々しい眉に、高い鼻。ヒョウらしく、たくましいその姿は、トキの好きなかわいらしさとは、到底無縁だった。彼はいつしか、好きを纏うことがなくなった。
トキがどうしても好いてやまないものが、もう一つある。それは、幼馴染のメルツという男である。トキが「メルちゃん」と呼ぶその獣人 は、飴玉のような瞳に綿菓子のような耳、小さな身体に甘い声、まさに、トキの好きなかわいいをぎゅっと詰め込んだような、たれ耳のアナウサギの獣人である。
「俺、メルちゃんに可愛い服を着せたいから、アイドルのマネージャーになることにした」
「……は?」
久しぶりにイーストシティに帰省した幼馴染から飛び出した阿呆な言葉に、メルツの口から、思わず気の抜けた声が漏れた。
「……なんて? トキちゃん」
「俺、メルちゃんのマネージャーになる。メルちゃん、アイドルになってよ」
メルツは茶色の耳をぴくりと動かして、首を傾げた。
「トキちゃん、セントラルシティの医療系のカレッジに行ってたんじゃなかったの?」
「辞めてきた。お医者さんにはあとからなれるもん」
「トキちゃんって馬鹿なの? え? トキちゃんって頭いいんだよね?」
メルツの言葉に、トキはヘラっと笑った。
メルツの言うとおり、トキは所謂天才であった。勉強に関してならイーストシティで彼に並ぶ者はおらず、兄のマキが馬鹿であるのが信じられないほどの勉学の才能があった。その才能を活かし、トキはよりレベルの高いセントラルシティのカレッジに、医者を目指して入学した。……はずだった。
「……馬鹿って言われたの、兄ちゃん以来かも」
「が、学校辞めちゃったの……? 本当に?」
トキはえへへと照れ笑いを浮かべる。どう考えても正気とは思えない彼の行動に、メルツは唖然とした。
トキは、どうしてかこのような馬鹿らしいことに関して、いっとう思い切りが良かった。
例えば、かつて、泣いているメルツを励ますために、家から勝手にお金を持ち出して、セントラルシティ行の電車に乗ったことがあった。あの日は、トキの両親から警察に捜索願いが出されて、見つかったあと、いつもは無口で優しいトキの父親に、二人でこっぴどく叱られた。
「だっ、だめだよ、トキちゃん……! 俺、アイドルなんてできないよ……。だいたい、"アイドル"なんて、ヒト時代の流行りだろ。皆、そんなの好きじゃないし、やっていけないよ」
「大丈夫。メルちゃんなら、もう一度その流行を作れるよ」
「何言ってるの。大体、俺もう二十歳だし、それに俺はっ……」
「大丈夫だよ。メルちゃん以上に可愛い人なんていないから」
「そういう話じゃ……。だって、俺は……」
メルツは目線を下げ、小さな声で呟いた。
「俺、地下の生まれなのに……」
アンダーシティ差別。それは、二人が大人になった今も、変わらずそこにあった。むしろ、昔より酷くなったとも言えるだろう。犯罪者が増え、食人や薬物などが横行し、悪い噂は絶えず、地下の話に触れることさえ犯罪のように扱われた。二人の育ったイーストシティでも、アンダーシティの子どもの入学が禁じられ、メルツも途中で学校を去ったほどだ。
「そんなの関係ないよ」
しかし、トキはそう言い、にこっと笑った。
トキはいつもこうだった。地下生まれの自分の横に平気で立ち、他の友達と変わらぬ態度で接していた。平気で地下の獣人を家に上げ、平気で同じ飯を食べさせた。
幼い頃、メルツはその異常さに戸惑った。しかし、しばらくして、このタチバナ家の獣人は、皆元々そういう獣人なのだと気が付いた。子どもを一人で育てているトキの兄、マキを始め、両親や親戚に至るまで、皆、おおらかで大雑把で、馬鹿がつくほどお人好しだ。数年前、タチバナ家が孤児を引き取ったのも、記憶に新しい。トキに弟ができたと言われたときは、なんの冗談かと思ったものだ。
「……馬鹿なんじゃない。俺が嫌だって言ったらどうするつもりなの……?」
「メルちゃん、アイドル嫌?」
トキは少しだけ困ったような顔をした。整った顔が悲しそうに歪む。そういう顔をされると、こちらが嫌がらせでもしているように思えてくる。
「……嫌じゃない」
アイドルになりたい。これは、遠い昔、まだ幼かったメルツの、小さな夢であった。地下で生まれた自分が、広いステージの上で、何千という獣人の歓声を浴びる。この手で抱えきれないほどの愛情を受ける。そんなこと叶わないと知りながら、自分が歌って踊るステージを、ずっと夢見ていた。
「だけど、そんなの叶わないよ」
「叶うよ!」
トキはそうはっきりと言った。
「俺とメルちゃんなら、叶わない夢じゃない!」
そんなはずはない。うまくいくはずがない。トキの言うことは間違っている。メルツはそう思った。しかし、それと同時に、僅かに期待していた。
「…………本当に、俺の夢、叶えてくれるの?」
トキはにやりと笑い、力強く頷いた。メルツは、ゆっくりとトキの手を取る。
こうしてトキは、メルツを、夢の世界へと引きずり込んだ。
そしてメルツとトキが21歳になった現在。メルツがアイドル活動を始めて一年が経った今日、メルツは話題のアイドル「March」として、初めてテレビ番組に出演する。
「本日は、よろしくお願いいたします」
トキが深々頭を下げ、メルツも続けて頭を下げた。トキはシワ一つないスーツに身を包んでおり、なんと真面目そうな眼鏡までかけていた。
「君が噂のマネージャーかい」
「はい。タチバナと申します」
「噂よりもイケメンだね。君もモデルかなにかになったらいいのに」
「ありがとうございます。恐縮です。ですが、私はアイドル『March』が輝く瞬間を作る側になりたいんです」
「うんうん、君のことは別の人から聞いてるよ。素敵な心意気だね」
トキは、誰の懐にもするすると入る力を持っていた。好感を持たれやすい容姿と、その性格、そして計算されたコミュニケーションの取り方が、見事にハマっているのだ。
トキはとにかく頭が良かった。それは単に、勉強だけに留まらない。
彼は、誰にどんな話をどのようにすればいいか、完璧に理解していた。この人の興味のあるものは何か、この人の過去の業績、周りの環境、家族構成に至るまで、一度見聞きした情報は全て頭に入っている。
「すごいね。廃れきっていたアイドル文化が復活しつつあるのは、ほとんど君の力だよ。他の子をプロデュースする予定はないの? 贔屓するよ」
「あはは。ええ。……Marchを最高まで導いたら……そのときにでも」
トキは微笑む。男はトキの背を叩き、ニカッと笑った。
「Marchを愛するその姿勢も、聞いてたとおりだね! それじゃあ、今日はよろしくね」
「よろしくお願いいたします」
トキは頭を下げ、そそくさとその場を後にした。
ところで、賢いのは、なにもトキだけではない。
「『March』さんですよね!?」
通りすがりのスタッフが、少し興奮気味でメルツに寄ってきた。メルツは驚いたように少し目を見開き、彼を見上げた。
「俺、めちゃくちゃファンなんです!」
頬を上気させて嬉しそうなスタッフに、メルツはミルクブラウンの髪の毛を弄りながら、少し恥ずかしそうににこりと微笑んだ。
「ありがとうございますっ。うれしいです。おれのことご存知なんて……!」
その姿は愛らしく、小さくてか弱いウサギらしさが存分に現れていた。スタッフは思わず呆けた顔になり、周りの人間も、足を止めてメルツをじっと見つめた。
「行こうか、March。準備があるから」
「はい。失礼します」
ひら、と控えめに小さく手を振れば、皆つられて手を持ち上げていた。メルツの可愛さは、本物だ。
「……かわいいが上手だね」
クスクスと、楽しそうにトキが笑った。メルツはニヤリと微笑むと、小さな声で「トキちゃん仕込みだからね」と言った。
メルツはアイドルになって、まず行動を意識した。朝起きてから寝るまで可愛らしく。一分の隙もない愛らしさ。メルツは、まずそれを必要と考えた。トキから見れば、彼はいつだって可愛いのだが、メルツからすると、それでは足りないらしい。そんなメルツに影響されて、トキは、メルツを徹底的に可愛く仕込んだ。コミュニケーションの取り方、キャラ付け、目線、仕草、声色。メルツの愛らしさの全ては、トキの計算と、メルツの努力の上に成り立っている。
「そんなことしなくても、メルちゃんはかわいいのに」
トキが小さく苦笑をこぼした。ヒト族のオスから作られた身体を持つ獣人の世界では、メルツのように、小柄なだけでもまず目立つ。次に、種族と顔。メルツはそのどれもを持ち合わせており、彼には天性の「かわいさ」があった。
「……可愛いだけじゃ、俺たちは地上で生きていけないんだから」
メルツはぽそっと呟く。楽屋に入ったメルツは、ひょいと椅子に座って、すぐにトキの方を向いた。
「今日もトキちゃんが俺のメイクやってくれるんだよね?」
「もちろん」
トキは頷いた。
トキは、昔からかわいいものが好きで、小さい頃は自分もメイクをしていたが、メルツのためにと、改めてメイクの勉強もした。今やプロに遜色ない力量があり、Marchのメイクは、大抵彼が担当しているほどだ。
トキの、何をやらせても他の誰よりも上手くできるという異常な才能を活かし、基本、March周りのことは全て彼が行っていた。トキの才能とメルツの才能による、二人だけの世界。それは、彼らの大きな秘密を守り続けることにも、大きく貢献していた。
「ありがとう、トキちゃん。大好きだよ」
「うん……」
メルツは、細い指でトキの頬に触れる。トキは、メルツの顔を見下ろし、幸せそうに目を細めた。
「メルちゃんのかわいさを一番引き出せるのは、俺だからね」
トキはそう言って、メルツのメイクを始めた。
番組の撮影が終わった瞬間、メルツはわっと共演者に囲まれた。
「Marchくん、今すごく話題だよね! 会えて嬉しいよ!」
「ほんとほんと! めちゃくちゃかわいい子がいるって、すげー人気だよね」
あっという間に出演者たちに囲まれたメルツは、彼らのこの態度にかなり驚いた。アンダーシティでは、こんな美貌などなんの価値もない。むしろ、負荷だ。それが、地上に出るだけで、こんなにも違うものかと、メルツは一人驚いていた。
しばらくして、メルツはようやく解放された。皆の興味が、他の歌手のプライベートの話に移ったからだ。メルツは、共演者たちに一声かけ、すぐにトキの方へ走り去った。
「あれ、有名な敏腕プロデューサー兼マネージャー? やっぱかっこいいねぇ」
「ヒョウかぁ。いいなぁ、ヒョウ。生まれ変わったら俺もヒョウになりたいわ。派手だし、かっこいいじゃん」
とあるバンドマンが、トキを見ながらそう言った。すると、横にいたアイドルが目を丸くした。
「えっ、絶対ウサギのがいいよ! ウサギってだけでかわいいんだから。なんの努力もしなくていいし」
「ちょっ、まだMarchくんいるんだからさぁ」
「でも、実際そうでしょ」
メルツは、何食わぬ顔でその場を去る。今まで、人でなしだなんだと言われたことはあったが、そういうふうな嫌味を言われたのは初めてで、自分は今、一人の獣人として話題に上がっているのだと実感した。正直、嫌な言い方だが、暴力よりはよっぽど良い。むしろ、賞賛にも聞こえる。
「……メルちゃん、大丈夫?」
けれど、この男はいつもこうだった。
トキは、メルツにとっては些細なことであることも気に掛け、いつも、優しい声でこう尋ねてくる。
「……トキちゃんは心配症だなぁ。俺、こんなことで傷付いたりしないよ」
メルツは、大袈裟な幼馴染にけらけらと笑った。しかし、トキは至って真剣な顔で、まっすぐメルツを見つめる。
「どんな人でも、自分のこと悪く言われたら傷付くし、悲しくなる。俺は、もちろんメルちゃんが強い人だって知ってるけど、強かったら傷付かないわけじゃない。耐えられるようになっただけだよ。メルちゃん、昔はいじめられてよく泣いてたでしょ」
「あはは、それっていつの話? 覚えてないなぁ。今はもう、本当にこんなことじゃ傷付かないよ。……だって、俺が世界で一番、でしょ?」
メルツは微笑み、トキの頭を撫でた。
「……ありがとう、トキちゃん」
きっと、彼は、自分の代わりに悲しんでくれているのだと、メルツは思った。怒りも悲しみも、精神をすり減らす。それらを捨てず、立ち向かい続けることが、どれほど難しいことか。トキには、きっと分からないだろう。
「本当に大丈夫だから、心配しないで。それとも、そんなに、俺には心配が必要に見える?」
トキは首を振った。メルツは、ふっと安堵の表情を浮かべた。
「……じゃ、トキちゃんが心配することなんて何もないよ。そうでしょ?」
メルツはにかっと笑い、トキの肩をぽんと叩いた。
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