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アナウサギとヒョウ 第三話
アナウサギとヒョウ編
第三話「スカート」
服屋の店内を物色する、白いシャツに、モスグリーンのパンツを履いた、小柄な男。黒いキャップの下から、ふわふわの耳が溢れるように垂れている。
「あ! トキちゃん、トキちゃん。これトキちゃん好きそう!」
メルツは、ぱっと顔を輝かせながら、可愛らしいシャツをトキに見せた。ふわふわの耳が、羽のように淑やかに跳ねる。トキはにこりと微笑んで、その洋服を触った。
「ほんとだ、かわいいね。メルちゃんに似合いそう」
「……俺はトキちゃんに着てほしいんだけど」
メルツが不満げにそう言うと、トキは苦笑を溢して、メルツの手の中の服を押し返した。
「俺はいいよ」
「どうして? トキちゃん、こういうの好きじゃん。着ないの?」
「うん、似合わないからね。俺の身長じゃ、この服の良さが出ないよ」
トキの言葉に、メルツは手に持っていた服を見つめる。それから、それをそっと元の場所に戻した。
「俺は、絶対可愛いと思う」
「俺も好きだよ、こういう服」
メルツはトキを見上げ、不服そうに口をとがらせる。普段の彼とは違い、その妙に子どもっぽい仕草に、トキは苦笑した。
「最近、レディース増えたねぇ。March効果かな?」
「トキちゃんて、昔はもっとかわいいの着てたじゃん。着ないの?」
「……んー、最近のはサイズ感が……。俺には似合わないから、いいかなぁ」
「……似合わなきゃ着ちゃいけないの?」
「そうじゃなくて。これはただの俺のこだわりだよ。俺は、ただかわいいものより、俺に似合うものが着たいの。それがかわいければもっといいけどね」
トキはそう言い、手に取った黒いシャツの値札を確認した。
トキの言うことは、メルツにも分かる。しかし、あまり納得はできなかった。確かに、二人の好むいわゆる「レディース服」は、ヒト時代の名残から、小さなサイズを前提としてデザインされたものが多く、背の高い獣人 が着ると、間延びした印象を与える。しかしそれは、ブランド側が、大きなサイズを前提としてデザインをすればいい話だ。似合わないからと、諦める選択肢しかないというのは、変な話だと、メルツは思った。
「レディースって、別に小さくなきゃ着れないわけじゃないのに。……ああ、でも、今は俺が流行っちゃってるからなぁ」
「Marchブームは、悪いことじゃないよ」
「けど、背の低い人の着る服って決めつけがもし浸透しちゃったら、それは俺のせいだよ。悪いことだ。俺がもっと……いや、でもなぁ……」
メルツは顎に手を当て、ぶつぶつと文句を呟く。彼のそんな様子を見て、トキは笑った。
「俺は、メルちゃんがかわいい服を着ていれば、それで十分楽しいよ。大好きな人が大好きな服を着るんだもん。幸せだよ」
トキの笑顔に、メルツは胸がもやもやした。
「おつかれさまでした! ありがとうございます!」
アイドル、Marchの綺麗な声が、スタジオに響く。一人ずつ、頭を下げていくMarchの隣には、マネージャーのトキが立ち、柔らかい笑みを浮かべている。
「……March、先に着替えて待ってて」
「うん」
今日は、とある雑誌の撮影だった。主にレディース服を取り扱う雑誌で、今までも、何度かモデルを務めたことがある。今回は、表紙に加え、数十ページにも渡るMarchの大特集が組まれることになっている。得意分野の、大事な仕事だ。
トキは、何やら関係者らしき人と話をしている。メルツは、トキを置いて、控室に向かった。
メルツが衣装を着替えていると、部屋に、別のモデルの着ていた衣装が運ばれてきた。メルツは、ちらりとそれを横目で見る。いわゆるレディースよりも更に幼い印象ながら、背の高い人に合わせた、綺麗なデザイン。上品で、嫌味な甘さがない。
メルツはしばらくそれをじっと見つめ、片付けようとする衣装係に声をかけた。
「……あの、この服、買えますか?」
「これですか? これ私の私物なんですよ」
「あ、そうですか……。突然ごめんなさい、かわいかったから」
メルツがそう言うと、衣装係は、飛び上がるようにして喜び、手を叩いた。
「ですよね! これホントかわいくて! Marchさんなら分かってくれると思ってました! あ、これPOLPEL のなんですけど、通販でも買えますよ!」
「そ、そうなんですね」
メルツは少し動揺した。まさか、少し褒めただけでこんなに喜ばれるとは思っていなかったのだ。彼はそんなメルツの動揺など気にも留めず、衣装を更に引っ張り出して話を続けた。
「あ、でもMarchくんが着るなら、こういうデザインのやつとか……! もっと短いスカートとかがいいんじゃないですかね!」
「あ、いえ。友人にプレゼントしようと思って」
メルツはにこりと微笑んだ。彼はさらに嬉しそうに尻尾を振り回し、携帯を取り出してメルツに突き出した。
「だったら、ホントぜひおすすめですよ! ここの、箱もすごい可愛いんで!」
「……ホントだ、かわいい!」
「ですよね! こういう、もっとお人形さんみたいなやつも人気あるんですけど、私としては、POLPELはもっとカジュアルな方がかわいいって思ってて」
「わあ……。あ、こういうのも似合いそう……」
「そういう服がお好きなお友達がいらっしゃるんですね? うわあ、いいなぁ! いやぁ、レディースブランドの話できる人ってなかなかいないから、羨ましいですよ」
好きなブランドの話ができて、衣装係はかなり嬉しそうだ。少し褒めただけで、まさかここまで喜んでくれるとは。メルツは、なんだか少し、自分が誇らしい気がした。
「トキちゃん、これ着てみてよ」
そう言って、メルツが差し出したのは、白い箱だった。ピンクゴールドの模様が美しく、なかなか高価そうなダンボール箱だ。
「……これ?」
トキが箱を開けると、そこには白いレースのシャツが入っていた。その下には、花柄のスカートが入っている。
「……わ、かわいい……!」
トキはそう言って、目を輝かせた。
「ど、どうしたの、これ」
「この前の撮影の衣装だよ。通販で買ったの。トキちゃんに似合うと思って」
「あ、え、これを俺に?」
トキは意外そうな顔をした。
「着てみてよ! 俺、絶対似合うと思う」
「……んー、どうだろうね……」
そう言いながら、トキはおずおずと袖を通す。彼は、あまり期待していない顔をしていた。
トキは、シャツを着てスカートを履き、鏡の前に立った。彼は、鏡をじっと見つめながら、自分の着ている白いシャツを指でなぞる。
「見て、メルちゃん。このレース、すごく細かいよ。綺麗な洋服だね……」
「うん、かわいいね」
メルツは、満足げに笑った。それから、トキの目をまっすぐに見る。
「かわいい」
トキは少し頬を染め、メルツから目をそらした。
「……メルちゃん……でも、やっぱ俺……」
「よく似合ってる。かわいい、トキちゃん」
メルツの声があまりに甘くて、トキは背がそわそわとした。
「……な、なんか、久しぶりにこんなの着たよ。すごくかわいいお洋服だね」
「うん。本当にかわいい。……ほら、よく見て。服じゃなくて、トキちゃんを」
「…………俺、を?」
トキは、鏡に映る自分の姿を見た。派手な髪や尻尾と反対に、真っ白で飾り気のないシャツ。スカートの色味も淡く、全体的に、質素で上品に見える。しかし、シャツをよく見れば、そこには繊細なレースがあしらわれており、甘さと優雅さを感じさせる。
まるで、自分ではない、知らない人がそこにいるかのようだった。しかし、その姿を見て、トキは何故か、すとんと心が落ち着いた。
メルツが、そっとトキの胸元に手を這わせる。
「やっぱりトキちゃんはレースがよく似合うね。見て、このスカートの花柄、俺のこの前着たやつとお揃いなんだよ」
「知ってる……かわいかったよ」
「トキちゃんもかわいいよ」
メルツは、鎖骨の辺りを指でなぞりながらそう言った。メルツの細くしなやかな指の与える刺激に、トキは少し身体をよじる。
「メ、メルちゃん。あんまり触らないで……」
トキが顔を真っ赤にして狼狽えるのを見て、メルツはくすりと笑った。彼は、トキの身体に自分の身体を密着させ、トキを見上げた。
「そんなに恥ずかしがらないで。俺はホントのことしか言ってない」
――なんてかわいらしい人なんだろう。トキは恍惚とした表情でメルツに見惚れ、彼の服を掴んだ。
「……メル、ちゃん」
「何?」
「キスして……」
トキの瞳が、欲望で潤んでいた。メルツは小さく笑い、それからトキの唇に口づけた。
「……は、ぅ……」
二人は、ゆっくりと床に座る。メルツはトキの身体に被さるようにして、その唇と舌を追いかけた。
「メルちゃん、もっと……」
メルツの鼻腔を、甘い匂いが掠める。メルツは、吸い寄せられるように首筋に顔を埋めて、その筋肉に噛み付いた。
「いた……っ」
「……っは、ごめん。痛かったよね」
「大丈夫……」
トキは、ほう、と息を吐く。メルツは、今度は傷にならない程度に甘噛みを繰り返した。
「待っ……、待って、服が……」
「服…………」
メルツは、ぼんやりと呟いた。新品の可愛らしい服に身を包み、わなわな震えているトキ。まるで生娘のような態度に、メルツは酷く興奮した。
「……トキちゃん、してもいい?」
「だ、だめ!」
トキはぐいと手でメルツを押した。その手にメルツは口付ける。
「ね、トキちゃん」
「や……。だって、だって……っ」
トキの声は甘く蕩け、フェロモンの匂いが濃くなる。メルツはいたずらっ子のようにくすくす笑った。
「……大丈夫、分かってるから。危ないことはしないよ。いつもそうでしょ?」
「…………い、つも……分かんない」
「あはは。そうだね、俺がいじめ過ぎちゃうから」
メルツはトキを組み敷き、にこりと愛らしく微笑んだ。
「……メルちゃん、して……。もっと、いいこと……」
トキはスカートを手繰る。メルツは、その手を握って止めさせた。
「かわいい。ね、まだ脱がないで」
トキはぼんやりとした頭でメルツの言うことをきく。メルツはトキの身体に乗り上げ、可愛らしい顔で彼を見下ろした。
「……今日は、ゆっくりしようか。ちゃんと、最後まで起きててね」
トキは、彼の前に簡単に降伏した。
メルツがシャワーから戻ると、トキはまだ起きていた。彼は、ベッドの上に寝転がったまま、ほの明るい灯りの下で本を読んでいた。
「まだ起きてたの? 目悪くなっちゃうよ」
「うん……」
「ほら」
メルツはそう言いながらベッドに入り、明かりを消した。
「おやすみ、トキちゃん」
「うん……おやすみ」
トキは、ゆっくりと身体を動かし、ベッドに横になった。目の前には、メルツがいる。
「…………いいのかな、俺、こんなにメルちゃんに愛されて」
「あは、何言ってるの? 当たり前でしょ」
「……だって、メルちゃんはみんなのメルちゃんでしょ? 俺だけが独り占めしちゃ……」
「……MarchはみんなのMarchだけど、俺はトキちゃんのものだよ」
メルツはそう言い、トキの頭を撫でる。トキは気持ちよさそうに目を細め、小さく笑った。
「トキちゃんも、俺のトキちゃん。そうでしょ?」
「……うん。俺は、メルちゃんの。俺の全部は、メルちゃんのためにある」
「あは。それなら、“メルツ”の全部は、トキちゃんのためにあるんだね」
トキはメルツの身体を抱きしめた。メルツはくすくす笑い、トキの背に手を回す。
「……俺の全部がここにあるんだ。幸せだなぁ」
メルツはそう呟き、目を閉じた。
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