44 / 45

アナウサギとヒョウ 第三話

アナウサギとヒョウ編 第三話「スカート」  服屋の店内を物色する、白いシャツに、モスグリーンのパンツを履いた、小柄な男。黒いキャップの下から、ふわふわの耳が溢れるように垂れている。 「あ! トキちゃん、トキちゃん。これトキちゃん好きそう!」  メルツは、ぱっと顔を輝かせながら、可愛らしいシャツをトキに見せた。ふわふわの耳が、羽のように淑やかに跳ねる。トキはにこりと微笑んで、その洋服を触った。 「ほんとだ、かわいいね。メルちゃんに似合いそう」 「……俺はトキちゃんに着てほしいんだけど」  メルツが不満げにそう言うと、トキは苦笑を溢して、メルツの手の中の服を押し返した。 「俺はいいよ」 「どうして? トキちゃん、こういうの好きじゃん。着ないの?」 「うん、似合わないからね。俺の身長じゃ、この服の良さが出ないよ」  トキの言葉に、メルツは手に持っていた服を見つめる。それから、それをそっと元の場所に戻した。 「俺は、絶対可愛いと思う」 「俺も好きだよ、こういう服」  メルツはトキを見上げ、不服そうに口をとがらせる。普段の彼とは違い、その妙に子どもっぽい仕草に、トキは苦笑した。 「最近、レディース増えたねぇ。March効果かな?」 「トキちゃんて、昔はもっとかわいいの着てたじゃん。着ないの?」 「……んー、最近のはサイズ感が……。俺には似合わないから、いいかなぁ」 「……似合わなきゃ着ちゃいけないの?」 「そうじゃなくて。これはただの俺のこだわりだよ。俺は、ただかわいいものより、俺に似合うものが着たいの。それがかわいければもっといいけどね」  トキはそう言い、手に取った黒いシャツの値札を確認した。  トキの言うことは、メルツにも分かる。しかし、あまり納得はできなかった。確かに、二人の好むいわゆる「レディース服」は、ヒト時代の名残から、小さなサイズを前提としてデザインされたものが多く、背の高い獣人(にんげん)が着ると、間延びした印象を与える。しかしそれは、ブランド側が、大きなサイズを前提としてデザインをすればいい話だ。似合わないからと、諦める選択肢しかないというのは、変な話だと、メルツは思った。 「レディースって、別に小さくなきゃ着れないわけじゃないのに。……ああ、でも、今はが流行っちゃってるからなぁ」 「Marchブームは、悪いことじゃないよ」 「けど、背の低い人の着る服って決めつけがもし浸透しちゃったら、それは俺のせいだよ。悪いことだ。俺がもっと……いや、でもなぁ……」  メルツは顎に手を当て、ぶつぶつと文句を呟く。彼のそんな様子を見て、トキは笑った。 「俺は、メルちゃんがかわいい服を着ていれば、それで十分楽しいよ。大好きな人が大好きな服を着るんだもん。幸せだよ」  トキの笑顔に、メルツは胸がもやもやした。  「おつかれさまでした! ありがとうございます!」  アイドル、Marchの綺麗な声が、スタジオに響く。一人ずつ、頭を下げていくMarchの隣には、マネージャーのトキが立ち、柔らかい笑みを浮かべている。 「……March、先に着替えて待ってて」 「うん」  今日は、とある雑誌の撮影だった。主にレディース服を取り扱う雑誌で、今までも、何度かモデルを務めたことがある。今回は、表紙に加え、数十ページにも渡るMarchの大特集が組まれることになっている。得意分野の、大事な仕事だ。  トキは、何やら関係者らしき人と話をしている。メルツは、トキを置いて、控室に向かった。  メルツが衣装を着替えていると、部屋に、別のモデルの着ていた衣装が運ばれてきた。メルツは、ちらりとそれを横目で見る。いわゆるレディースよりも更に幼い印象ながら、背の高い人に合わせた、綺麗なデザイン。上品で、嫌味な甘さがない。  メルツはしばらくそれをじっと見つめ、片付けようとする衣装係に声をかけた。 「……あの、この服、買えますか?」 「これですか? これ私の私物なんですよ」 「あ、そうですか……。突然ごめんなさい、かわいかったから」  メルツがそう言うと、衣装係は、飛び上がるようにして喜び、手を叩いた。 「ですよね! これホントかわいくて! Marchさんなら分かってくれると思ってました! あ、これPOLPEL(ポルペル)のなんですけど、通販でも買えますよ!」 「そ、そうなんですね」  メルツは少し動揺した。まさか、少し褒めただけでこんなに喜ばれるとは思っていなかったのだ。彼はそんなメルツの動揺など気にも留めず、衣装を更に引っ張り出して話を続けた。 「あ、でもMarchくんが着るなら、こういうデザインのやつとか……! もっと短いスカートとかがいいんじゃないですかね!」 「あ、いえ。友人にプレゼントしようと思って」  メルツはにこりと微笑んだ。彼はさらに嬉しそうに尻尾を振り回し、携帯を取り出してメルツに突き出した。 「だったら、ホントぜひおすすめですよ! ここの、箱もすごい可愛いんで!」 「……ホントだ、かわいい!」 「ですよね! こういう、もっとお人形さんみたいなやつも人気あるんですけど、私としては、POLPELはもっとカジュアルな方がかわいいって思ってて」 「わあ……。あ、こういうのも似合いそう……」 「そういう服がお好きなお友達がいらっしゃるんですね? うわあ、いいなぁ! いやぁ、レディースブランドの話できる人ってなかなかいないから、羨ましいですよ」  好きなブランドの話ができて、衣装係はかなり嬉しそうだ。少し褒めただけで、まさかここまで喜んでくれるとは。メルツは、なんだか少し、自分が誇らしい気がした。  「トキちゃん、これ着てみてよ」  そう言って、メルツが差し出したのは、白い箱だった。ピンクゴールドの模様が美しく、なかなか高価そうなダンボール箱だ。 「……これ?」  トキが箱を開けると、そこには白いレースのシャツが入っていた。その下には、花柄のスカートが入っている。 「……わ、かわいい……!」  トキはそう言って、目を輝かせた。 「ど、どうしたの、これ」 「この前の撮影の衣装だよ。通販で買ったの。トキちゃんに似合うと思って」 「あ、え、これを俺に?」  トキは意外そうな顔をした。 「着てみてよ! 俺、絶対似合うと思う」 「……んー、どうだろうね……」  そう言いながら、トキはおずおずと袖を通す。彼は、あまり期待していない顔をしていた。  トキは、シャツを着てスカートを履き、鏡の前に立った。彼は、鏡をじっと見つめながら、自分の着ている白いシャツを指でなぞる。 「見て、メルちゃん。このレース、すごく細かいよ。綺麗な洋服だね……」 「うん、かわいいね」  メルツは、満足げに笑った。それから、トキの目をまっすぐに見る。 「かわいい」  トキは少し頬を染め、メルツから目をそらした。 「……メルちゃん……でも、やっぱ俺……」 「よく似合ってる。かわいい、トキちゃん」  メルツの声があまりに甘くて、トキは背がそわそわとした。 「……な、なんか、久しぶりにこんなの着たよ。すごくかわいいお洋服だね」 「うん。本当にかわいい。……ほら、よく見て。服じゃなくて、トキちゃんを」 「…………俺、を?」  トキは、鏡に映る自分の姿を見た。派手な髪や尻尾と反対に、真っ白で飾り気のないシャツ。スカートの色味も淡く、全体的に、質素で上品に見える。しかし、シャツをよく見れば、そこには繊細なレースがあしらわれており、甘さと優雅さを感じさせる。  まるで、自分ではない、知らない人がそこにいるかのようだった。しかし、その姿を見て、トキは何故か、すとんと心が落ち着いた。  メルツが、そっとトキの胸元に手を這わせる。 「やっぱりトキちゃんはレースがよく似合うね。見て、このスカートの花柄、俺のこの前着たやつとお揃いなんだよ」 「知ってる……かわいかったよ」 「トキちゃんもかわいいよ」  メルツは、鎖骨の辺りを指でなぞりながらそう言った。メルツの細くしなやかな指の与える刺激に、トキは少し身体をよじる。 「メ、メルちゃん。あんまり触らないで……」  トキが顔を真っ赤にして狼狽えるのを見て、メルツはくすりと笑った。彼は、トキの身体に自分の身体を密着させ、トキを見上げた。 「そんなに恥ずかしがらないで。俺はホントのことしか言ってない」  ――なんてかわいらしい人なんだろう。トキは恍惚とした表情でメルツに見惚れ、彼の服を掴んだ。 「……メル、ちゃん」 「何?」 「キスして……」  トキの瞳が、欲望で潤んでいた。メルツは小さく笑い、それからトキの唇に口づけた。 「……は、ぅ……」  二人は、ゆっくりと床に座る。メルツはトキの身体に被さるようにして、その唇と舌を追いかけた。 「メルちゃん、もっと……」  メルツの鼻腔を、甘い匂いが掠める。メルツは、吸い寄せられるように首筋に顔を埋めて、その筋肉に噛み付いた。 「いた……っ」 「……っは、ごめん。痛かったよね」 「大丈夫……」  トキは、ほう、と息を吐く。メルツは、今度は傷にならない程度に甘噛みを繰り返した。 「待っ……、待って、服が……」 「服…………」  メルツは、ぼんやりと呟いた。新品の可愛らしい服に身を包み、わなわな震えているトキ。まるで生娘のような態度に、メルツは酷く興奮した。 「……トキちゃん、してもいい?」 「だ、だめ!」  トキはぐいと手でメルツを押した。その手にメルツは口付ける。 「ね、トキちゃん」 「や……。だって、だって……っ」  トキの声は甘く蕩け、フェロモンの匂いが濃くなる。メルツはいたずらっ子のようにくすくす笑った。 「……大丈夫、分かってるから。危ないことはしないよ。いつもそうでしょ?」 「…………い、つも……分かんない」 「あはは。そうだね、俺がいじめ過ぎちゃうから」  メルツはトキを組み敷き、にこりと愛らしく微笑んだ。 「……メルちゃん、して……。もっと、いいこと……」  トキはスカートを手繰る。メルツは、その手を握って止めさせた。 「かわいい。ね、まだ脱がないで」  トキはぼんやりとした頭でメルツの言うことをきく。メルツはトキの身体に乗り上げ、可愛らしい顔で彼を見下ろした。 「……今日は、ゆっくりしようか。ちゃんと、最後まで起きててね」  トキは、彼の前に簡単に降伏した。  メルツがシャワーから戻ると、トキはまだ起きていた。彼は、ベッドの上に寝転がったまま、ほの明るい灯りの下で本を読んでいた。 「まだ起きてたの? 目悪くなっちゃうよ」 「うん……」 「ほら」  メルツはそう言いながらベッドに入り、明かりを消した。 「おやすみ、トキちゃん」 「うん……おやすみ」  トキは、ゆっくりと身体を動かし、ベッドに横になった。目の前には、メルツがいる。 「…………いいのかな、俺、こんなにメルちゃんに愛されて」 「あは、何言ってるの? 当たり前でしょ」 「……だって、メルちゃんはみんなのメルちゃんでしょ? 俺だけが独り占めしちゃ……」 「……MarchはみんなのMarchだけど、俺はトキちゃんのものだよ」  メルツはそう言い、トキの頭を撫でる。トキは気持ちよさそうに目を細め、小さく笑った。 「トキちゃんも、俺のトキちゃん。そうでしょ?」 「……うん。俺は、メルちゃんの。俺の全部は、メルちゃんのためにある」 「あは。それなら、“メルツ”の全部は、トキちゃんのためにあるんだね」  トキはメルツの身体を抱きしめた。メルツはくすくす笑い、トキの背に手を回す。 「……俺の全部がここにあるんだ。幸せだなぁ」  メルツはそう呟き、目を閉じた。

ともだちにシェアしよう!