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第164話

結局なにも解決はしないまま渉は部屋へと戻っていった。 だが、一人で罪悪感に押し潰されそうだった想いが少し和らいだようで、来た時とは違う柔らかな表情で帰っていく渉に咲也は良かったと思った。 一人、ソファに座って静かな空間のなか、咲也は汚れひとつない天井を見上げる。 ちゃんと平静を保てていただろうか…… 渉の口から麗美の名前を聞いたとき、咲也は頭の中が真っ白になった。 落ち込む渉の手前、泣き言なんて言えない 一緒に落ち込めば渉がもっと困ると分かっていたから…… ふぅーっと、長く息を吐き出して咲也は薄いフレームの眼鏡をとると、こめかみを押さえて塞ぎ込んだ。 渉と麗美。良く知る二人の姿を瞼を閉じて思い浮かべる。 良く笑う優しい女性で、とても我慢強く愛情深い彼女はいつも真っ直ぐ渉を愛していた。 渉の素行に胸を痛めた時期もあっただろうに、彼女はそれを表には出さず、『渉との結婚』という目標に向けて耐え抜いた。 幼いときから、渉を見る彼女の瞳には愛しさが感じられた。 幼馴染として渉を見ていた自分は渉にとって、麗美は最適な人物だと認めてもいた。 だけど……、今は……… 「渡したくない………」 渉を失うかもしれない強力なライバルに咲也の手は恐怖から震え、紅茶色の瞳から涙が流れて頬を濡らした。 麗美は上流階級のお嬢様で、気立も良く、九流家に望まれている。渉のことも愛していて、人間的にもとても良い女性だ。 代わって、自分は…… 「身を引くなら自分の方だ……」 考えれば考えるほど、導き出される明確な答えに咲也の涙が溢れ出た。 渉を離したくない自分はワガママだ 愛する者を不幸の道へ誘う己が悪魔のようだと咲也は嫌悪感に苛まれた。 「兄様……。あなたならどうしますか……」

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