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第168話
「咲也、入るぞ」
ノックも無ければ遠慮もなく、優一は綾人と一緒に弟の部屋を尋ねた。
部屋には鍵が閉まっておらず、優一は返事をもらうより早く、部屋の中へと入った。
「に、兄様!!?」
突然の訪問者に咲也は素っ頓狂な声を上げる。
お風呂上がりなのか、白いパジャマ姿の咲也は首にタオルがかけられて、髪が濡れていた。
「ど、どうしたんですか!?」
驚きより喜びが勝るのか、咲也は笑顔で兄へ近づき、抱きついては、愛しの兄の匂いを嗅いだ。
相変わらずの変態っぷりに優一は苦笑するが、濡れた髪を首にかけていたタオルで拭いてやる。
「風邪、引くぞ」
「……はい。ごめんなさい」
素直に返事をして、されるがまま咲也は気持ちよさそうに髪を拭ってもらった。
「今日の兄様、優しい……」
ポツリと漏らすと、優一は困ったように微笑み、言葉を濁して伝えた。
「お前はなんだか、辛そうだな」
聞いて欲しいことがあるんだろう?と、優しい眼差しで自分を見つめてくる兄に咲也は、突如込み上げる想いに目頭が熱くなった。
泣き叫びたい衝動に唇を噛むと、優一がそっと唇を撫でる。
幼いときから、自分を慰める兄の癖に咲也はぶんぶん首を横へ振って拒否した。
こんな事、初めてで優一は驚いたが、気を取り直したように咲也から離れてソファへと腰掛けた。
「今なら甘やかせてやるけど?」
「………」
意地悪な顔で手招きされ、咲也は渉と兄を天秤にかける。
「ぅう〜……」
かつてないほどの葛藤の末、目の前の兄が格好良すぎたのか、すごすごと咲也は優一の隣りへと腰掛けた。
「で?なに?どうしようもない時は電話してこいって教えてるだろ」
「……自分で解決できます」
視線を落として口籠る咲也に優一がほぉ〜っとおどけてみせた。
「じゃ、俺は用無しだな。帰る」
「駄目です!」
立ち上がろうとした優一の服の裾を掴んで即答する咲也は幼い子供のように兄を見上げた。
そんな二人を見ていた綾人がクスクス声を上げて笑った。
「やっぱり、兄弟っていいね」
羨ましそうに見つめていたら、咲也はふんっとそっぽを向いた。
「肩肘張らず、お兄ちゃんに甘えたら〜?」
ふふっと柔らかく笑ってピョンッと、咲也の隣へ天使が座った。
いつもなら突き飛ばしていたのだが、渉の一件に相当堪えているのか、咲也は何も言わずに黙った。
弱る思考のなか、二人が来てくれたことは咲也にとってとても心強く、嬉しいことだった。
だが、この婚約者問題を伝えると二人の渉への評価が下がると怯えて咲也は相談が出来ずにいた。
何より、今の優一は渉に対してとても厳しい。
話したいけど、渉を想うと咲也の口からは到底相談できるものではない。
追い詰められた弟を前に、意外と義理と人情に厚いことを知った優一はダルそうに声を出した。
「お前、この兄様を侮るなよ。渉のヘタレ具合と咲也のヘタレ具合ぐらい認知済みだ」
渉の名前にピクッと反応を示した咲也は不安気に優一を見た。
何かを言いたそうに口を開くが、言葉を紡がない弟に見兼ねて、優一は仕方なくキーワードを口にした。
「婚約発表……だろ?」
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