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敬はキッチンで自身のマグカップを洗い、すでに水切りマットの上に伏せてある隆文のカップの隣に置いた。
背後から、隆文がシャワーを浴びている音が聞こえている。キッチンの後ろが風呂場だ。濡れた手を拭き寝室兼居間に戻り、定位置に座る。
(なんだかなあ……)
大きなため息をつく。ベッドにもたれて天井を向き、目を閉じる。
隆文の他愛ない『好き』を拾い跳ねた鼓動。『敬といっしょだからここが一番いい』と言われ、頬が熱くなったこと。
(ていうか、なんだよ隆文のあの、真剣さ)
隆文の言動、行動の理由がよく分からなくなったのは、思わせぶりな態度をとられている気がするのはいつからか。
隆文に対して言葉を選び胸の内を装い、自分の表情や声に、気を遣うようになったのは、触れ合う膝におののき、隆文の唇がやけに魅力的に感じるようになったのはいつからだ?
隆文のファンだという先輩に、知らないと嘘をついてしまったのはなぜだ?『隆文と自分が親友だ』と隠したのは?
隆文がファンと繋がるきっかけを作りたくなかったからじゃないか? 繋がって、もしも隆文と先輩が恋人になったら心の底から嫌だからじゃないのか……? いつでも自分が、隆文の一番でいたい、隆文を独占したいから――。
敬はかぶりを振った。
(考えちゃだめだ気づいちゃだめだ)
気分を変えるためにスマホを手に取り、見るともなしにSNSのリアルタイムランキングを開く。
――と、いきなり、『夏城隆文』の名前が目に飛び込んできた。とっさに名前をタップする、詳細が表示される。
《人気若手俳優・夏城隆文、次のドラマの相手役は、大物男性芸能人!》
(――男性!? 相手役!?)
「お先でしたー、九月だけど暑い!」
頭上から落ちてきた声にハッとして顔をあげる。ボクサーパンツ一枚の隆文が、すぐ傍に立っていた。敬は隆文を見上げたまま固まってしまう。隆文が訝しみ、そして、手にしたままの敬のスマホに気づいて大きな体を折り曲げた。
「どうかした?」
敬ははじかれたように動いた。遅かった。スマホを隠すより早く、隆文がぐいっと覗き込んできて――、隆文の動きも止まった。
しばしの沈黙を破ったのは、敬だった。
「あ、あー、お前、いろんな役するんだなあ、次は、男の人が恋人役か。そうかそうか」
敬は腕を組んで、うんうんと頷いた。
「……そうなんだよ、次は男の人が恋人なんだ」
隆文がどしんとクッションに座った。そしてなんと、敬の身体の両脇に手を付いてきたのだ。敬は隆文の大きな身体と、背後のベッドに囲い込まれてしまった。
「な、なに!?」
(なんだこの体勢!?)
上半身裸の生身の身体にとまどう。
隆文がにやりと笑みを浮かべた。ちょっと悪そうなその顔まで、かっこいい。
「俺、男の人と付き合ったことないんだ。あ、まあ女の人とも後腐れない関係しかないけど。でね、今回のドラマ、キスシーンあるらしくて。俺、男の人とキスしたことないからさ。だから、敬、練習に付き合ってよ」
隆文はそこで一息入れて敬の耳元で囁いた。
「俺と、キスして?」
「――はあ!? 何言い出すんだ、お前!」
いきなりの提案に、敬は目を白黒させた。
(キス!? 俺が、隆文と!?)
だめだだめだ、そんなのだめだ。キスなんてしてしまったら、嫌でも自分の想いに気づいてしまう。後戻りできなくなる。『親友』じゃなくて、本当になりたい関係に、気づいてしまう。
「お前にだけはキスなんかしてやらない!」
とっさに出た声は思いもかけずきつくなってしまった。隆文は縋るような眼で、
「そんなに俺のこと嫌い? 親友なのに、キスできない?」
「ちがっ、嫌いじゃない! 親友だから、できないんだよ!」
自分で自分を縛ってきた、隆文に度々言ってきた、『親友』という言葉。口の中で転がすと、酷く苦くて歪で飲み込めない。みぞおちがぐぅぅっと縮こまり鼻の奥がツンとしてきた、呼吸が浅くなる。俯いたら、隆文の骨太な腕がするりと敬の後頭部に回ってきた。耳の付け根と顎の境目に指がかかり、上を向かせられる。その指は冷たく、微かに震えていることに気づく。
「たか、ふみ……」
押し殺した息が触れ合う。間近の隆文の顔。切なそうに寄せられた眉根、愁いと熱を帯びた瞳、震える唇。こんな表情、見たことない。心臓が早鐘を打つ。もっと見たい。自分しか知らない、親友じゃ見れない隆文を見たい独占したい。こんなきもち、もう、『親友』じゃない。
「――好きだ」
気づけば、そう呟いていた。隆文の目が見開かれる。
一度呟いたらもう止められない。隆文を見つめ震える指に自分の指をそっと重ねる。
「好きだ。お前のことが好きだ。親友の好きじゃなくて。親友じゃ、キスできないから、隆文と、恋人に、なりたい」
初めて口にした恋人という言葉は、とても甘くまろやかで、驚くほどストンと腹におさまった。
隆文の瞳が僅かうるみ、震える唇がほころぶ。
「俺も、俺も敬のことが好きだよ、親友はもうやだ、恋人になりたいよ」
敬の胸がどきんどきんと高鳴る。頬が赤くなってくるのが自分でもわかる。
「うん……、恋人になろう」
敬は泣き笑いで、隆文の唇に自分の唇を重ねた。
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