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第9話
Sクラスのレッスンスタジオからほど近い場所に、オリバーエンターテイメントの自社ビルはある。
6階建てのビルの5階にある一室に神崎悟の自室が設けられ、彼はそこで今日中に片付けたい仕事を一人黙々とこなしていた。
時計の針は23時を回り、既に殆どの社員は社を後にしている為、聞こえてくる音はエアコンの機械音のみ。
そんな静寂に包まれた中、カツカツと革靴がフロアタイルを鳴らす音が微かに悟の耳に届いてくる。
すると彼は軽いため息を1つ吐き、おもむろにパソコンのキーボードから手を離すと、直に来るであろう来訪者を迎える心構えをした。
それとほぼ同時にノックも無くガチャりと雑な音を鳴らし、大きく扉は開けられた。
「どういう事っ?僕は一切何も聞いてないよっ!未來ちゃんをstudentsに入れるなんてっ」
開口一番、既に興奮MAXの状態で現れたのは、独特な口調が印象深いオリバーエンターテイメント会長、富岡オリバーだ。
細身の長身にスラリと伸びた手足はモデル顔負けのスタイルで、名前からも伺える日本人離れした彫りの深い顔立ちは50代半ば、初老と呼ばれる年に差し掛かっているとは思えない程若々しい。
しかし整ったオリバーの顔が今は不機嫌に歪められていて、悟は深いため息を大きく吐くと、椅子から腰を上げた。
そして部屋中央に置かれた対のソファーの片側へオリバーに座る様促しながら、悟もゆっくりとその向かいに腰を下ろした。
「会長、それは確かに言ってはいませんが、しかしstudentsスタートがうちの決まり。それを何故わざわざ報告しなければならないんです?」
努めて穏やかな声色で、オリバーの機嫌を逆撫でしないよう悟は言葉を選びながらオリバーと向き合った。
「なっ、何故って当たり前でしょっ?!他の子はそれでいいかもしれないけど、あの子は特別っ!既に十分顔が売れてる即戦力になる子を、何でstudentsになんか入れなければならないのっ?!あの子を使いたいっていう局や監督はごまんといるんだからねっ!」
しかしそう簡単に聞き分けてくれるオリバーではない。
さらにオリバーの意見も最もだと悟もまた思う。
「そうでしょうね。そんな事解ってますよ。だから誰もメディアに出さないとは言ってないじゃないですか。現にstudentsだってドラマやバラエティーに出してますし、あの子にもドラマには出て貰おうと考えてますよ」
ブランクがあるとはいえ、未来はオリバーの言うように即戦力になる。
現に未来が入所した噂をどこかで嗅ぎつけたプロデューサー達から、何件も直々に仕事のオファーが舞い込む程だ。
「っ、だったらっ、別にstudentsに入れなくたってそのままデビューさせればいいじゃないっ」
悟も最初はそのつもりだった。
寧ろ今のオリバー同様、それ以外の考えは毛頭なかったともいえる。しかし
「会長。会長の仰るデビューとは俳優デビューの事ですか?それならとっくの昔にあの子はしていますよ。あの子に演技の才能があるのは周知の事実ですし、復帰して高く評価されたって誰も何も驚かない。だって天才子役なんですからね」
この台詞と同じような事を悟に言ってきたのは未来だった。
まだ12歳の少年が、大手事務所の社長である自分に向かって堂々とそう啖呵を切ってきた。
僕は天才だから、俳優として評価されるのは当たり前なんですと。
「っ、それはそうかもしれないけどっ。だったら何?お前はあの子に何を求めてるの?まさか歌でも歌わそうってんじゃ」
「いけませんか?」
そう自分の台詞に被せる様に言ってのけた悟に、オリバーは一瞬言葉を詰まらせる。
が、すぐさま堰を切ったように反論した。
「っ!!いけないに決まってるでしょっ?!馬鹿じゃないっ?何考えてるのっ?!そんな安っぽい子タレみたいな売り出し絶対やめてっ!間違ってるっ。誰がどう考えたってあの子に相応しくないでしょっ!?」
顔を真っ赤にさせて、そうまくし立てる彼からは、やかんのお湯が煮えたぎったシューシューという効果音が今にも聞こえてきそうだ。
そしてこのオリバーの意見も最もで、悟もそれに何の異議を感じなかった。
明彦から未来の事を紹介され、彼に会いに行った時までは。
加藤未来という少年は悟の想像とはかけ離れた、とても高飛車な子供だった。
彼は自分をアーティストとして活動させないのなら入所はしないと、そうはっきり条件を提示してきた。
なんとかして入りたい、入れるなら何でもすると、芸能界を目指す子らが喉から手が出る程欲しい少ない枠だが、そこに自分が入るのは未来にとっては当たり前なのだろう。
寧ろ入ってやるから好きにさせろと言うほどの高姿勢に、流石に悟も面食らいはしたが、しかしそれと同時に、いやそれ以上に強く興味を惹かれてしまった。
あぁ、だから彼は大勢の人の記憶に残れたのだと。
「それは今デビューさせたらそうなるでしょうね。お遊戯レベルのダンスや歌じゃ、せいぜい売れて1・2曲。一発やのチープな子タレに成り下がってしまう。だからstudentsにしたんじゃないですか。まだまだ歌は聞けたもんじゃないですが、しかし中々ダンスセンスはいいんです。何でもアメリカで習っていた様で」
「ちょっと待ってっ。だからってそんな、少しかじってるくらいで、Oクラスならまだしも、Sクラスはダンスと歌のエリート集団がコンセプトでしょっ!?」
つらつらと話しを進めていく悟に、オリバーの頭が中々着いていかない。
彼とこんなにも真っ向から意見もが合わなかった事はあっただろうか。いや、ない。
悟とは長い付き合いになるが、実に優秀で合理的で、何より自分の意見を彼はいつだって尊重してくれていた。それなのに
「そうですよ。だから今デビューはさせられないんです。だけどあの子を俳優とだけする気は毛頭ありませんから。これは本人の強い意思でもありますのでね」
全くもって譲歩する気のない悟の頑なな姿勢に、次第に押されていくのはオリバーの方。
「は?本人の、意思?」
「はい。それとうちに入ってくれた条件なんで」
「条件…?」
なんの話しだかさっぱりオリバーには分からない。
が、分かるのはただ1つだけ。
「えぇ。なので会長、折角あの子の為に仕事を色々見繕ってくれていたようですが、当分はレッスン優先で、仕事も吟味したいと思ってますので取り敢えず、あの子に宛がう予定だった仕事は全部白紙に戻しておいて下さいね?」
今回初めて自分の意見は通らないという事。
これ程までに折れない悟を説き伏せる術がオリバーにはなかった。
だけど自分が思い描いた華やかな未来のデビューは、当分おくれないというその事実と、懇意にしているプロデューサーや監督とのお約束事を全て破棄しなければならない現状に、オリバーの赤かった顔は次第に青ざめていく。
そして静かなオフィス内に響き渡った。
いや~~~っ!!!!
という、彼の悲痛な叫び声が。
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