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もの食う男とバケモノの子

 滑らかな色のテーブルの上に並ぶのは、チーズ入りの柔らかめスクランブルエッグ、カリカリに焼いたベーコンとソーセージ、はちみつぶっかけたトーストとヨーグルトだ。  オレンジジュースも買って来たら良かったかなぁ。そしたらアメリカーンな感じで完璧だったのかも。おれ、アメリカの朝食とか知らないけど。でも映画とかだとみんなやたらとオレンジのでかいパック持ってるよね?  若干呆然としながら座るタイラさんは、まだ目が覚めてないのかそれとも現実逃避なうなのか、なんていうか自我が薄めだ。  昨日はあんだけばかすかおれを罵倒したのにー。  おれ、アンチコメント以外であんなに暴言吐かれることなんかないから……あ、いや嘘、たまにあるけど、うん、最近はあんまり人間と関わってないから記憶にないし、なんかこう、とっても新鮮で良かったのに。  タイラさんのいいところは、おれのこと怖いのにちゃんとこっちくんなバケモンって罵ってくれるところだ。だいすき。だからおれは、ちゃんとおきてますかぁー? ってひらひら手を振る。 「起きてるよ……つか朝からなんでそんなテンションマックスなんだよ……」 「おれ、基本テンション変わんないもん。朝とか夜とか関係ないよー爆睡してるタイラさんおいて買い物行ったしねー。てか声ガラガラじゃーん」 「誰のせいだ……喋らせんな喉いてーんだよ……」  なんなら身体も痛そうだよね。まあそうだよね、結構いろいろ無茶な体勢取ったし、その上畳の上で爆睡したし。  朝からさっぱりお風呂に入って、買い物行って、ギリギリ午前中くらいに目を覚ましたタイラさんをお風呂に押し込んで、その間に部屋の掃除して洗濯機勝手に回して朝食を作ったおれは、まだ寝起き状態のタイラさんにこぽこぽと珈琲を注ぐ。  おれが横に立つとちょっとびくっとするんだよね。ふふふ。そういうのいいよ、ぐっとくる。おれの存在に身体ごとびびってるの、いいなーって思う。  人間ってやつは痛みとか恐怖は結構さくさく慣れてしまう。脳みそってそういう風にできている。防衛本能ってやつ? よくわかんないけど、痛みはすぐに消えちゃうから感情に残りにくいんだ。  だからおれはタイラさんに痛い事はしていない。一切していない。おれのすること、全部忘れてほしくないから。  ずーっと永遠に気持ち良かったはずだ。まあ、タイラさん痛いの好きっぽいから、気持ちいい程度に痛い事はちょっとしたけど。尿道責めとかそういうの。  あと無駄にプライドっていうか全うすぎる倫理観持ってるっぽいから、えっちだねーとか変態だねーとかこんなことされて勃ってるのーとか、そういう言葉吐きまくった。  タイラさんが気絶するまでずーっと弄り倒した。精液がなくなってもうだめもうやだって泣かれても気にせず扱いた。出すモノなくっても男のチンコって勃つんだねぇ、初めて知った。おれ、そんなにガンガンオナニーしないし。  タイラさんが気持ちよすぎてぶっ飛びながら泣くたびに、溢れた涙を舐めて首筋に歯を立てた。  おれは三時間くらいしか寝てないけど、久しぶりにめちゃくちゃしっかり寝たなーって感じだ。一日が充実するとよく寝れるってホントかも。  さっぱりした気持ちでにっこり笑うおれに、珈琲を一口飲んだタイラさんはすごく嫌そうに顔を顰める。 「え。不味い? なんか適当にコンビニに売ってた粉だけど、不味かった? タイラさんドリップよりインスタントのほうがすき?」 「いや……うまい……。うまいからなんか腹立つ……」 「えーなにそれー。そこは普通に褒めてくれていいよー? なんかおれ、料理うまいらしいんだよね! よくわかんないけど!」  ほら、自分で作った料理の味ってあんまりよくわかんなくない? てかおれ、基本口に入れるものの味なんか気にしてないし、身体動かす素くらいの気持ちでぶっこんでるからなぁ。  ついにおれの言動の端々につっこまなくなったタイラさんは、慣れちゃったのか疲れちゃったのかどっちかな?  おれ、タイラさんとどうでもいいこといっぱい喋るのだいすきだから、できればバシバシつっこんでほしいところだ。 「あ、ていうか腕しんどい? 消毒する? 途中面倒くさくなって縛っちゃったもんねぇ。タイラさんが嫌がりすぎたからだけど」 「いや俺が悪いみたいに言うな。おまえが悪いだろどう考えても。ちょ、こっちくんな!」 「だるいなら食べさせてあげようと思ってさー」 「余計なお世話って言葉知ってるか?」 「しらなーい。おれ、タイラさんよりたぶん馬鹿だからね」  博識っていう意味だったら、きっとおれよりタイラさんの方が上だろう。物書きだし、年上だし、タイラさんは引きこもりだけど全うな大人だし。おれは自分が興味あることしか見ないし聞かないから、わけわかんないこと知ってて、当たり前のことを知らなかったりする。  だからおれは、セックスしたあとの人間が翌朝どう過ごすべきなのか、その『普通』を知らない。  セックスだったのかもよくわかんないけど。タイラさんが絶対無理って言うからチンコつっこんだりはしてないし、すごい嫌がってたけど指入れたくらいだけど。思ってたよりスカトロじゃなかったよ? すごい、もうものすごい嫌そうで、それなのに絶対気持ちよさそうで最高だった。  普通の人たちはどうするんだろう。翌朝の儀式を、おれは知らないから想像するしかない。  まあとりあえず風呂は入るよね、汚いし。掃除もするよね、汚れてるし。朝食もいるよね? ご飯食べないと人間はいつか死ぬし。ていうか冷蔵庫の中ろくなものないんだけどタイラさん何食って生きてたの? まさか横に積まれてた乾麺? それユーレイとか関係なく普通に死なない? 正直おれに飯の心配されるのって底辺だと思うよ?  なんて試行錯誤しながら必要かなー? って思うことを片っ端から片付けただけだ。  うーん失敗だった?  もしかして礼儀的には朝目が覚めるまで髪の毛をとかしながら寝床で過ごして、おはようのちゅーとかするべきだったんだろうか? でもそれ恋人とか夫婦の礼儀じゃない? おれべつに、タイラさんの恋人じゃないしただエッチしただけの同居人だしなぁ。  って思いながらスクランブルエッグをひと匙すくって、口元に運んで笑う。  あーん、って言わなくても、タイラさんはちょっときょどりながらも口を開けて食べてくれた。  ……え、なにこれぐっとくる。おれの手からメシ食うタイラさんぐっとくる。できればいますぐ両手両足縛り上げておれ以外からメシ食えないようにしたいくらいぐっとくる。 「どう? ねえねえどう? おいしい? おれが作ったスクランブルエッグおいしい? おれが朝イチで近所のコンビニでおれの金で買ってきた卵で作ったスクランブルエッグおいしい?」 「すげえ恩を着せてくるなおまえ……あとで金払うよ……。てかなんでおまえ、人格以外は完璧なの……?」 「えー? おれがおれのなかで一番気に入ってるのは人格だよー? それ以外は別にどうでもいいかなって思ってるけど。あ、背格好は結構好きかな。バケモノみたいって言われるの、ちょっといい。おれは実際、バケモノだしね」  ばけもの、と、タイラさんがそこだけ小さく繰り返す。  おれはにっこり笑って、言い忘れていたことを思いだした。 「そういや、同居のルールとか条件とかおれぼんやーりとしか聞いてないけど、実家なんだから家賃ってないの? えーと固定資産税? ってやつ結構あるんだっけ?」 「やっぱ住む気なのか……」 「え、住む気だよ?」 「……家賃はいらねえよ。それだとちょっと申し訳ないって人は大体光熱費全額持ってくれてたけど。基本、光熱費は折半で、あとは食費とかは自分持ち」 「ふーん。お安めじゃん? ま、命削ってもらうんだからそんなもんかー」 「体調崩したらすぐ同居は解消っていう条件もつけてた。あと……」 「夢に女が出てきたり、この家で何か変なモノをみたりしたら?」 「………………」 「ま、でもおれは元々見えるからその条件関係ないねー。ママってやつともがっつり目が合ってたし、なんならがん切れされてるし。光熱費はどうでもいいけど、食費はタイラさんのぶんもおれが持つよ」 「え、なんで」 「タイラさん栄養失調で死んじゃうの嫌だからー」  実は薄々気が付いていたんだけど、この人普通に不健康だ。  食事と睡眠はまあ、仕方ないとこもあるのかなー? と思う。  夜ばんばんユーレイ出てきたらそりゃ寝れないよねって思うし、古風なキッチンのゴミ箱のとこには四つん這いの女がカサカサ動き回ってたからなぁ。あとでアレ、いつからいるのか聞いてさくっと消しとこう。  まー、そのへんはいい。なんとなく大変だねーって思う。  でも居間のパソコン前に山積みになった煙草の吸殻とか、部屋の隅の棚に乱雑に置かれてる山ほどあるお酒の瓶とか見ると、うーん? タイラさん普通に死に近い人じゃない? と思っちゃう。  煙草が増えるのはストレスで、酒が増えるのは現実逃避かもしんないけど。  ママに殺される前に肺がんとか肝硬変とかで死ぬんじゃない? 大丈夫? おれに心配されるとか相当やばいんだけど自覚ある? てかタイラさんそんなマジメキャラなのになんで生活習慣がクズなおっさんなの? そこんとこ絶対自戒できてない自分をまた責めたりしてんでしょ? なにどMなの? マッチポンプ式どMなの?  おれの言いたいことを十秒くらいで理解したらしいタイラさんは、すごーく気まずそうに珈琲をすする。  うーん、珈琲じゃなくってほうじ茶とかの方がよかったかなー。健康にいいのって何? 爽健美茶? そば茶? よくわかんないからあとでググっとこう。どうせこの家にはろくな食品もないだろう。  足りない生活用品を頭の端にメモしながら、引っ越しの段取りも思い出す。最近してないな引っ越し。いまの部屋気に入ってたしな。事故物件だけど。お金に困ってはいないんだけど、ネタには困ることが多いから、とにかく変なことが起こる物件は大歓迎だ。  おれの仕事は除霊だけど、本当は除霊だけど、最近はもうユーチューブの方が収入多くない? って感じだし。こわいはなしは大好きだし、こわいはなしをきくのも、体験するのも、はなすのも、おれは全部だいすきだ。  その点この家は最高だよ。ママはしばらく除霊できないだろうし、でもまあ向こうもおれには手を出せないだろうしにらみ合いが続きそうだけど。  たぶん、ママがいる限り、タイラさんの家はユーレイほいほい状態なんだろう。昨日消した筈の床を這う男が居た場所には、どっから伸びて来たのかわかんないながーい手が這っていたし。 「てか、条件とかそれだけでいいの? なんか手続きとかいらないの? 書類とかさー」 「あー……」  もっかいあーん、ってしてソーセージを食わせながら首を傾げると、もぐもぐした後でタイラさんは掠れた声を絞り出す。うん、後でのど飴も買ってこよ。 「アパートとかだと、シェアはお互い契約に必要なんだろうけど。別にいらんだろ、うち一軒家だし持ち家だし。そっちの住所は変わるから勝手に住所変更とかいろいろしてもらっていいし、そんときに俺の名前とか住所は勝手に使ってもらっていいけどさ」 「タイラさんって本名なの? カマヤタイラ?」 「本名だよ。ペンネーム考えんの面倒くさくて空欄で投稿したら受かっちまったの」 「うわ、きちんと切磋琢磨してる人に怒られそうな発言ー。それSNSとかでぽろっと零したら運悪かったら燃えるやつだね? おれもたまたまやってみたらちょっと受けちゃいましたぁとか言わないもーん」 「言わねーよ。アカウントあるけどほとんど新刊告知しかしてねーし。つかおまえはそれ、ハンドルネームだろ」 「うん? うん。もちろん。造語だしね。物部さんは全国に何人かいるらしいけど、漢字が違うから。え、本名知りたい? 家主だから知っとく?」 「いや、別に――」 「おれの本当のなまえは、浦辺永琉だよ」 「…………うらべ、なが…………?」  しばらく眉を寄せたまま固まっていたタイラさんは、急にハッとして手元の自分のスマホをタップする。  やっぱりタイラさんは頭がいい。ていうかいろんなものを知っている。この家にはミステリとか事件のルポ本とかいっぱいあったし、そういうの興味あるんなら勿論心当たりがあってもいい。そう思ったおれは正解だった。  ひょい、と覗き込んだ画面には、やっぱり知っている名前のwikiが表示されていた。  浦辺永作。  十人の子供を監禁して、八人を殺した殺人鬼。  いまは死刑執行を待つばかりの、ただのおっさんだけど。 「うん。それおれの親父。おれ、養子だから血は繋がってないけどね?」 「う、浦辺永作の、息子……? おまえが? 確かに、養子がいるって、書いてあるけど……マジで?」 「証明してよーって言うんなら役所で謄本取ってくるけど。あれ、住民票にも親の名前って載るっけ?」 「……いや、いい……マジなんだな……」 「そうだよー。タイラさんさ、初見からおれのことバケモノっぽいなーって思ってくれたでしょ? あれね、正解。おれはね、バケモノが育てた、バケモノの子だよ」  こわい? と笑う。  おれはあんまり自分の素性明かさないけど、明かした人間は大体『こわくないよ、おまえと親は関係ない』なんて言いながらちょっとだけおれとの距離を保った。  こわいならこわいって言えばいいのにな、嘘つきばっかだな、とそのたびにおれは思ったものだ。  でもタイラさんはちゃんと身体を引いてくれる。うふふ、素直だ、やっぱりおれ、あなたのこと大好きだ。 「そりゃ、こえーよ、おまえがぶっこわれてる要因完全に幼少期の家庭環境じゃんかよ……」 「え、そうかな? わりと普通に育ててくれたよ? 別に後継者ってつもりで養子にしたわけじゃないだろうしさ。なんでおれを養ってくれてたのかよくわかんないけど。でもまあ、普通の親父だったよ。座敷に監禁部屋あったけど」 「いらねえ、そういうwikiに乗ってねえ知識はいらねえやめろ、どういう顔していいかわからなくなるからやめろ……」 「こわいならー同居無理? やめとく?」 「……こわいからやめるって言ったら、おまえ諦めて帰んの……?」 「え、帰んないよ? こわいかーそっかーって思いながら引っ越し作業に入るよ?」 「だろうよ……なんか、そこまでさっぱりわかりやすい性格だと逆に俺も助かるよ……」  えーよくわかんないけど褒められた。意外。  おれと一時間以上一緒にいたことある人の八割くらいは、泣いたり殴ったり叱ったりするのに。  もう全部諦めたみたいに、タイラさんはさっきからおれが口元に運ぶたべものをぱくぱく食べる。  嫌がる顔もいいけど、これはこれでいいなー。タイラさんの身体を構築するもの、おれが作ったごはんで置き換えるっての、ちょっといい。  全身全部、細胞から皮膚の表面まで全部、全部おれのものになっちゃえばいいのになー。今度足の先からゆっくり全部舐めるのもいいかも。少なくとも表面はおれのもんになった感じがしそうだ。  おれがそんなこと考えるのを知らないタイラさんは、ぱくぱくもぐもぐの合間に珈琲すすって息を吐く。 「……まあ……おまえのことはシンプルにマジですげーこえーけどさ。アレよりは、……ママ、よりは、マシだろって思うし」 「うん?」 「少なくともおまえは、俺を殺したりはしねーだろうよ」 「そりゃ勿論殺したりなんかしないよーたぶん!」 「元気にたぶんって言うのやめろ……」  わは、と笑えば、どうでもよくなった感じのタイラさんは嫌そうに息を吐いて、またおとなしく口を開けた。  よく食べるなぁーよく食べるわりに細いなぁー。おれもまあ筋肉って感じじゃないし贅肉もないけど、タイラさんの方がガリガリだ。栄養になってないのかな? もっとちゃんとこう、吸収されやすいように細かくかみ砕いたほうが……あ、そうだ。 「タイラさん、口移ししよ?」 「……おまえの思考回路どっからどう飛ぶのかほんと謎なんだけど」  嫌だよ、と言われてまた笑って、あーほんと……はやくおれのこと、一番嫌いになってくんないかなぁってどきどきした。  恋ってなに? そんなもの知らない、したことないから。  愛ってなに? そんなもの知らない、見たことないから。  じゃあこの感情ってなんなのかって言われてもおれは首を傾げることしかできないんだけど。  よくわかんないけど、あなたの一番はおれがいい。  それだけは確かだよ。

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