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俯く男と憎しむ女

 藍ちゃんの第一声は、勿論予想してたよ。 「なんで後ろ乗るの」  うん、そう言われるだろうなーって思ってた。おれはいつも助手席に乗るし、ていうか普通に考えて運転手と二人きりなのに後部座席に乗り込むなんて、タクシーじゃなきゃおかしいもんね。  だからおれはノータイムでにこっと笑って、当たり前のように事実を告げるだけだ。 「えー。だって助手席あいてないよ?」 「…………」  おれに言われて初めて気が付いたらしい藍ちゃんは、ちょっとだけ身体を強張らせてから、そっと、助手席の方を見やったようだ。  しっかりと確認したわけじゃないけど、たぶん、藍ちゃんは『見える人』だ。  幽霊? いないでしょ、そんなもの。  なんて言いながら、ひょいひょいとヤバい奴を意図的に避けて歩く。  だからきっと藍ちゃんには、助手席にじっと座って俯く、痩せこけた中年男性の姿が見えている筈だ。  勿論、藍ちゃんは微塵も悟らせない。助手席の男に、見えている事実を悟らせない。そういう風に、藍ちゃんは生きている。  ただひとつ、ゆるやかで湿った重さのため息を吐いた。 「……ごめん」 「えー? なんで藍ちゃんが謝るのー? ていうかひっさしぶりだよねぇ叔父さん。どしたの、藍ちゃん? 具合でも悪いの?」 「体調は普通。メンタルは若干鬱いけど、たぶんそういうの関係なく命日が近いからじゃないかな。うちの、母さんの」 「難儀だねぇ叔父さんも。一年のうち三回も登場頻度上げてくんのかー」 「四回だよ。……本人が死んだ日の前後も、結構出る」 「わは! なにそれ初耳! 自己主張の塊じゃん!」 「わたしもそう思うよ。ほんと……勘弁してほしい」 「除霊する?」 「ん。……いや、後でいいや。それ先にやっちゃうと、たぶんすぐにあんたを降ろして帰ってふて寝したくなるから」 「あー。それは困るなぁ」  じゃあ後でね、と笑う。おれは笑う。藍ちゃんは笑わないけど、吐かないだけマシだということを知っているから気にしない。  藍ちゃんがだいじょうぶだというのだから、おれはその言葉を信じるだけだ。他にどうしようもないし、どうする気もない。素直に助手席の男は綺麗さっぱり無視して、本来の目的である今日の仕事現場への案内をお願いした。  本日は都内某所、何の変哲もない民家が除霊仕事の現場だ。 「十三時に依頼人と待ち合わせ。現地集合。っつってもその家、まだ依頼人が住んでるところらしいけどね。先週からホテル暮らししてるって話だから、今日でさっぱり決着つけてあげなよ」 「んー頑張ってはみるけどーおれも百発百中じゃないからなぁ。トワコみたいなヤツだとちょっと厳しいかもねー。ああいう奴の場合、おれが住んじゃうのが結構効くってわかっちゃったけど、いまはタイラさんほん投げる気にはなれないしなぁー」 「……つか、あんまり名前、出さないでよ。こっち出たらどうすんの」 「来ない来ない。基本家から出ないもん、トワコ。今日は久しぶりにタイラさんひとりぼっちだから、わくわくストーカーしてるんじゃない?」 「……タイラくん、連れて来た方が良かったんじゃ、」 「えー今日のタイラさんはほとんど自力で動けないから無理だよー?」 「え、なんで」 「え? 聞きたい?」  にっこり。バックミラー越しに視線を寄越す藍ちゃんに向かって首を傾げると、察しの良すぎる藍ちゃんは微妙な顔をして『聞きたくない』と言った。うふふ。ふふふ。別に聞いてもらってもいいんだけどね、まあ簡単に言うとおれがやり潰してしまってベッドの上から動けなくなっちゃってるだけだ。  でもあれはタイラさんが悪い。  あれだけ放っておいた方が良い、あなたいま自分の寿命が随時減ってるのに人の心配してる場合じゃない、って言ったのに、毎日毎日毎日あのヘンシューシャのオンナの事を気遣って何度も何度も何度も連絡をとっていたタイラさんが悪い。  そりゃ多少気遣ってあげたらいいんじゃないのーとは言った。  けどねー、モノには限度ってモンがあんの。ってこれ、おれに言われちゃうの相当人間として不出来な人だよ? って自覚したほうがいいよ、ほんと。  そもそも、自分じゃどうにもできない事に気を使ってどうすんの、って話だ。  タイラさんは目がいい。すごくいい。でも、ただ見ることしかできないはずだ。  おれは除霊できるけど、タイラさんはできない。どうすることもできない。それなのに毎日彼女はだいじょうぶかな、なんて気を遣う。  ねえ、もったいなくない? あなたのその気遣い、結局何にもならないのに。そんなに気になるなら、おれに頼み込んで除霊を依頼したらいいのに。……すっげー吹っ掛けるけど、でもタイラさんがおれがほしいって言ったもの差し出してくれたら、まあ、嫌だけど除霊くらいはするよ? って思うのに。嫌だけど。すっげー、嫌だけど。  あー。……あのこの事を考えると、本当にびっくりするくらいイライラする。イライラしすぎて暇さえあれば彼女とたわいもないラインを繰り返すタイラさんから携帯を奪い取って、結構本気で抵抗する彼を朝からベッドに引きずり込んだ。  セックスを教えてくれたのは、タイラさんだ。悪戯するだけなら、それほど体力は使わない。でも本気でセックスすると三回目くらいでタイラさんは力尽きるし、それ以上は立ち上がれなくなるっぽい。  なんでこんなに苛つくんだろう。どうしてかな。不思議だ。  藍ちゃんがタイラさんの名前口にしても、タイラさんのこと気遣っても、全然気にならないのに。  藍ちゃんは人間じゃなくて、藍ちゃんだからかな? 「あんまり」  ふいに、藍ちゃんが口をひらく。いつのまにか車は首都高に入ったらしく、オレンジ色のトンネルの光に包まれていた。 「……あんまり、タイラくんを虐めるのよくないと思うよ。あんたと彼が、それでいいならいいんだけどさ。でもあんた、珍しく気に入ってるみたいだし、嫌われないようにしといた方がよくない?」 「えー? なんで? おれ、タイラさんにはおれのこと、一番嫌いになってほしいけどなぁ」 「一番嫌いになって、もう顔も見たくないって言われたらどうすんの?」 「ん。んー? そうだなぁー意識失ってる時に撮り溜めた全裸写真をネットにばらまかれたくなかったらずーっとおれの言う事聞いてーずっと一緒にいてーって脅す? かな?」 「……本気でやりそうなのが嫌なんだよね」 「本気だよーおれ、嘘嫌いだもん」 「あんたのその、『嫌いになってほしい』って奴、わたしよくわかんないや。つか、あんたのことでわかってることなんかほとんどないけど。名前と性格くらいしか、知らない気がしてきたな……」 「名前と性格分かってたら人間の八割くらいは把握してるんじゃないの? おれは藍ちゃんの名前と性格と家族構成くらいしか知らないけど、それ以上の何を知ったらいいのかよくわかんないなー」 「好きなものとか。嫌いなものとか。趣味とか。夢とか。あんでしょ、人間には、名前と性格以外のもの」 「うーん。……どうでもいいかなぁ、そういうの。だっておれ、他人のプロフィールとか覚える気ないし」 「ああ……そうだった。記憶力、いいのに、意味わかんないわ、ほんと」 「記憶力いいからだよー。覚えすぎるとわけわかんなくなんの。覚えなくていいことは、積極的に忘れていかないとねー」  けらけら笑うと、藍ちゃんはやっと張りつめた緊張感を和らげた気配がした。  勿論まだ助手席には叔父さんが乗っている。シートベルトもせずに、ただ俯いて座っている。そこだけじっとりとした雨で湿ったようなニオイがする。土のにおい、死人のにおい、雨と山のにおい。  それでも藍ちゃんが肩の力を抜いたのは、叔父さんを無視するコツを思い出したんだろう。 「そういや、頼まれてた仕事、終わったよ。わたしができるところまで」  ふ、と藍ちゃんが零した言葉に、記憶力を駆使しないタイプのおれは頭を捻る。 「頼まれてた? 仕事? え、どれ? おれ、結構藍ちゃんに丸投げしちゃうんだけど、どれのどれ?」 「いま、あんたが一番入れ込んでる件」 「あー! トワコって言ってよわかりづらい! え、わかったの!? 藍ちゃんすっご、本業探偵すっご!」 「やめろ。興信所って言え」 「で? やっぱ合ってた? 山? それとも海?」 「……山。ビンゴだった。近場に温泉宿が数件ある以外は、ほとんど何もない場所。ネットとかにも情報はない。本当に地元の人が口伝で伝えてるようなとこだよ」 「ひゅう。山はねーどうしても、ヒトの目から隠しやすいもんねぇ。泊まるとこ近いならありがたーい。えーどうしよ、いつ行こうかな」 「送ってかないよ」  ぽつり。  藍ちゃんが呟いた言葉に、おれは一瞬反応が遅れる。  だってそんな事、藍ちゃんが、わざわざ口にしたのは初めてだったからだ。  勿論藍ちゃんには本業がある。そっちが忙しかったらおれのアシなんかやってる暇ないし、おれだって藍ちゃんに頼らないと何もできなーいってわけでもない。  それでも、最初から『やらない』ときっぱり宣言されたのは、えーと……初めて? かもしれない。藍ちゃんはいつもどおり、暇だったら手伝うよ、と言うものだと思っていたから。 「え。なんで?」  だから素で首を傾げてしまった。  イラっとしたわけじゃない。え、そうなの? ふーん、なんで? いや別にいいけど、なんかいつもと雰囲気違うじゃん? って思っただけだ。 「行ってほしくないから」 「……えー。まじ? まじで? うーん……そりゃこれ、わりと命削る感じだろうけどさぁ、トワコなんか一秒毎に寿命削れてるようなもんだしさぁ。おれはタイラさんに超嫌いになってほしいけど、タイラさんが死んじゃったら感情なんか抱いてもらえないじゃん? ってことはーやっぱトワコやんなきゃなんだよー? 藍ちゃんだって、タイラさんのことわりと気に入ってんでしょ?」 「タイラくんの事は好きだよ。でも、どっちか一人選べって言われたら、わたしはモノルを取るって話」 「…………わぁ」 「何、その反応」 「いや、だって、なんていうかー……びっくりした。藍ちゃんはさぁ、おれのこと憎んじゃってると思ってた」  おれが、うまくやれなかったから。  おれのせいで、藍ちゃんのお母さんとお父さんと弟君は死んじゃったから。  ずっと、まあそうだよねーと思ってたから結構本当にびっくりしていて、ちょっとだけ笑うのを忘れてしまった。  愛想よく、愛想よく、愛想よく。笑いなさい、笑いなさい、笑いなさい。ずーっと頭の中に残っている呪いの言葉が、一瞬だけ薄れる。  藍ちゃんはちらっとバックミラーを見る。その後に、いつもどおり笑いもせずに息を吐くみたいに言葉を吐く。 「残念ながら、普通に好きだよ。言わなかったっけ?」 「はつみみーですー」 「じゃ、今言ったから覚えといて。忘れんな。わたしはあんたに、生きてほしいよ。勿論タイラくんの事も嫌いじゃないけど、例えば二人のどっちか選んでねって言われたら、二人とも選ぶなんて選択、わたしはできない。どうしても、どうしても誰かを切り捨てなきゃいけないこと、あるって知ってるから」 「……覚えとく」 「うん。どうせ止めても行くんだろうから、もうそれはどうでもいいけどさ。気軽に投げ出さないでよ、あんたの命」  うーん……本当にびっくりだ。おれの数年間の思い込みは、本当にただの思い込みで勘違いだったらしい。  藍ちゃんはどうやら、普通に、シンプルに、ただ単純におれのことが好きなんだって。えええ……? いや、いきなりそんな、だって絶対憎まれてるでしょ? でも折り合いつけてるんでしょ? なんか複雑な感情なんでしょおれにはわかんないけどさぁ人間の感情なんて、って思ってたのに。  おれは人間に好きとか言われんの嫌だけど、嫌いだけど、反吐がでそうだけど、藍ちゃんはなんでか平気だった。やっぱり、藍ちゃんは藍ちゃんだからかもしれない。  ……世の中、自分の見てるものだけが全部じゃないよね。ほんとうに。藍ちゃんから見た世界のおれは、おれが想像するより嫌な奴じゃなかったのかもしれない。不思議だ。人間って不思議。  タイラさんから見たおれも、おれが想像するおれとは別だったりするのかなぁ?  聞いてみないとわかんないけど、いきなりおれのことどう思うー? とか言ってもわけわかんないだろうし、ま、これはいつか覚えてたら聞いてみようかな。うん。たぶん忘れるけど。  運転席の藍ちゃんが煙草を取り出して、火をつけて、すはーって煙を吐き出して、一本吸い終わるまでおれはなんかこう、うわーそっかーへー、みたいな気持ちを持て余していた。  いつのまにか周りの景色は住宅街になっている。いつの間に首都高抜けたの? わぁ、全然記憶にない。  藍ちゃんのスポーツカーは、お行儀よく住宅街のど真ん中のパーキングに収まる。無断駐車しないのが藍ちゃんの流儀だ。 「こっからは一人で行けるでしょ。夕方まで暇だから、五時くらいまでに終わるならこのまま待ってるけど、どうする? 勝手に帰る?」 「んー。……一緒に帰るー」 「おっけ」  エンジン切ってから、終わったら連絡してと言った藍ちゃんは煙草に火をつける。おれはちらっと自分のスマホを確認して、まだ待ち合わせまでは余裕があることを確かめた。 「んじゃー、先に叔父さんやっちゃおっかぁ」 「…………いま?」 「え、いまだよ? だっていまやんないと、おれが戻ってくるまでこの車ん中、叔父さんと二人きりじゃん。普通にキツイでしょ。あ、もしかして帰りたくなっちゃう? そしたら帰ってもいいよ? おれだって電車くらい乗れますし」 「……いや、だいじょうぶ、たぶん。……たぶん」 「えーあやしいなぁ。まーでも、そうだね、なんつーか……久しぶりだもんねぇ」  叔父さんは、どうやら年に四回は確定で自己主張をするらしい。  おれは藍ちゃんに頼まれた時しか除霊しないから、それがいつなのかよくわかっていなかった。たぶん藍ちゃんがスルーできるときは呼ばれないんだろう。  お父さんが死んだのは夏だった。  お母さんが死んだのは冬だった。  おとうとくんが死んだのは春だった。  おれが藍ちゃんに呼ばれて、叔父さんの除霊をしたのは、さていつの季節だったっけ?  まあ、一人で帰らなきゃいけなくなっても、別にどうでもいい。そりゃ藍ちゃんが送ってくれたほうが嬉しいけどね、藍ちゃんがベッドにもぐりこんで耳をふさいで叫びたいって言うなら、そうしたらいいじゃんって思うからだ。  だって仕方ない。  おれの除霊は言葉が、物語が必要だ。  いちいち語らなければいけない。塩をまくだけじゃなんの効果もない。耳から仕入れた言葉を、わざわざ口から吐かなきゃならない。  おれは人間の感情なんか持ち合わせてないからさ、どうでもいいけどさ。何度も、何度も、何度も聞くような話じゃないだろうっていう想像くらいはできる。 「耳栓買ったらいいんじゃないの? 音楽爆音でかけとくとか。そしたら、藍ちゃん聞かなくていいんじゃない?」 「いや、いい。聞くよ。わたしは、依頼人だから」 「ちがーうよ。依頼人は藍川康太くん。藍ちゃんはそのご家族」 「依頼人、死んでも仕事は継続してくれんの?」 「仕事、終わってないからねぇ」  うはは、と笑う。笑うことを思い出す。  そしておれは、何度も何度もこの冴えない顔したおっさんが出てくるたびに、藍ちゃんが泣きそうな顔でもういやだたすけてと電話を掛けてくるたびに繰り返す話を始める。 「藍ちゃんのね、叔父さんの話なんだけどね」  友達のね、とか、知り合いのね、とか。そういう言葉は使わない。誰かわかればいいだろと思っているから、おれは素直に藍ちゃんのことは藍ちゃんと言う。 「叔父さんって人はちょっと人として駄目な部類だったらしくてさ、なんでも、夜の商売の女に騙されて結構な借金作ったりとか、職場で一回り年下の女の子にちょっかいかけて上司に呼び出されされたりとか、とにかく良い噂を聞かない人だったんだって。何か揉めるたびに兄である藍ちゃんのお父さんに泣きつく。よせばいいのに、藍ちゃんのお父さんもお母さんもお人よしだったから、都度お金を貸したりだとか転職の手伝いをしたりした。藍ちゃんと康太くん姉弟にとって、叔父さんは親戚の大人というだけではなくシンプルに迷惑で大嫌いな人だった」  助手席の男は、うつむいたまま微動だにしない。  静止画のようなのに、たまにゆらゆらと陰が揺れる。 「たまーに来てさ、無茶なお願いして、藍ちゃんの家を困らせて帰ってく。ま、普通に疫病神だよね。それだけならまあ、ちょっと我慢すればいいかなって感じだけど。藍ちゃんと康太くんが成人してから、なんと叔父さんは藍川家に住み付いちゃった」  藍ちゃんも微動だにしない。煙草は火をつけたままで、吸わずにただじりじりと燃えていく。  いつから泣かなくなったかなぁ。最初は、もうやめてって縋って泣いた藍ちゃんは、いまはもう、なんの表情もなくじっと前を見つめているだけだ。 「藍ちゃんも康太くんも家を出ていたから、別にすごく不都合があったわけじゃない。叔父さんも藍川家にいる分には、ただ飯を食うだけで特に困った行動を取ったりはしなかったから。借金作るくらいなら、部屋でごろごろテレビでも見ていてくれた方がいい。お父さんもお母さんもそう思ってたのかもね。でもある日、叔父さんは急に『山に行く』と言って出かけて行った。そしてそれ以来、戻らなかった」  土のにおいがすこし、強くなる。  車内がじっとりと湿度を増す。雨の日の、山の中のように寒くて冷たくなる。 「次に叔父さんが現れたのは、お父さんの枕元だった。叔父さんの幽霊らしきものは、ただぼんやりと立って、タンスを指さしていた。一言もしゃべらない。出て行ったときの服装のまま、濡れて汚れた叔父さんはどう見てももう死者にしか見えない。叔父さんが指さしていたタンスの上から三段目に隠されていた手帳には、とある山の地図が挟んであったんだって。どうしていいかわからず、とりあえず休日にその場所に向かったお父さんは、山の麓の苔むした石碑の上で首を吊る叔父さんを見つけた」  叔父さんは動かない。……せめて苦しんでみせてくれたらマシなのに、と思う。こんなことを思うのは、相手が藍ちゃんだからだし、藍ちゃんの時だけだ。 「警察を呼んだ。自殺で処理された。葬儀は出したしきちんと骨は墓に入れた。それなのに、叔父さんは相変わらず枕元に立った。ぼんやりと部屋の隅に佇む叔父さんは、たまたま帰省していた康太くんが『言いたいことがあるならハッキリ言ってさっさと消えろ』と叫ぶと、申し訳なさそうに顔を歪めて『ごめんな、ひとりじゃ足りなかった』と言った。そしてその翌週、お父さんが死んだ。首つりだった」  藍ちゃんは動かない。……泣いてないなら、それでいいけど。 「その後も叔父さんは消えない。ほとんど毎日、家の至るところに出ては、ごめんな、ごめんなと謝る。そして『まだ足りないんだって』と叔父さんが謝った冬の日、お母さんが死んだ。康太くんから相談を受けた霊能者は無力だった。どうしても除霊がうまくいかなかった。そして結局、春に康太くんも死んだ。みんな首を吊った。残ったのは藍ちゃんだけっていう、ただただ胸糞悪い話」  ポケットから出した袋から塩を摘まむ。  パッと助手席に散らす。  何の余韻もなく、何の言葉もなく、叔父さんは今日もさっぱりと跡形もなく消えた。  叔父さんが山に行った理由も、首を吊った理由も、そのあと家族が生贄のように命を絶った理由もいまだにわからないままだ。  ただ、叔父さんが原因であることだけは確かだ。  警告として出て来たのか、謝罪がしたくて出て来たのかわからない。とにかく藍ちゃんだけはどうにか死なずに済んだ。おれがたすけたのか、それとも単にまだ死ぬ年じゃないのか、もう『足りた』のかはわからないし、叔父さんは今も藍ちゃんの前に物言わぬまま立ち続ける。  終わったよーと笑えば、藍ちゃんがやっと息を吹き返したように煙を吐いた。  一度この話を、他の人にしたことがあるらしい。たぶん当時藍ちゃんが付き合っていた人なんだろうなーと思うんだけど、その人は『叔父さん、謝りたいだけなんじゃない?』と言ったという。  おれは笑った。藍ちゃんも笑っちゃったらしい。  おれと藍ちゃんは同じ意見だった。 『ひとの家族ぶっころしといて、なんで許されると思ってんの?』  その後、藍ちゃんと懇意になった人の影は見ないから、まー別れちゃったのかなーと思うけど。おれは藍ちゃんがだれと付き合っていようが別にどうでもいいから、あんまり詮索しようとも思わない。  はーしかし、この話長いんだよなぁ。  これでも結構端折って簡易版にしたんだ。なんか今日弱そうなオーラだったし、いけなかったら仕方ないからフルバージョンぶっぱなすしかないけど時間ないなぁーなんて思ってた。  ちゃんと消えて良かった。うん。藍ちゃんに二度この話聞かせるのは流石に鬼じゃん? と思うから。 「はー……仕事前に一仕事しちゃったぁ。やば、結構時間押してんじゃーん叔父さんの話ながーい」 「走れば間に合うから走れ。……あと、タイラくん連れてくなら、ちゃんと事前に連絡してあげな。あんたいつも直前十分前連絡じゃんか。あれ、ほんとよくないから。むしの居所が悪かったらぶっ飛ばしそうになるから」 「じゃーいままでの藍ちゃんのむしは全部良い感じの位置にいてくれたってことかー。ひゅう! こわ! きをつけたーいでもたぶん無理ー忘れるー」 「忘れないうちに都度連絡しろって言ってんの」 「あ、なるほど。藍ちゃんあったまいいーね? えーとじゃあ、すまほータイラさーん。タイラさーん起きてるかな? あ、声出ないかーじゃあラインでいいや」  えーとタイラさんなんかほとんど連絡しないからなーいつも一緒にいるし、タイラさんタイラさんカマヤタイラ……とやっとみつけたタイラさんのアイコンをタップ。  ささーっと用件だけ打って、ささーっと仕事に行こう。 「えーとなんだっけ? おれ何言おうと思ってたんだっけ? 今日の夕飯のリクエスト?」 「山。キシワダトワコ」 「あ、それそれ。えーと……『温泉行こう』でいっかぁ!」 「よくないでしょ……」  ぐったりとした藍ちゃんの声は聞かなかったことにして、えーいとそのままメッセージを送信した。  わりとすぐに既読ついて、『なに』『なにが』『温泉?』『てかおまえいまどこ』ってメッセがチラッと見えたけど、おれ走んなきゃ仕事間に合わないっぽいしとりあえず見なかったことにしてケツのポケットにスマホつっこむ。 「じゃー藍ちゃんいってきまー。帰りにスーパー寄って帰ろー。タイラさんお腹すいちゃうだろうからさぁ」 「……あんた、ほんとにタイラくんをどうするつもりなの……」 「え。飽きるまで構い倒すつもりだけど?」  なんか、すごい微妙な顔で睨まれたけど、いやほんと遅刻はよくない。謝礼に響く!  じゃあねと笑っておれは走りだす。  なんだかんだ手を振ってくれる藍ちゃんはやっぱり藍ちゃんで、いやー藍ちゃん死ななくて良かったし、今日も叔父さんさっさと消えてくれてよかったなぁと思う。  おれは、絶対に、藍ちゃんには憎まれてるって信じてたんだけどね。  …………そっかぁ、そうでもないのか。うん。  じゃあ藍ちゃんのあの呆れたようなため息とか、たまに本気で怒るときの声とかは、あれ、シンプルに愛情なのか。びっくり。言われてみれば藍ちゃんの憎しみは、いつだって無表情かもしれない。  あの叔父さんを徹底的に無視する彼女の視線こそが、憎悪なのかも。……うん。どうやらおれは本当に、憎しまれてはいないっぽい。  あとなんか忘れんなって言われたけど、なんだっけ。  ……まあ、いっか。うん。帰りにもう一回きいとこう、と思いながら、おれは仕方なく依頼人の家に向かって走り出した。

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