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揺れる影と飛ぶ男

 おれの口から出る言葉は、結構ストレートに本心だ。  だって嘘って面倒くさいし嫌いだし、だからおれが大丈夫ー? って慮ってる時はそこそこ本気で心配してる時なんだけど、ま、大体相手には伝わらないよねーそりゃそうだ。  なんとおれは、日ごろの行い、って言葉を知っている!  だからタイラさんだいじょーぶ? って言うたびに若干どころかきっちり睨まれるのも仕方ないよねーって思ってるし、わはは、タイラさんが雪の山道うまーく歩けないのは足元暗いせいだけじゃなくておれのせいだもんね! ってちゃんと理解しているわけだ。 「そんなにしんどいなら寝てても良かったのにーって言いたいところだけどー。タイラさん居た方がよく見えるしなぁー」 「……懐中電灯レベルのライトさで俺を同行させんじゃねーよ……」 「え、懐中電灯よりは便利だよータイラさん、タイラさんに失礼だよ? ていうかすっごい足遅いじゃん、やっぱ背負う? おれそういう肉体労働大嫌いだけど、対象がタイラさんならギリギリ耐えてもいいよ?」 「おまえほんとに一々恩着せがましいよな……」 「だってアピールはちゃんとしないとさぁ! もらえるモンは貰っときたいし、言うだけならタダじゃん? え、背負う? たぶんもうちょい登るよ?」 「いい……自力で歩く……」 「そう? それならもうちょいスピードアップしてくんない?」 「………………」 「あ、いま『殴りてーなこいつ』って思った!?」 「なんで嬉しそうなんだよ……わかってんなら黙れくそやろう」 「ふふ。やーだよ。おれ、タイラさんと喋んの好きだもん」  でもスピードアップしてほしいのは本当だ。そんなへろへろ歩いてたら、夜が明けちゃいそうなんだもの。  どうにか朝までに、っていうか夜中のうちに目的地にたどり着かなきゃいけない。せっかくうまいこと宿を抜け出したんだから、朝ごはんに呼ばれる時には何食わぬ顔で布団の上に居たいものだ。  ま、全部おれの思い通りに行ったら、なんだけど。  こういうのフラグってやつ? あんまり言わない方が良い? とは思うけど、おれは嘘が嫌いだからうまくいくともいかないとも言えない。  カードはたぶん揃ってる。でも、あっちの世界の事なんか、所詮生きているおれたちにはわからない。  おれはいつも、ユーレイなんて自然みたいなもんだしなぁって思ってる。  雷とか、台風とか、花とか、カブトムシとか、そういうの。  感情なんかないし、勝手に存在して、勝手に死んだり消えたりする。人間とは別のもの。人間にはどうがんばったって予測なんかできないもの。  雷が何考えてるかなんて、誰も予想しないでしょ?  カブトムシが感情を抱いてるなんて、誰も妄想しないでしょ?  たぶんユーレイとかそういうものも、一緒だ。ちょっと人間の形をしているだけで、頭ん中は別のものだ。  何かわからないものを相手にしている。だから、結果はどうなるか、いつだってわからない。  タイラさんの冷たい手を引いて、ド深夜の山道を歩く。  タイラさんがうまく歩けないのは完全におれのせいなんだけど、でもタイラさんだって結構ノリノリで腰振ってたじゃん? 最後抜くときにやだやだってすっごいえっちな駄々のこね方したじゃん? まあそのあと正気に戻ってこの世の終わりみたいな反省っぷりだったけど、ふはは。  タイラさん、ぶっとぶと分かりやすくエロい女の子みたいな事言いだすのに、基本は普通のおにーさんだからそのギャップがなんていうか、いいよねー。うん。今度録音して素面のタイラさんに聞かせてあげよう。絶対にかわいい。すごい嫌がってくれる。  なんて、にこにこと未来の事を考えている間に、おれは目的地についたようだ。  空気が変わる。境界線が肌に触れる。肺の中が、一瞬で冷えて唾液が乾く。  ――この感覚は、いつも、嫌だ。 「……っあー……」  息をゆっくり、ゆっくり吐いて、手に持っていたライトを目のまえに向けて照らした。  うっすらと雪の積もった山道は唐突に行き止まり、崖になる。眼科は滝つぼ。正面には、滝つぼに向けて一直線に落ちる凍った滝があった。  朽ち果てそうな注連縄が、滝の水と一緒にかちこちに凍っている。  少し息がし辛い。タイラさんはたぶん、逆に息がしやすいんじゃないかな、と思う。  おれは昔から、神様の領域は少し、苦手だ。 「ついたよー。ね、タイラさんどう? どんな感じする?」 「……どんな、感じって……言われても」 「なんでもいいよ。さっきとちょっと空気変わったのわかる?」 「…………なんか、神社みたいな雰囲気だな、ここ」 「うん。だよね? おれもそう思うよ。ここはたぶんさぁ、かみさまの領域に近いんだよ」 「かみさまの、りょういき」  そう。神様の領域、とおれは勝手に呼んでいる。  この世にはざっくりいろんな領域があると思っている。人間の領域、獣の領域、神様の領域。パワースポットとか霊山とかああいうの、本物はちゃんと存在するし、そういうのは神様の領域区分だ。  おれは人間というか畜生の領域に限りなく近い化物だ。分類するならたぶん、化物。人間ですらない、化物。だからきっと神様の領域が得意じゃないんだろう。  地元の人しか知らないような、地元の人でも年寄しか話題にしないような、ひっそりとしたパワースポット。それがこの、古贄の滝だ。 「この下流にさぁ、海豚が出るって逸話があんだって」  唐突に話し始めたおれに、タイラさんの視線が刺さる。おれはまっすぐ前を見たまんまだけど、タイラさんはきっとものすごく怪訝な顔をしていることだろう。 「は? 海豚? ……川に? イルカ?」 「勿論日本の川に海豚なんかいるわけない。だからただの見間違いだよね。昔の人はさ、双眼鏡もなければカメラもない。ざぶんざぶんと流れていく白いモン見たら、海豚とか河童とか妖怪とか、そういうもんだと思うのが一番楽だったんだろうね」 「ああ――死体、か」 「うん、そう。さすがホラー作家、わかってる~」  まあね、タイラさんの本棚、民間伝承とかの本も結構あったしね。  昔の人は病気の人達を差別して妖怪としたとか、そういう話もどっかで聞いたことがある。本当か嘘かおれはわかんないけど、妖怪として伝わるものの何割かは、奇形だとか病気だとか死体だとか、そういう何かをふわっと誤魔化して表現したものがあるのかもしれないなぁー、って思う。 「ここさ、地元じゃ知る人ぞ知る身投げスポットなんだって」  これは藍ちゃん調べだから、たぶん確実な情報だ。 「でも、ただ死ぬための場所じゃないの。死ぬだけなら、こんなたいして高くもない滝の上から落ちなくたっていい」 「……人身御供、とか?」 「うーん惜しい。ちょっと違う」  この滝の下には死体が上がる。  自殺? ちょっと違う。  人身御供? もっと悪い。 「この場所で死ぬとねー、かみさまが、命を呪いに変えてくれるんだってさ」 「…………は? 何だよそれ」 「そのまんま。誰かをすごーく恨んでるとするでしょ? そう言うときってもうどうしようもないと呪うしかない! ってなるでしょ? でも、普通はそう簡単には呪いの作法なんかわからない。そういう人がね、世間が人間が全部が憎くて仕方のない人がね、この滝で死ぬの。そうすると、パンパカパーン! 見事、呪いの幽霊に転生できる!」 「いや、おまえ、そんな……都合のいい、場所があるわけ……」 「あるんだよ、ここに。そりゃ、もれなくってわけじゃないだろうけどさー、どこにだってあるじゃん? 呪いのパワースポットみたいなもんだよ。呪いたい人の顔を念じると呪いが成立する、みたいなところの上級バージョンだよね。ほんとに知る人ぞ知るって感じらしくて、ネットにも情報ないんだけどねー」  懐中電灯を正面の滝に向ける。瞬間、ゆらゆらと、影が浮かぶ。 「ほら、やっぱり、」  ここは本物だ。  おれの言葉で顔を上げたタイラさんは、懐中電灯の先に視線を馳せて息を飲んだ。おれの手をぎゅっと握ったのはたぶん、意識してのことじゃないんだろうなぁと思う。  その瞬間、おれの視界がざっとクリアになる。  ぼんやりとした見えていなかった奴らが、一斉にリアルに描写される。画素が上がる、例えるならそんなかんじ。  ……滝のまわりにてるてる坊主みたいにぶら下がってるのは、たぶん、身を投げた人たちだろう。  風もないのに、ぶらぶら揺れる。  首が、足が、腕が、ぶらぶら揺れる。  その揺れる群衆の中に、すっかり見慣れてしまったデパートの制服がちらりと見えた。  やっぱりね、ほらね、藍ちゃんの調べた通り。藍ちゃんの言った通り。 「キシワダトワコはここで命を絶っている」  おれが断言した直後、ぐるん、とトワコらしき制服の女の首がこっちに向いた。  うはは、こっわ、きっも。いや、つーか、トワコ首つりじゃなくて身投げでしょ。縊死ぶるのやめてほしいんですけどー。  タイラさんの手にぎゅっとさらに力が入る。きっとトワコと目が合っちゃってるんだろう、カワイソー。 「ここで、って、いうか、……あの人は、なんで、俺んちにいんだよ……うちのご先祖様とかになんか恨みでもあんの!?」 「うーん? うん。あ、そっから話してなかったっけ? あ、そうだっけ? トワコ、鎌屋家の前の前の隣人だって話は?」 「初耳なんだけど……!」 「えーうそー」  やっば、すっかり話したつもりになってた。  もう面倒くさいから藍ちゃんの資料勝手に見てほしいんだけど、いま持ってないし、仕方ないからえーとえーと、と要約する言葉を探す。 「ご先祖って程昔の事でもないよ。キシワダトワコが死んだのは三十年前。当時トワコはでかいデパートの案内係で、そんで上司との不倫がバレて仕事クビになって上司にも捨てられて、上司の奥さんに慰謝料請求されてさ、たった三百万の慰謝料が払えなくって、いやー払えないこともなかったのかもだけど、払いたくなかったのかもね? 自分を捨てた男とその妻が幸せに暮らすための金になるなんて、耐えられなかったのかも。そんでねートワコはいろんな人を憎んで憎んで憎んで呪って身を投げたんだよね。トワコの母方の親戚がこの辺出身で、それでこの滝の事を知ってたみたい」 「……いや、ちょっと待て。待て、ナガル、その話にうちがどう関係すんだよ。まさかその上司と妻が、うちの両親……?」 「あ、違う違う。タイラさんのお父さん、デパート務めじゃないでしょ。藍ちゃん調べだと地方公務員って話だったから、確実に関係ないねー」 「じゃあ、なんで」 「え、隣に居たからじゃない?」 「……は?」  うん、いや、まータイラさんの反応は予想通りだよ。 「なんだよ、それ。たまたま隣人だったから、うちが呪いのターゲットになった、っつーこと?」 「そう。その通り、大正解! いや、まじだよ? まじ。うん。キシワダトワコは上司に捨てられてその妻に追い詰められて会社も辞めて家族に見放されて、そんでその誰でもなく、隣人の普通の家族を呪ったんだよ。普通に生きてる、普通の、別になんの害もない鎌屋の人たちを呪ったの。なんで笑ってんの? なんで楽しそうなの? わたしこんなに不幸なのにーってさ。意味わかんないよねぇ、だって、呪うならさ、上司と妻を呪えって話だよねー」  たぶん、一番目についた平凡な幸せだったんじゃない? 自分を傷つけた人間は、怖くて恥ずかしくて嫌で嫌で直視できなかったんじゃないの? 知らんけど。わからないけど、おれはそう考察するよ。まあ、どうでもいいんだけどトワコの感情なんて。  因果なんてこの際どうでもいい。大切なのは事実と結果だ。  トワコは呪いが成就する滝に飛び込んで死んだ。そしてその呪いは今も、鎌屋家にさんさんと元気に降りかかっている。  藍ちゃんはトワコの親類の住所から、この場所を割り出してくれた。本当にびっくりするくらい有能な探偵だ。なんかそういう、アヤシイ場所しってる専門家にツテとかあるのかも。こんな場所、まじでちょっとやそっとじゃ見つからない。  さて、と息を吸う。ちょっとだけゆっくり吐く。 「……うーん」  ビシッと格好よく到着してドヤ顔で解説したものの――実は予想外な事実がひとつあった。  おれは語って除霊する。その話の内容は、本質というか事実に近ければ近い程良い。だからまあ、根源っぽいこの滝に来て、この辺の話と一緒にトワコの話もまとめて語ったらいいじゃーん、って思ってたんだけどさ。  いや、トワコがここに居たからやっぱここで死んでんじゃんビンゴじゃん! ってのは勿論収穫なんだけど。  ……残念なことに、ここは、神様のエッセンスが強すぎる。  おれの心許無い唸り声を目ざとく聞きつけたタイラさんは、すごく不安そうにおれの腕を引っ張る。あなたさっき『俺は百七十七センチある立派なおっさんだ』みたいなこと言ってたけど、その仕草完全に女子だよ? 自覚あんの? もー、おれいま結構本気で悩んでんだから、気ぃ散らしてくんのやめてよねー。 「なあ、ちょっと、大丈夫なんだろうな……まさか塩忘れた、とか言わねーよな?」 「塩はたっぷり持ってるんだけど、塩以前の問題なんだよねー」 「……なんか、やばいの?」 「うーん。やばいっちゃやばい、かも? いやーおれさぁ、ほら、化物じゃん? 人間か化物かって言われたら、カテゴリー化物だって思うんだけどね?」 「お、おう……いや、まあ……そう、っすね、つか、急に何……」 「化物ってさぁ、神様と相性悪いんだよねー。他の化物っぽい人知らないからアレだけど、おれに関しては正直ものすごーく相性悪い。神様系の話って古すぎて全然残ってない事も多いしさぁ。おれが除霊できんのは、人間のユーレイ。でも、ここに飛び込んじゃった奴はなんてーか……うーん。なんだろこれ、タタリ? の領域いっちゃってる感じすんだよなぁ」  人間の憎悪に神様のエッセンスを数滴、それで出来上がった命を賭して出来上がった呪い。それはおれが思っていたより人間的じゃなくって、もっともっと根源に近いらしい。  嫌悪っていうか厭忌。呪いっていうか祟り。  そういうのは、正直自然みたいなユーレイよりもっともっとやばい。  かみさまってのはやばいんだよ。この世の理とか全然無視できちゃうんだよ。触っただけでアウトー! みたいなやつぼこぼこ居るんだよ。  だから、うーん、わは、これやばいかも。正直このレベルに対抗するには命丸々一個ぶん投げるくらいの気持ちがないと――。 「……ああ、そっか。お父さん、それで死んだのか」  そして唐突におれは気が付いてしまった。  ぶらぶら揺れるキシワダトワコ。その足元に、縋り付くように絡みつく人間もどきみたいなへびっぽいのがいる。  顔から下はほとんど溶けていてわからない。全然五体満足じゃない。けれどその蛇みたいに伸びた身体をトワコに巻き付けているのは、間違いない。藍ちゃんの資料で見た、鎌屋祐三の顔に間違いなかった。  タイラさんのお父さん、家族助けようとしたんだ。自力で調べて、この滝に行きついたんだ。だから、自分がこの滝に飛び込んだんだ。同じものになって、相殺しようとした。  でも、トワコの方が強かった。  もしくはタイラさんのお父さんは、正しく祟りになれなかった。失敗した。どちらにしても、失敗して、結局トワコのペットになっちゃってる。たぶんそうだ。きっとそうだ。  鎌屋祐三は楔になろうとした。  キシワダトワコをこの場所に縫い付ける、楔になろうとして失敗した。 「あ」  なんだ、簡単じゃん? 「おれが楔になればいいんじゃん!?」  わあ、名案! ていうかヒントありがとう親父さん! あれ、そっち行けばもっと明確に言葉伝わったりすんのかな? ま、ありがとうってそんとき覚えていたら言ったらいいや!  思い立ったら吉日タイプのおれは、タイラさんの手を振り払ってからにっこり笑う。 「タイラさん良かったねー! たぶんなんとかなるよ! いやぁー親父さんに感謝してね? あとおれにも結構感謝してねー。あ、道覚えてる? 一人で帰れる? 部屋の鍵はタイラさんが持ってるよね、まー最悪同行者が夜中いきなり飛び出して追いかけたらこんなことに~とかなんとか適当にでっちあげてさ、適当に保護してもらったらいいよ、うん。なんとかなるなるー」 「…………ナガル?」 「うん、はい。何? あーでも、藍ちゃんはほら、おれのことあだ名で呼ぶじゃん? モノルって。だから、ナガルーって呼んでくれる人、ちょっと新鮮でよかったなぁ。おれ、親父にねーナガルって呼ばれてたから」 「おまえ、ちょっと、そっちあぶねーから、馬鹿、落ちんぞ、何して……」 「うん、落ちるの。じゃあね、タイラさん。せっかく助けるんだからそこそこ幸せになってねー」  ばいばい、と笑う。  そのままおれは、後ろに飛ぶ。頭から落ちた方が確実なのかもしれないけどさ、頭ぱかーって開いちゃうのはちょっとなぁ、もしおれもトワコみたいになっちゃったらさ、顔はせめて綺麗なままがいいよねーなんて、我儘なことを考えたから。  ばいばい、タイラさん。  おれさ、最後に助けるのは藍ちゃんかなーって思ってたけど、まあ、タイラさんでもいっか。うん。  だってタイラさんは、生きてたほうがいいよね、って思うからさ。

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