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第6話 勘違いと勘違い
嫌な予感に急かされて瀬名の背中を追ってはみたが、全然追いつけなかった。しばらく校舎内を探してみたけど、俺も部活に出ないわけにはいかないから、途中で断念せざるをえず……。
モヤモヤした気持ちのまま瀬名を放置したくなくて、俺は部活の後、ダッシュで瀬名の家に向かった。もうこれ以上、瀬名とこんなギクシャクした関係でいたくない。俺との関係を辞めたいというのなら、きっぱり瀬名の口からその意志が聞きたい。そして、”練習”をやめても友達でいてもらえるように、頼んでみたい……。
通い慣れているはずの瀬名の家だが、今日はこの家の玄関の門扉をものすごく重々しいものに感じた。
瀬名の家は郊外の住宅地にある一戸建てで、瀬名の自室もすごく広い。こういう関係になってからは、”練習”をする日はたいてい瀬名の家で過ごしてた。この家から帰る時はいつも、充実感と甘い幸福感に包まれながら自転車を漕いでいたけど……。
綺麗に整えられた玄関ポーチには明かりが灯っていて、瀬名の自転車が停めてある。二台あるはずの自家用車は駐車場にいないから、いつも帰りの遅い共働きのご両親は、今夜もまだ帰っていないようだ。
俺は意を決し、門扉を開けて瀬名の家の敷地に入った。そして、玄関のインターホンを押す。
ぴんぽーん、とのんびりしたチャイム音が鳴った後、いつもより低い声で『はい』と応じる瀬名の声が聞こえてきた。
久々に瀬名の声を聞いた。その事実だけで、俺の心臓はばくばくと大暴れだ。
俺は努めて落ち着いた声で、「あの……俺、だけど」と言う。戸惑ったような沈黙が、インターホン越しにも伝わって来る。俺はもう一度「話、したい」と言った。
『……待って』
しばらくして、まだ水泳部のジャージ姿のままの瀬名が姿を現した。細く玄関のドアを開け、不審者を見るような目つきで俺を見上げている。いくら訝しげな眼差しを向けられたとしても、久しぶりに瀬名とまた視線を通わせることができたことが嬉しくて、俺はついついにやけてしまった。
「……おう、久々」
「……な、なんだよ。いきなり来るとか」
「話したいことあるから、来たんだ。時間ない?」
「……大丈夫だけど」
「すぐ済むから」
「……」
俺がドアの隙間に身体を滑り込ませると、瀬名はひるんだように後ずさり、何故か泣きそうな顔で俺を見上げた。その表情の意味が分からなくて、俺はちょっと小首を傾げる。
だって、瀬名は俺との関係を清算したいと思ってるはずだ。瀬名がこんなにも悲しそうな顔をする意味が分からなかった。
一階にある自室へと歩を進める瀬名の背中を追う間、俺は頭の中で瀬名に伝えるべき言葉を探した。でも、全然いいセリフが思いつかなくて、俺はだんだん落ち着かない気持ちになってきた。
「……なんか飲む?」
「い、いや……いい。す、座れよ」
「うん……」
通い慣れた瀬名の部屋。俺はなんとなく、窓際に置かれた瀬名のパソコンデスクのイスに腰掛けた。すると瀬名は、すぐ向かいにあるベッドにすとんと腰を下ろす。
ぎこちない沈黙。
いざ瀬名を前にすると、全然言葉が見つからない。だって俺は、瀬名との“練習”をやめたくない。瀬名のことを、他の誰かに取られたくない。でも……そんなことを言ってしまえばきっと、瀬名はドン引きして俺との友情すら断ち切ろうとするかもしれない。それが怖くて、俺は何も言い出せなかった。
すると瀬名は、ひとつ盛大にため息をついた。
そして、きつい目つきで俺を睨みつけて、低い声でこんなことを言う。
「ちょうどいいわ。俺もお前に聞きたいことあったし」
「え、な、何?」
瀬名はちょっと唇を引き締めた後、意を決したように息を吸い、一息にこう言った。
「翔って敬太が好きなの?」
「…………ん? え?」
「そーなんだろ? 今日、教室でいい感じだったじゃん。窓空いてたから、見えた」
「え? ……えぇ?」
まぁ確かに、廊下側の磨りガラスの窓はひとつふたつ、開いてた。
九月の風は気持ちがいいから、グラウンド側の窓も廊下側の窓も開いてて吹き抜ける風が涼しくて…………ってのはどうでもよくて!!
「お、お前何不気味なこと言ってんだよ!! んなわけないだろ!! ありえねぇだろなんで俺が霧島みたいなの!!」
「だって翔、こないだまで敬太が苦手だとか言ってたじゃん。なのにさ、なんだよ二人で仲良くくっつきあってニコニコしてさ」
「くっつきあってなんかねーよ!! 日直の仕事してただけだろ!!」
「このあいだの……アレだって……そういうことなんだろ。敬太と……そういうことしたいから、俺に……」
瀬名の目がじわりと潤み、俺を睨みつけていた視線が逸れる。瀬名は顔を赤くしてまた唇を噛み、ベッドの上であぐらをかいて俯いた。
「……俺に、ふぇ、フェラ……したのだって、”練習”だって言ったじゃん。そういうことなんだろ。敬太に、したいから……俺を練習台にしただけってことなんだろ」
――……え? それって……俺のあの一言を、瀬名はずっと気にしてたってことか?
――俺はただ、瀬名と気まずくなりたくなくて、ああ言っただけなのに。むしろあの一言が元凶だったってことなのか……!?
「……ちっ……ち、違う!! 断じて違う!! あれは……!! あれは、瀬名があんまりにもかわいいから、つい……!!」
「……えっ? は? かわいい? 俺が?」
「他に誰がいるんだよ!! あれは、練習って言っちゃったのは、フェラなんかされて、瀬名がドン引きしてんだろうなって思ったから……!! 気持ち悪かったんじゃないかなって心配になって、あんなこと言ったわけで!!」
「……」
今にも泣き出しそうだった瀬名の顔が、途端に緩んだ。ぽかんとした表情で、うるうるした瞳のまま、じっと俺を見つめてる。
「あ……そ、そーだったん、だ……」
「おう……そうだよ! あれが気持ち悪かったから、瀬名はずっと俺から距離置いてんだろうなって思ってたんだ。俺と……ち、乳首舐めあうとかさ、そういうの、もうやめたくなったんだろうなって。だから、」
「えっ!? 俺やだよ、やめたくねーよ! むしろもっとお前と、」
はた、と何かに気づいたような顔で、瀬名は自分の口元を手で覆った。じわじわと、瀬名の顔がさらに赤く染まっていく。
――これは、どういう状況だ……!? やめたくないって、まさか、そういうこと!? ポジティブに受け取っていいとこなのか……!?
俺は椅子から立ち上がり、真っ赤になって俯いている瀬名の隣に座った。すると瀬名はぎょっとしたように俺を見上げたけど、不思議と瀬名から拒絶感のようなものは漂ってこない。ただただ、しっとり潤んだ目で俺をチラ見してくるだけで……。
――あれ……瀬名ってこんなにかわいかったかな。
「……お、俺と何? 何、したい?」
「えっ、そ、それは……」
「そろそろ”練習”なんかやめて、かわいい女子と付き合いたいとか、思わないの? 瀬名はモテるし、すぐ彼女くらいできるだろ」
「……彼女なんて、いらねー。俺は……俺……」
瀬名は顔を上げ、じっと俺を見つめてきた。
その眼差しからは、言葉以上の感情がありありと伝わってくる。多分これは、俺の勘違いとか、願望とか、そういうのじゃない。
俺は瀬名を抱き寄せて、ぎゅうっと両腕の中に包み込んだ。すると一瞬瀬名は身体を強張らせたけど、すぐに、俺の制服のシャツを掴んできた。
――やっぱ、そうだ。瀬名は俺のこと……。
「……俺と何したいの?」
「……は、はぁ!? いちいち言わせんのかよそんなこと!!」
「いや、マジで分かんないんだもん。俺……絶対、こんなのやめようって言われるとばかり思ってたから」
「……そんなの、言うわけねーじゃん。俺は翔としか、こんなことしたくねーっていうか……」
「まじで? じゃあ、フェラしたのも、引いてない?」
「引いてねーよ!! ……むしろ嬉しかったのに、お前が練習とかなんとか言うから……!!」
「まじか……ごめん、ごめんな……!」
もぞ、と腕の中で瀬名が顔を上げる。俺たちは至近距離で、じっと目線を絡ませた。
「翔」
「な、何?」
「舐めたい、お前の。……いい?」
「い、いいけど。……けど俺、今そんなことされたら、ええと……我慢できるか分かんないんだけど」
「……いいよ、我慢しなくても」
「えっ!?」
瀬名はそう言って、俺の肩を押して身体をヘッドボードにもたせかけた。瀬名は俺の脚の間に割って入ってきて、情欲の滲む目つきで俺を見上げながら、そっと俺のシャツをたくし上げていく。
瀬名の耳を飾るシルバーのピアスが、きらりと光った。
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