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第3話
京介の自宅は、繁華街と海の両方にほど近いタワーマンションの二十三階にある。早々にマンションを購入した理由は、貯金するくらいなら不動産でも買ってしまえばいいのでは、というなんとも短絡的なもの。法医学者としてそこそこの給料をもらっておきながら趣味らしい趣味を持たない京介が、一番お金を使う場所が日々のお菓子代なのだから。
「……あれ?」
遠目に自宅マンションを見て、京介は首を傾げた。誰もいないはずの自室に、明かりがついている。昨日は確実に電気を消してきたから、残る可能性は一つしかない。お節介な人たちの顔を思い浮かべながら、京介は小走りで自宅へと向かう。そうしてエレベーターを下りてまっすぐ目的の部屋の扉を開けるやいなや、賑やかな声に出迎えられた。
「あ、京介おじちゃん!」
「パパー!京介おじちゃん帰ってきた!」
「ゆめか、ほのか。俺はまだおじちゃんって歳じゃ……」
足元にまとわりついてきたのは、六歳と三歳の姪っ子二人。このままだと靴を脱ぐことすらままならないから、大声で部屋の奥に向かって叫ぶ。
「英介 英介兄ちゃんか海咲 さん、ちょっと来て手伝ってよ!」
この二人がいるのなら確実にいるはずの二人の名を呼ぶ。ややあって、声を掛けた方向からぱたぱたと足音が近付いてきた。現れた小柄な女性は、慣れた手つきで京介の足元から幼児二人を離す。
「こら!ゆめかもほのかも、そんなにくっついたら京介くんが動けないでしょ?」
「助かりました、海咲さん」
「いえいえ~」
子供二人を抱えて大変だろうに、兄嫁である海咲はぱっと可愛らしく笑った。猫みたいにくりっとした瞳に少し幼い顔立ち、ゆるくパーマをかけたセミロングの髪。つくづく兄にはもったいないほど可愛くて親しみやすい人だ。
「それよりごめんね?うちらが来るの、明日って言ってたでしょ?」
「そうでしたね」
「あのね……、ってああ!なに喧嘩してるの!」
記憶違いじゃなかったか。幼い姉妹の喧嘩の仲裁に入った海咲の後ろ姿を見ながら、京介は心の中でひとつため息を吐いた。何か急ぎの理由でもあったのだろうか、と思いながらリビングへのドアを開けると、ふわりと美味しそうな匂いがする。荷物を雑にソファーに置いてからキッチンを覗き込むと、フライパンを振っていた人が振り返った。
「おかえり、京介。早かったな」
「英介兄ちゃん、ただいま。……っていうか、なんで今日いるの?」
海咲に聞きそびれたことを兄である英介に問う。英介はフライパンの中に赤ワインを注ぎ込みながら、わざとらしく首を傾げてみせた。
「仕入れ先からおまけっていって、ハンバーグのセットが送られてきたんだよ。どうせ一人じゃ飯も食わない京介くんが『食べたい』って言うだろうなー、って思ってね」
「明日じゃダメだった?っていうか店はどうしたんだよ?」
「臨時休業~。代わりに明日開けるからいいだろ」
「いいのかよ……」
呆れる京介に構わず、英介は鼻歌交じりでフライパンの中身を煮詰めている。手際の良さはさすがといったところだ。
英介は実家の喫茶店『ルーシー』を継いで、軽食もケーキも一人で作っている。切れ長の目やすらりとした骨格は京介と似ているけれど、趣味がフットサルという体育会系の兄は程良く均整の取れた身体をしている。飲食店の店主とは思えないラフに結ばれた長い髪は、本人の性格のゆるさを表しているようだ。
「んー、こんなとこか」
英介はコンロの火を止めてオーブンの中を覗いた。どこか懐かしさを覚えるハンバーグの香りに、京介の腹の虫がきゅうと鳴く。自由人な兄だけれど、料理に関してだけは正確で丁寧なのだ。期待してしまうのも無理はない。
「そろそろ食えるからよ。京介、皿出して」
「はいはい」
「はい、は一回でいいぞ~」
英介は笑ってオーブンの扉を開けた。ハンバーグと一緒に、付け合わせの野菜も焼かれている。姪っ子二人が好き嫌いでごねそうだなぁ、と人参の橙色を見ていると、不意に後ろからドンと何かにぶつかられた。
「っ!」
うっかりよろけてしまい、自分の体幹の弱さに悲しくなる。振り返ると、幼い姉妹が目を輝かせてこちらを見上げていた。
「京介おじちゃん、これなあに?」
姉のゆめかが無造作に掴んで持ってきたものを見て、京介は怒鳴りそうになるのをすんでのところで飲み込んだ。そういえば、とソファーに目をやれば、彩花堂の紙袋からまんじゅうの箱が滑り落ちている。さっき適当に荷物を投げたことを、こんな形で後悔することになろうとは。
「……練り切りっていって、あんこでできたお菓子だよ」
「お菓子?このお化け、食べられるの?」
「そうだよ」
京介の返答に、幼い姉妹は更に目をきらきらとさせる。ここで取り上げるような真似をしたら、さすがに大人げないだろう。京介はこっそりとため息を吐いてから、しゃがんで二人と目線を合わせる。
「ゆめか、ほのか。お化け、一個しかないけど喧嘩しない?」
「うん!」
「食べるのは、ごはんが終わってから。分かった?」
「わかった!」
「それから……、ま、いっか」
京介の話もそこそこに、姪っ子二人ははしゃいでリビングに戻ってしまった。今度は隠すことなく息を吐く京介に、英介が食事の仕度をしながら苦笑してみせる。
「後で言っとくわ。悪いな」
「今回はこっちのせいでもあるし。次に兄ちゃんのとこのケーキを持ってきてくれるなら許す」
「……ま、それはいいけどよ」
ケーキじゃなくて飯を食ってほしいんだけど。英介の呟きは聞こえていないふりをしながら、京介は盛り付けの終わった皿を持ち上げてリビングへと運んでいった。
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