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第4話

「……来てしまった」  次の日の昼休み。京介は一人、彩花堂の前にたたずんでいた。通いはするけれど、日を開けずに訪れたのは初めてかもしれない。なぜか鼓動のペースが少し上がって、ごまかすようにスマートフォンの画面を見て時間を確認する。そうしてひとつ深呼吸をして、京介は彩花堂の入り口扉に手を掛けた。からり、と扉を横に引くと、木製のドアベルがカラコロと軽い音を立てる。 「いらっしゃいませ」  男性の声が鼓膜を震わせる。また高鳴る心臓をなだめながら、京介はゆっくりとショーケースの向こう側へ目をやった。すぐに、声の主と視線が交わる。そこには昨日と変わらない姿の紘人が、できたばかりのまんじゅうをショーケースに並べようとしている姿があった。 「あっ、近江谷さん!今日も来てくれたんですね」 「……どうも、」  ぱっと明るくなる紘人の笑顔がまぶしくて、京介はすっと視線を逸らす。もう名前を覚えているだなんて。まあ、店の人間からしたら当然のスキルなのかもしれないけれど。 「あの……、せっかく昨日おまけで頂いた練り切りを取られてしまって。今日はそれ、買い直そうと」 「あらら。何か感想は聞けました?」 「お化けなのに甘くて美味しい、って言ってましたよ。子供の感想ですけど……」 「そうなんですね。お子さん、いらっしゃるんですか?」 「いや、姪っ子で……」  紘人と言葉を交わしながら、京介はショーケースの中へと視線を巡らせる。すぐ目に付いたのは、白くてころんとしたアザラシの練り切りだった。丸々としたボディにちょこんとついた目鼻が、気の抜けたような癒し系の雰囲気をかもし出している。 (……あれ、)  ひとつひとつをよく見ると、微妙に体つきや表情が違う。他の上生菓子も、だ。夏の定番であろう花火も朝顔も、よく見ると百パーセント同じ形はしていない。 (これ、型とか使っていないんだ……)  さすがに錦玉の中に浮かぶ小さな金魚や青楓なんかは型抜きなのだろうけど、ここに並ぶお菓子たちはひとつひとつ手作業で作られているのだ。そんな当たり前のようなことを、改めて思い知らされる。 「何か取りましょうか?」 「あ、じゃあ、このアザラシを二匹……」 「かしこまりました」  紘人はにこりと笑って、手早く練り切りのアザラシをショーケースから出した。昨日と同じように大きな手が器用に菓子を包んでいくのを、京介はふわふわした頭のまま眺める。 「姪っ子さんの分もですか?」 「今回は両方とも自分用、です」 「ありがとうございます。あ、お昼食べました?コレをお昼ご飯にしちゃダメですよ」 「うっ、」  考えていることがすぐにバレてしまって、京介はぐっと息を飲んだ。昨日買ったまんじゅうは家に置いてきてしまったし、どうせ彩花堂に足を運ぶのであれば買ったものを仕事の合間に食べたらいいか――。一言も言っていないのに、見透かされてしまっている。ちょっとした面白くなさと、気まずさ。ゆっくりと紘人の顔を見上げる。 「……善処します」 「本当かなぁ。……あ、」 「ん?」  紘人は何か思いついたように目を輝かせた。どうしたんだろう、と考える間もなく、紘人は手早くアザラシの練り切りを箱詰めしてしまう。 「近江谷さん、ちょっと時間あります?」 「十分くらいなら」 「良かった。少しここで待っててくださいね」  紘人はそれだけ言って、厨房の方へと去ってしまった。一人店先に取り残されて、京介の頭の中はすっかり疑問符だらけになる。帰ろうにも、まだ支払いを済ませていないから帰れないし、いつもいるはずのおかみさんが出てくる気配もない。手持ち無沙汰の時間を、ひとまずショーケースを眺めることでやり過ごす。さっきと違うのは、待たされる理由が分からずお菓子の姿が全く認識できないこと。 (早く戻ってきてくれよ……)  妙にそわそわしてくる。時計を見ても、時間はさほど進んでいない。挙動不審になっていないだろうか、と京介が行動を振り返り始めたあたりで、紘人が厨房から戻ってきた。 「すみません、お待たせして」 「いえ、それよりどうして……」 「今日はコレ、おまけで入れておくので。お昼はちゃんと食べてくださいね」 「……は?」  紘人の手中に収まっているものを確認した京介の口から、なんとも気の抜けた声がこぼれた。 「……どう見ても、おにぎりなんですけど」 「はい。五目炊き込みご飯です」 「あのー……」 「あ、炊き込みご飯、好きじゃないですか?」 「そういうわけじゃ……」  好きとか嫌いとかの話ではない。どう転んでも、ここは和菓子屋だ。同じ米でもおはぎならともかく、おにぎりが置いてあるだなんて。少なくとも、今までの京介の記憶の中に『おにぎりが置いてある和菓子屋』というものはなかった。次の言葉が探せず、京介はただじっと紘人の方を見据える。 「僕の昼食の余りになっちゃうんですけど、よかったら」 「えっ、あの、」 「母も近江谷さんのことは気に掛けていたみたいですし、もらってやってください」 「……」  そんなの初耳だ。ここでは何もやらかしていないはずなのに、他人が気に掛けてくるほどなのか。余計なお世話といえばそれまでなのだが、わざわざ用意してもらったものを突き返すほど非情ではない。ただ、練り切り二つにおにぎりを付けてもらうのはなんとなくはばかられて、詰め合わせの棚から一番大きな菓子折りを手に取る。 「……ありがとうございます。えっと、コレも一緒に」 「えぇ?そんなつもりじゃないんですけど……」 「ちょうど、職場に来客があるのを思い出して」 「……それなら」  取って付けた理由は、多分相手を納得させるには至っていないだろう。けれど、こっちだって突然のことに面食らっているのだからおあいこだ。京介は一人で言い訳をして、財布を取り出した。 「全部で六千二百円ですね」 「はい」  元々お菓子以外にお金を使うことなんてほとんどないのだ。ちょっとくらい多めに使ったところで支障はない。買ったお菓子だって研究室に置いておけばそのうち消えているし、余らせるなんてことはありえない。 「かえってすみません。お昼、ちゃんと食べてくださいね」 「……はい、」  ありがとうございました、と頭を下げる紘人に、京介もきっちりと礼を返して店を後にする。随分時間が経ってしまったように感じるが、改めて時計を見てみると十五分ほどしか過ぎていない。 (何だったんだろうな……)  嬉しそうな紘人の笑顔が、まだ鮮やかに脳裏によみがえる。振り払うように頭を振ると、まとわりついたあんこの甘い香りがふわりと漂った。

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