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第5話

「う、嘘でしょ……?」  法医学教室に瑞樹の声が響く。うるさいとばかりに京介が振り返ると、瑞樹は大げさなまでに崩れ落ちる振りをした。 「……なに?」 「ついに……ついに近江谷先生に彼女が……!!」 「なんで」  京介の冷ややかな瞳が瑞樹を一瞥する。瑞樹はそんなことはお構いなしに、演技じみた仕草で机の上を指差した。 「近江谷先生がおにぎりだなんて!天変地異の前触れか彼女ができたかどっちかでしょ!!」 「……」  瑞樹の指し示す先には、彩花堂の菓子折り――の上にのっかる、炊き込みご飯のおにぎり。紘人が作ったものかおかみさんによるものかは分からないけれど、こうやって出してみるとかなり大ぶりのおにぎりだ。 「失礼な。俺だって米くらい食うわ」 「いつもそう言って絶対食べないくせに!」 「はいはい」  言われるほどか、と思いながら京介はおにぎりのラップを外す。香ばしい醤油の匂いがデスク周りに広がった。そういえば、助教になってから研究室で食事を摂ったことはなかった……かもしれない。素直に認めたら、また周りがうるさいから黙っているけれど。 「それより萩野先生、この間の鑑定書は出来てんの?俺、今回は手伝わないよ?」 「ああっ!締切っていつでしたっけ!?」 「締切というより結論が出揃ったらなるべく早く、できれば一日以内。あまり遅いと信用問題になるよ?」 「……うっ」  すごすごと自分のデスクに戻っていく瑞樹の後ろ姿を見送りながら、京介はひとつ息を吐いて、おにぎりの方へ向き直った。少し考えてから、思い切っててっぺんから一口かじる。 (……美味い、)  ラップを広げた時にも感じたように、しっかりした出汁と醤油の味が口いっぱいに広がる。ところどころ混ざる鶏肉や油揚げなどの具が食感にも楽しい。久々に食べる、素朴な家庭の味だ。  当然、英介のご飯だって美味しい。けれどご飯に関しては子供舌な京介のことを考えてなのか、作ってくれるものはほとんど子供受けしそうな洋食なのだ。改めて思い返せば、和菓子は食べていても和食を食べることはここしばらくなかった気がする。 「……あ、」  気付いたら、手元にあったおにぎりが全てなくなっていた。思ったより夢中で食べてしまったらしい。  ラップをまとめてゴミ箱へ放り投げる。綺麗に放物線を描いて吸い込まれていったそれは、ゴミ箱の底でかさりと音を立てた。いつもより膨れた胃を軽く撫でさすっているうちに、京介の頭の中には一人のひとの姿が浮かび上がってきていた。 (……お礼、した方がいいよな)  一緒に菓子折りを買ってはいるが、それが直接のお礼になるとは言いがたい。次に彩花堂に行くときには、紘人に多少の手土産を持っていくべきだろう。 「さて、と」  午後からはまた一件予定が入っている。練り切りのアザラシたちは終わってからのお楽しみにしよう。  デスクから立ち上がってひとつ伸びをした京介の頬を、夏色の風がするりと撫でていった。

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