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第18話
「いらっしゃいませ。あら、近江谷先生」
「こんにちは」
おかみさんに軽く会釈をして、京介はショーケースへと視線を向ける。思った通り、定番の紅葉の練り切りに唐錦のきんとん、夕暮れ色の琥珀糖などが並んでいる。しばらく眺めていたけれど、今日は『商品と目が合う』ことはなかった。
(ま、いつも新商品が出ているわけじゃないか……)
今回の目的は『秋の和菓子』と聞いて真っ先にイメージされるものを買うこと。京介は少し考えてから、練り切りと琥珀糖、粉茶を買うことに決めた。
「すみません、これとこれ……、六つずつで」
「いつもありがとうね、先生」
「こちらこそ。あの……、最近は紘人さんにもお世話になっていますし」
「そんなそんな。あの子、けっこう押しつけがましいでしょ。煩わしかったら断ってくれてもいいのよ?」
「いや、全然そんなことは……」
手際よく包装を進めるおかみさんの手元を見つめながら、京介はじわりと顔に熱が集まってくるのを感じていた。家に上がったのも一度や二度じゃないのだ。おかみさんが気付かない方が難しいだろう。
急に気恥ずかしくなって、京介はごまかすように店内を見渡した。いつもは厨房にいても必ず顔を見せてくれる紘人の姿がない。
「あの、紘人さんは今日休みですか?」
「そうね。ちょっと風邪引いちゃって」
「えっ」
その言葉に顔を上げると、包装を終えたおかみさんが袋をよこしながら付け足した。
「最近新作作りに余念がないからね。疲れちゃったのかしら」
「そう、ですか……」
「先生がそんな顔しなくていいのよ。これから私が実家の手伝いで数日空けるから、念のために早めに休ませたっていうのもあってね」
話を聞く限りだとそうでもなさそうだけど、今後の症状がどう転ぶかはまた別問題だ。普段はあれこれそつなくこなしているであろう紘人も、こういう時くらい助けがいた方がいいかもしれない。一つ決意して、京介はおかみさんのことを見据えた。
「おかみさん、あの……」
「どうしたの?」
「このお菓子を届けてからになるんですけど……。紘人さんに何か差し入れでも持ってきたいのですが、大丈夫ですか?」
決意したものの、看病しますとかお手伝いしますとまでは申し出ることができなかった。おかみさんは一瞬目をまるく見開いて、すぐにぱっと笑顔を浮かべた。
「本当?ご迷惑じゃなければ全然構わないけど……」
「いえ、迷惑とかじゃないです。いつものお礼と考えたら足りないくらいですし……」
自分でも何を言っているのか分からないまま、言い訳がましく言葉を続ける。おかみさんはしばらくにこにことこちらを見ていたけれど、やがてくるりと厨房の方へ下がっていった。変拍子を刻む心臓をどこか他人のもののように感じていると、おかみさんはほどなく小さなうさぎのぬいぐるみを持って戻ってきた。
「はい、これ」
「……鍵?」
ぬいぐるみを持ち上げると、銀色の鍵がきらりと蛍光灯の明かりを反射して光った。まさか、とおかみさんの顔を見上げれば、彼女は人のよさそうな笑顔で大きく首を縦に振る。
「裏口の鍵ね、それ」
「いいんですか、こんなもの俺に渡して。悪用するかもしれませんよ?」
「先生はそんな悪事を働く人じゃないでしょ。そのうち紘人に返してくれればいいから」
「……はぁ、ありがとうございます」
果たしてこれで良いのだろうか、という気持ちと、他人の家の鍵を手にしてしまったという緊張感に妙な高揚感。まあ、おかみさんが出掛けた後かつ紘人が寝ているタイミングで訪れてしまえば気付かれない可能性もあるし、病人を階下まで歩かせてドアを開けさせるのも申し訳ない。妥当かどうかは分からないが、付き合いがある京介であれば鍵を渡した方が早いということになったのだろう。
「あの、じゃあ、また来ます」
「かえって申し訳ないわね。気をつけてね」
「ありがとうございます」
頭を下げてから彩花堂を出た。なんだか夢うつつのまま、研究室にお菓子を届けて自分用に常備してある処方薬と体温計とを適当に掴んで、挨拶もそこそこに元来た道を引き返す。途中でドラッグストアに寄って必要そうなものを一通り買って、改めて彩花堂へと向かった。店は早々にのれんが下ろされて照明も消えていて、おかみさんが既に出掛けてしまったことを物語っている。
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