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第19話
(……よし、)
裏口へ回り鍵を握りしめ、京介はひとつ深呼吸をした。なにかと気にするであろう紘人のためにマスクを着用してから、意を決して裏口の扉を開ける。
「……おじゃまします」
完全に無許可なわけではないけれど、やっぱり緊張してしまう。何度か訪れた空間の、未だ入ったことのない部屋。おかみさんから教えてもらった部屋の扉をそっと開けると、すぐに人の気配を感じる。そのままゆっくりベッドサイドへと近付くと、眠りが浅かったのか紘人が身じろいで目を開けた。焦点を結ぼうとしている瞳はいつもより潤んでいて、熱が高いだろうことを示唆している。
「……あれ、近江谷先生……?」
「おかみさんに聞いて、ちょっとお節介にね。症状は?」
「あー、えーっと……、都合良い幻覚みたい……」
紘人は呟くように言って、へらりと笑ってみせた。都合良い幻覚、ってどういう意味なんだ。それを今問う場面ではないだろう、と無理矢理自分を納得させて、京介は紘人の額へと手を伸ばした。正確なところは分からないけれど、かなり熱い。
「紘人さん、検温した?」
「まだ……」
「じゃ、今測って。いつから調子悪い?」
持ってきた体温計を手渡しながら問う。紘人はそれを緩慢な動作で受け取って、素直に脇下へと挟んだ。無防備に胸元が晒されて、不覚にもどきりとする。
「今朝、かな……?もう無理、って思ったのはお昼くらい」
「そっか。症状は?どこか痛いとか、気分悪いとか、息苦しいとか」
「頭痛と……あと少し喉が痛いくらい、かな」
「分かった、ありがとう」
一段落したころに体温計が計測終了の電子音を鳴らす。三十八度九分の表示に、京介はひとつ息を吐いた。
「まぁ普通に風邪だと思うけど、解熱鎮痛剤は使った方がいいね。薬のアレルギーとかはない?」
「ない、と思う」
「じゃあコレでいいか。胃薬も一緒に飲んでもらうけど、ゼリーかなにか食べてからだね。どれがいい?」
ペットボトルの水と適当に選んだ栄養ゼリーを並べて問うと、紘人は手近に置いたゼリーを取ってさっさと平らげて、薬も飲んでしまった。そのまま横になるのかと思えば、紘人は上体を起こした姿勢のまま京介のことをじっと見ている。
「どうかした?」
「ん、なんだろう。近江谷先生って本当にお医者さんなんだな、って思って。かっこいい」
「……それはどうも」
ストレートに言われて急に恥ずかしくなる。それを隠すように紘人を布団の中に押し込んで、冷却シートを取り出した。本当は内股とか太い血管がある箇所も冷やしたら良いのだろうけど、今日のところは額だけにさせてもらうことにする。
「こんなところかな。差し入れは適当にしまっておくよ。数日分の内服は置いとくけど、治らなければ病院行きなよ?」
「寝たら治るから、大丈夫」
「稀に大丈夫じゃないことがあるから言ってんの」
「うん。心配してくれてありがと、近江谷先生」
じわりと胸の奥があたたかくなる。もう少し話したいところだけど、相手は病人だ。休んでもらうためにもさっさとおいとました方がいいだろう。立ち上がろうとしたところで、不意に腕を引かれる。
「っ!」
「ちょっと先生、もう帰っちゃうの?もうちょっと話そうよ」
「紘人さん……」
不服そうに言われて心が揺らぐ。調子が悪いと人恋しくなるというけれど、そういうことだろうか。少し時計を確認するふりをしてから、京介はベッドサイドに座り直す。
「眠くなるまででもいい?」
「うん。先生、優しいね」
「それは違うと思うけど……」
「違わないよ。ねぇ先生、先生はなんで法医学者になろうと思ったの?」
熱い吐息混じりに投げかけられる質問。そういえば聞かれたことはなかった、一般的には当たり障りのない部類に含まれる質問だ。京介はちょっと考える素振りをして、口を開く。
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