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第26話

 二人の邪魔はするまい。そう決意しても、京介のスマホには変わらず紘人からのメッセージが定期的に入っていた。  クリスマスを控え、彩花堂でもサンタクロースの練り切りと雪の夜をイメージした求肥を販売するらしい。『試作があるから食べにおいでよ』と、いつもの調子のメッセージに京介はひっそりため息をついた。 (どうするべきなんだ、俺は……)  もちろん、紘人との時間は楽しい。許されるのならば毎日でも会いに行って他愛のない話をして、一緒にごはんを食べて余裕があれば和菓子作りを見せてもらいたい。じわじわとくすぶる思いが胸の中でわだかまる。  紘人に鍵を返してから数日後のこと。和菓子を作っているところが見てみたい、と言い出したのは京介の方だった。紘人が黒糖まんじゅうを蒸している姿を見てから、そういえば、と思い立ったのだ。紘人は少し恥ずかしそうにしながらも、練り切り作りを見せてくれた。 「やば、先生に見られてるなんて。変な顔とかしてたらどうしよ……」 「大丈夫でしょ、紘人さんなら」 「うぅ、お手柔らかにお願いします」  紘人はへらりと笑って、冷蔵庫から二種類のあんこを取り出した。片方は外側の練り切り餡、もう片方は中に包み込む白餡だという。 「今日は……、うん、『六花』。雪の結晶をイメージしたものかな、そろそろ季節だしね」  軽く説明を挟みながら、紘人は練り切り餡と白餡とを切り分ける。適当に見えるけれど、計量して一発で目的のグラム数になっているあたりがもう職人技だ。京介は言葉を発することも忘れて見入ってしまう。  練り切り餡を一部ちぎって、青色の色素を混ぜてなじませる。残りの練り切り餡を薄く伸ばして、その中心に青色の餡をぼかす。綺麗だな、と思う間もなく、練り切り餡の中に白餡が包まれてゆく。 「……魔法か何か?」 「大げさだよ、先生」  京介の口からこぼれた言葉に、紘人は照れくさそうに笑った。どきりと胸が高鳴ったような気がしたけど、気のせいということにしてやり過ごす。  次に紘人が取り出したのは、三角柱の棒と先端が細い針のようになっている箸だった。それぞれ三角棒、針切り箸という名前らしい。どう使うのか見当もつかないでいると、紘人はまず三角棒の方を手に取った。一瞬で目が職人の鋭さを帯びる。 「……っ、」  かっこいい。素直に出てきた感想が、この一言に集約される。耳元で鼓動が鳴り響いてじわじわ熱くなる頬を、京介はどこか他人事のように感じていた。  寸分の狂いもなく、練り切りに六分割の筋が入れられる。次に紘人が手にしたのは針切り箸だ。六分割された一つの表面を花びら形に薄く切り、結晶の模様を作っていく。その先端を指でつまんで尖らせると、雪の結晶の先端だ。その細工を全部に施せば、すっかり雪のひとひらになった。仕上げに中心に銀箔を飾って、紘人はふっと緊張を解く。 「こんな感じかな。見られるとやっぱ手元が怪しくなるね」 「いや、十分というか何というか……、かっこよかったよ」 「えっ!?」  紘人の口から素っ頓狂な声が漏れた。取り落としそうになった練り切りを間一髪のところで受け止めて、紘人は苦笑いをする。 「あー、びっくりした。破壊力強すぎ」 「何の?」 「こっちの話。先生、せっかくだから食べていきなよ。お茶でいい?」 「うん」  促されて二階へと上がり、リビングへと通される。写真立ても迷子のあの子が送ってきた絵も、変わらない様子で飾られていた。引っかかる陽菜の言葉と、いつ来ても拭えない違和感を覚える絵と。踏み込むべきか否か、いつも迷っては何も行動を起こせずにいる。 「おまたせ」 「……おにぎりも?」 「うん。先生、まだごはん食べてないでしょ?お菓子だけじゃだめだよ」 「なんで知ってんの……」 「ん?外勤した後以外にまともな一食をとった、って返事を聞いたことないから」 「……」  そういえばそうかもしれない。今日も上手い返答が思いつかず、言いくるめられるままにおにぎりまで頂いてしまった。だしのきいた炊き込みご飯は、もうすっかりなじみの味になっている。それをちまちま食べながら、京介は練り切りの方へちらりと視線をやった。 「……紘人さん」 「なに?」 「また、和菓子を作るところ、見てもいい?」  京介のお願いに、紘人は一瞬目を見開いた。もしかして、迷惑だっただろうか。慌てて撤回しようとすると、紘人はおもむろに京介の両手首を掴んできた。 「わっ!?」 「分かった。もっとかっこいいところ見せられるように、頑張るから」 「え、うん……、期待してる」  選手宣誓をするかのような気迫の紘人に、京介は反射のように返事してしまう。紘人はほんのりと頬を染めて、大きくひとつうなずいた。  あの日以来、メッセージの頻度が増えたような気がしなくもない。仕事が忙しくなってきているから、相対的にそう感じるだけかもしれないけれど。 (……あぁもう、)  堂々巡りに陥りそうな思考を断ち切ろうと、京介は思い切り息を吸い込む。そこまできて、後ろに人の気配がすることに気づいてしまった。ごまかすように咳払いをしてみたけれど、背後の人物が気づいていないはずはない。 「近江谷先生、どうしたんですか?悩ましげな顔をして」 「そんな顔してないから、萩野先生」 「してましたよ。ちょっと遠くを見ながらため息なんて、もしかして恋煩いですか?」 「な、っ……に言ってるんだよ。それより、鑑定書はできたの?」 「今出してきたところでーす」  にやりと楽しげに笑う瑞樹に、今回ばかりは負けた気がする。はいはい、と軽く流しながらも、ひとつの単語が脳内に刻まれて消えない。  『恋』だなんて。辞書には『男女が互いに特別の情を抱いて慕うこと。またその感情』と載っている。京介は今までその文面に違和感を覚えたことはなかった。少なくとも、自分には『同性に恋をする』という選択肢はなかったはず、なのだ。 (だって、おかしいだろ……)  会いたいと思うのも、ふとした仕草にドキリとするのも、少し弱った姿に庇護欲をそそられるのも。仕事に向き合う瞳がかっこいいのも、会えば心が安らぐことも、あわよくばもっと相手を知りたいと思うのも。そのすべてが恋愛感情から派生するものだとしたら、この上なくすとんと納得がいってしまう。 (……いや、)  仮にそうだったとしても、見込みのないことにかまっている余裕はない。ぼんやりと、陽菜の笑顔がちらつく。自分が割り込むスペースはないのだ、と言い聞かせて京介は席を立った。 「どこ行くんですか、近江谷先生」 「売店。萩野先生、暇なら飲み物くらいおごるけど?」 「やったー!お供します!」  今は、ごちゃついた頭の中を整理するしかない。この際一人であれこれ考えるよりも、瑞樹と適当な話をしてうやむやにでもしてしまった方がマシだ。もう一度吐きそうになるため息を飲み込んで、京介はコートを羽織った。

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