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第27話

ごちゃついた思考は、ふとした瞬間に湧き出ては脳内をじわじわと侵食してゆく。振り払おうと思っても、わずかな隙間をぬって出てくるのだ。恋なんて単語が他人事のままなら、ここまで感情が乱されることもなかったのかもしれない。京介はそっと、あの日の瑞樹のことを呪った。 (なんていうか、彩花堂まで行きづらくなったじゃないか……)  紘人に会うと、色々なことを意識してしまう。自分の気持ちの真意や陽菜とのこと、会話中の笑顔と和菓子に向ける真剣な瞳とのギャップ。最初の条件いっぱい、週三日一緒に食べている夕食のせいで、紘人の作るものがだんだん恋しくなってしまったこと。仕事柄本心を隠すことには慣れているけれど、こんなんじゃいつボロが出てもおかしくない。いや、まだ恋と決まったわけじゃない、多分。  休みの日なのにショートしそうな頭を抱えていると、スマホがメッセージの着信を告げる。 「!」  紘人からだろうか。一瞬でもよぎってしまったことに罪悪感のようなものを覚える。メッセージの送信元は、紘人ではなく兄の英介だった。 (なんだ、兄ちゃんか……)  本人に聞かれたらどつかれそうな一言を浮かべながら、メッセージを開く。そこには『例のモノは買ったから暇なときルーシーまで取りに来て』との言葉とともに一枚の写真が添付されていた。写真には北海道銘菓がいくつか写っている。あの日のお使い代だ。  幸い、今日は一日予定がない。英介も、京介の休日を狙ってメッセージをよこしたのだろう。英介には時々ご飯を作ってもらっているけれど、喫茶店の方には久しく行っていない。海咲がサイフォンで淹れるコーヒーも飲みたくなってくる。 「十四時、か」  今から向かえば、ルーシーにはおやつ時に着くだろう。空腹を思い出したかのように、お腹の虫が軽く鳴いて主張してきた。そういえば今日はまだ何も食べていない。京介は財布とスマホだけ持って外へ出た。  喫茶ルーシーは、京介のマンションから電車を二本乗り継いだ郊外にある。両親が古い建物を買い取って始めた喫茶店は、英介で二代目。近年のレトロ喫茶ブームに乗ってか、ルーシーも意外と人気店らしい。雑誌に載った、と英介が自慢してくるのも一度や二度じゃなかった。 (兄ちゃん見てると、なんかそうも思えないんだけどなぁ)  自由すぎる兄のことを脳裏に描く。店主都合で臨時休業、って、一年に何度聞くだろうか。それでも一家四人が生活できているということであれば、それなりに人は入っているのだろう。とりとめのないことを考えながら到着したルーシーは、休日のおやつ時らしくほとんどの席が埋まっていた。 「いらっしゃいませー、って京介くん」 「こんにちは、海咲さん」 「わざわざありがとね。カウンターでいい?」 「はい」  隅のカウンター席を広めに確保して、海咲が手招きする。京介は促されるままに案内された席に座って、お冷のグラスを受け取る。 「海咲さん、英介兄ちゃんは手空きそう?受け取るモノがあるんだけど、時間なさそうだったらまた後で来ようかなって」 「んー、注文が一段落したらいけるんじゃないかな。京介くん、何にする?」 「じゃあ今日のケーキセットを……、コーヒーとガトーショコラで」 「はーい。英介にも声かけとくね」 「お願いします」  カウンターの奥に消えていく海咲さんを見送って、京介は改めて店内を見回した。高い天井から吊るされたシャンデリアに、赤いベルベットの椅子。それだけで昭和レトロ感満載なのに、随所に配置してある小物やポスターも雰囲気作りに一役買っている。最初に揃えたのは開業者である両親なのだけれど、英介も好きでちょこちょこ買い足しているらしい。壁に掛けられているポスターが前に来た時と別のものに変わっている。使っているグラスは、海咲の地元で有名なガラス工房のものらしい。少し分厚くて気泡の入ったグラスは、なんだかしっくりと手になじむ。  この混み方だと、英介が出てくるまでに時間がかかりそうだ。そうはいっても休日なのだから、飛び込みの仕事がない限りはゆっくり過ごすのも間違ってはいない。  気長に待たせてもらおう。京介は椅子に腰掛け直して、しばらくは暇になるだろうとスマホを取り出した。着信がないことを確認して読みかけの論文を開く。紙を持ち歩かずとも続きを読めるのはありがたい。最近多い剖検症例について、などおおよそ昼下がりのカフェには似合わないものを読んでいると、来客を知らせるベルが入り口から聞こえてくる。 「いらっしゃいませー」  奥から海咲が顔を出す。つられるように京介もそちらへ視線をやって、固まってしまった。

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