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第29話
『新作できたから食べに来て』
『忙しい?ちゃんとごはん食べてる?』
『メリークリスマス。サンタの練り切り、好評だったよ』
『明けましておめでとう。今年もごはん食べに来てね』
『やっぱり時間ないかな?』
――自分の気持ちに整理をつけるまでは、紘人にも陽菜にも会わない。そう決めてから積み上がった紘人からのメッセージは五十通をゆうに超えていた。送られてくるのは多くて一日一通ということを考えると、ずいぶんと時間が過ぎてしまったことを思い知らされる。
『学生実習が長引いて』『今度の学会の準備が』『手が離せない案件があって』 ――。断りの返答のバリエーションもとっくに尽きている。さすがに不審に思われているだろうけど、京介はもうどれが最善の手なのか分からなくなってきていた。
こんなに自分の感情に振り回されるなど思ってもいなかった。だけど、早いうちに手を打たないとかなりまずい。京介はひとつ息を吐いて、冷めたコーヒーを飲み下した。きり、と胃が痛む。
それを忘れようと目の前の書類を開いたところで、後ろに人の気配がした。振り返るのも億劫で無視を決め込んでいると、ややあって呟くような声が降ってくる。
「……近江谷先生にカビが生えてる」
「何、萩野先生」
「私が言うのも差し出がましいですけど、体調良くないですよね」
「……」
珍しく棘のある瑞樹の言葉に上手く返答できず、京介はただゆっくり首を横に振った。納得できないとばかりに、瑞樹の視線が刺さる。
「だいたい、最近はお菓子すら食べてないじゃないですか。彩花堂の若旦那はどうしたんですか?」
「……紘人さんは関係ないと思うんだけど」
「そういうことにしておきます。で、ここ三日は何を食べたんですか?」
「……」
ここ三日。三日どころか、最後にまともな食事をしたのはいつだっただろう。京介は考えるふりをして瑞樹から視線を逸らした。
というのも、年明けあたりから危機感を覚えるほど食事ができなくなっているのだ。和菓子はもちろん、洋菓子もあの二人を想起させてしまうから手が遠のいているし、一人でごはんを食べようとすると紘人の笑顔がちらついてしまう。お節介な英介はといえば、先日の一件で『彼女との仲』を邪魔してはいけないと想ったのか、時々連絡が来る程度で押しかけてくることはなくなった。そんなこんなで食べない日が続いていくうちに、すっかり身体が食べ物を拒むようになってしまった。
いっそ、何事もなかったように紘人の誘いに乗って、このモヤモヤを全て洗いざらい吐き出してしまった方が良いのだろうか。今更どの面下げて、という感じはあるけれど、いい加減生活に支障が出てしまう。でもどのタイミングで返事をすれば――。
「近江谷先生?聞いてます?」
「……聞いてる。昨日はなんかその……コンビニのお菓子とか……?」
「なんでそんなに曖昧なんですか。なんか買ってきます?」
「大丈夫。ありがと」
むりやり笑顔を作って返すと、瑞樹は渋々といったように頷いて自分のデスクへと戻っていった。面と向かって指摘されるなんて、外から見てどれほどの状態なのだろう。
考えたくもなくて、京介はさっきの書類を開いた。文章の羅列がぼんやりと頭をすり抜けて、上手く意味が取れない。
(……やば、)
京介は思わず頭を抱えてデスクに突っ伏した。さすがにダメだ、早くどうにかしないと。今日はできれば早く仕事を終えて、家に帰って休みたい。
そんな京介の些細な願いを嘲笑うかのように、研究室の電話が鳴った。
「はい、法医学教室の山崎です。……はい。……えぇ、今から大丈夫ですよ」
直々に電話を取ったのはこの研究室の主だ。昼を過ぎてから受け入れというのは、他に断られたか急いでいるのか。京介は書類を置いて、会話に意識を向ける。
「先に分かることをFAXして頂けますか?……そうですか。はい……、はい。……分かりました、失礼します」
教授は受話器を置くやいなや、渋い表情になった。一瞬にして部屋の空気が張り詰める。彼がすぐ表情を曇らせるときは、大抵気分の悪い事件が背景にある時なのだ。
「一時間後にご遺体が二体。母親と乳児だ。詳しいことはこれからだけど、元夫と名乗る男に殺害されたらしい」
「そんな……!」
真っ先に声を上げた瑞樹をちらりと見てから、教授は室内の面々へと届くように声を上げた。
「受け入れ準備整えて、CTの準備もね。長丁場になりそうだから、みんなそのつもりで」
「はい」
最初から準備をしたら、一時間なんてすぐだ。解剖が始まってしまえば、感染症リスクなどから終了までは原則退室できない。だから食事なんかも済ませておかなければならない――、京介は出そうになるため息を飲み込んで着替えを手に取った。そこでまた、後ろに気配を感じる。
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