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第38話

「あのさ、紘人さん」 「ん?」 「もしかして、俺の後輩……、萩野とも面識ある?」 「瑞樹ちゃんね。陽菜の弟と知り合いだったから、頼んで顔つなぎしてもらっちゃった」 「そうだっけ?……あ、」  迷子を送り届けたあと、海沿いのカフェに並んだ日のことが思い起こされる。そういえば、京介もあの時、陽菜の弟である晴多と二言三言交わしていた。あの時は陽菜と紘人の関係の方が引っかかって、晴多のことを気にかける余裕はなかったのに。 「瑞樹ちゃんから職場での先生の様子は聞いていたけど……」 「ちょっ、マジで……?」  予想外の展開に、京介はぽかんとしてしまう。これはもしかしなくても、瑞樹にも紘人と京介の感情を知られ、行く末を見守られてしまっているのではなかろうか。その事実を認識した途端、一気に顔が熱くなる。京介は思わず両手で顔を覆った。 「……恥ずかしくて死にそう……。っていうか、めちゃくちゃ外堀埋められてる気がするんだけど……」 「うん、ごめんね。でも、身近な人が理解してくれないのはすごく辛いから……」 「――!」  京介ははっとして顔を上げた。すぐに、寂しそうに微笑む紘人と目が合う。同性が好きだとカミングアウトした結果、和解する機会もなく実の親と死別した――、 「紘人、さん……」 「もし付き合うことにならなくても、友人として人脈を広げたと思えばいいし。そして恋人として関係を結べた時、先生には俺と同じ思いをしてほしくなかったから……」 「……」  紘人は、そこまで本気だったんだ。まざまざと思い知らされて、京介はひゅっと息を飲んだ。鋭く飛び込んできた空気は胸の中でじわりと熱を帯び、ゆっくりと全身に回ってゆく。鼓膜の裏で、心臓が脈打つ音が響く。 「……ありがとう、紘人さん」 「こっちこそ。聞いてくれてありがとう」  優しい声で言って、紘人は京介の手を取った。そのまま顔を寄せられる。吐息がかかる距離に、心拍数が跳ね上がって、頬が熱くなってくる。 「ねぇ、先生。名前で呼んでいいかな?」 「……好きに呼んでいいよ」 「へへっ。……京介さん」  幸せそうに紡がれる音。それだけでとろけてしまいそうだ。  もっと、呼んでほしい。近くに来てほしい。こんな欲求が自分にもあったのか、と戸惑う間すら与えられないほど、満たされている。  後頭部に手を回される。そのままこつんと額に額をつけられた。薄い皮膚一枚隔てて感じる、好きな人の体温。 「京介さん。キス、してもいい?」 「……紘人さんがしたいなら」 「ふふ、本当に可愛いね、京介さん」  呟いた唇がふわりと重なる。それは軽い音を立てて、すぐに離れていった。  なんだか物足りない。京介はねだるように紘人の瞳を見上げた。紘人も察したようで、優しく笑って京介の眼鏡を外す。ぼやける視界の中で、紘人の姿だけがクリアに像を結んだ。 「……嫌だったら、言ってね?」  今度はしっとりと唇を重ねられる。柔らかさと温かさに、胸の奥がじりじりと熱くなってゆく。好きな人とのキスは、こんなにも全身を絡め取られてしまうのか。思わず紘人の胸元に縋り付くと、ここを開けて、というように下唇を軽く吸われた。 「……ん、」  素直に従うと、別の体温が隙間をこじ開けて侵入してきた。舌先で粘膜をなぞられて、ぞくりと背中が震える。でも、嫌じゃない。もっと触れ合いたい。誘い込むように自然と口が開く。 「っ、んぅ……」  もっと奥まで舌が入ってくる。口蓋をくすぐられて歯列をなぞられ、舌先を吸われる。  紘人は優しい。キスも、いつの間にか腰に回された腕も。ゆっくり反応をみながら愛撫してくれているのが、言われずとも分かる。  この深い愛情に応えたい。自分も負けないくらい、紘人を求めていたのだと伝えたい。京介は自ら広い背に腕を回し、彼のことを抱き締める。

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