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第一話
それは王宮にいるすべてのものにとって、青天の霹靂ともいえる出来事だった。
「この者を公妾とする。これを認めよ」
男は高圧的な声で、憮然とした表情を真っ直ぐと向けて冷たく云い放つ。
声の主は人間ではない。
頭は獣で、二足の脚で立ち、首から下は豪奢な衣装を身に着けている。頭部は胴体よりも前方へ突き出て、首から後ろがやや長い。王を取り囲んでいる貴族たちも、城内の警察の役目を担う宮廷衛官もすべて獣人だった。皆が同じような身形をしているが、白虎は彼一人しかいない。
名はこの国の王、ガーレフ・ガウェイン。慈愛に満ちた父王が病で亡くなり、幼少より王位を受け継いだ。そろそろ妃を迎え入れる図らいで、今日はそのお披露目という場に数千人もの有力貴族たちが王宮に集まっていた。
「本気ですか?」
「なんだ、不満か」
「……そんなこと、なさらないでください」
女は大きな耳をわなわなと震わせている。
「そんなとはなんだ」
男は不満げな声で眉をしかめ、白の被毛が艶やかにゆらぐ。黒の縞模様は濃淡を描いて絡まるように流れ、黒から茶色へ手足に伸びるほど薄い。瞳はすこし紫がかった薄い青色で宝石にも劣らないほどの輝きを放つ。半歩後ろにいたリルはじっと男の背中を見ていた。
「公妾なんて……そんな。……前代の王がご覧になったら、きっと慨嘆なさります」
宮廷で開かれた舞踏会は先ほどまでの興奮が嘘のように静かだ。栄華を極めた大広間ではうつくしい室内装飾が施され、天井には金色の薔薇のモチーフが絵を華やかに取り囲んでいた。その大広間を、沈黙がしんと支配する。大理石の床の上に冷えた夜気が流れ込み、純白の被毛が柔らかにゆらいだ。
「これはもうすでに決まったことだ。いまさら覆すわけにはいかない」
「…………どういうこと」
女は唇が引きつって震え、貝のように押し黙る。そして呆然と視線を宙に浮かせた。顔はちいさく、すらりとした腰つきに金色の睫毛をふせ、黒ダイヤのような美しい瞳を曇らせていた。宮廷用に盛装したドレスを、誰もが息を止めて見つめている。
「番いだからだ」
「…………つがい」
「そうだ」
「お、お待ちください。私は、私は陛下の王妃になるものでございます……。……それなのに。そんな……。人間を、そうよ。……人間を宮廷に招き入れるということなのでしょうか」
「そういうことだ」
女は言葉遣いを忘れて、口をぱくぱくとさせている。だがガーレフの、白と黒がはっきりと分かれるもの云いは一方的で歴然としていた。
「……私をお騙しになるのですね」
「騙してなどいない」
「そんな……、……おからかいにならないでくださいませ」
一体何が起こっているのかわからない、そんな空気が伝わった。男は半歩後ろにいた、リルの体を胸元に引き寄せて口を開いた。その指先の鋭い爪はむき出しになっている。
「私は人間と番いになったのだ。許せ」
許せというわりに、態度はなげやりだ。その一言に、ざわめきが止まらない。ざわざわと周囲が耳打ちを繰り返し、ありえないという声が飛び交った。皆が声を殺して、落ち着かない。
「ひどいわっ」
王陛下の目の前にいる当人は、云い放たれた言葉に戸惑いの色が隠せない。三角の耳を動かし、長いの尾を後ろから巻きつけるように出す女は首を横に振った。
女はサーバルという貴重な猫の種から得た獣人で、生家は宮中伯という王によって各地に置かれた大諸侯の監視役だった。大きな権限を持ち、選帝侯という名門一家だ。
だからこそ、シンシアは艶やかな気品と高級感に満ちた最高級の衣装に身を包み、胸の膨らみを見せながら伯爵令嬢ともいえる佇まいで王の前に立っていた。
「これは命令だ」
「人間よ。……いやよ。……いや。汚らわしい。お惚けになるのもいい加減にしてください」
震える声が彼女の尖った口から漏れた。目の縁には涙が盛り上がり、すぐに大きな粒となって頬から伝い落ちる。
「私は天命に逆らうつもりはない」
「……その人間ですか?」
「そうだ」
女の問いたげな視線がゆらぎ、リルの咽喉が上下した。人間は獣人より背は低く、リルの目鼻立ちは端正だがどちらかといえば愛嬌に乏しい、堅実そうな顔立ちをしていた。
リルは背中に棒を入れたように突っ立ち、すっかり己の存在を忘れてしまっていた。周囲の視点がリルに突き刺すように集まった。
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