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第九話
数日経った昼餐に、リルは初めて王宮に一人呼ばれた。ヴィルは辺境伯へ伝令を頼まれたようで、珍しく軍に駆り出された。部下の一人がリルの随身についたが、愛想はなく、憮然とした態度でリルの後ろを見張りのように歩いていた。それに加えて離れとは違う豪華絢爛な王宮の内装と大勢の使用人に囲まれ、リルはますます萎縮していた。
王宮の花と植物と有機物な曲線を描いた溢れるほどの装飾は優美で、かつ華麗に全体と調和して王の権威の絶対化、神格化をあらわしていた。豪奢な料理をなんとか食べ終え、ひと段落したところでデザート皿が運ばれてきたときだった。
ガーレフは右手を止め、ゆっくりと口を開いた。それに反応して、びくりとリルの身体が動く。
「アーミルが家庭教師になったそうだな」
「は、はい」
「医術が好きか?」
ガーレフは口許に笑みを浮かべて質問を重ねた。機嫌のよいガーレフに驚きながらも、リルは戸惑いながら答えた。
「……え、ええ。知らないことが多々ございますが、アーミル様とハルン様に色々と教えていただきとても感謝しております。このあともアーミル様と図書館で勉学の予定がございます」
あれから週二回ほど顔を合わせて、リルは本を手にしながら医術をアーミルから学んでいた。ハルンも隣で学び、いつの間にか二人は学友のようになっていた。いまではかるく冗談を飛ばせる唯一の仲でもある。ガーレフは微笑を浮かべて、ゆるく頷く。
「……そうか。熱心だな」
「いつかお役に立ちたいので……」
「やくに?」
ガーレフが怪訝な視線をリルに飛ばすと、リルは急いで言葉を継いだ。
「ええ。陛下のために」
「必要ない」
「…………そうですか」
「しっかりと学ぶがよい」
「……はい。ありがとうございます」
ガーレフは口許をナプキンで拭うと、しばし考え込んだように視線を落とし、なにか思いついたように顔を上げた。すっと鋭い視線が射貫くようにリルをとらえる。
「ああ、そうだ。そんなに私の役に立ちたいのならばアーミルを愛せ」
「……え」
一瞬なにを云われたのか、リルは理解ができなかった。ぽかんとした表情で見ると、ガーレフは目を細めて笑った。
「おまえを番いにしたが、公妾が独身者では外聞が悪いようだ。アーミルと結婚しろ。悪い男でもないし、なにかあったら慰めてもらえ。そのために口添えをした」
「そん、な……」
リルの視線が宙に浮いた。扉のそとに護衛がいるだけで周囲には誰もおらず、聞き耳を立てるものなどいない。手書きの花柄の皿にリルのフォークが滑るように落ちた。
「……私は、その……お相手できません」
「これは命令だ」
「……っ」
「私の役に立ちたいならば、黙って従え」
口ごもるリルを無視するかのように、ガーレフは溶けたアイスを食べ始めた。一切の弁明を許さないという態度に、リルが口を開こうとしたときだった。
「…………あの」
扉がひらき、薔薇の香りがリルの鼻をつき、華やかな花柄のドレスが目に入った。
「陛下、シンシア様がいらっしゃいました」
「そうか」
「え……」
リルは息を呑んだ。
「あら。いらしていたの」
「ああ。大事な話をしていた」
「もう少しで私たちの婚儀ですものね。陛下自ら、色々とご説明をするなんて羨ましい限りですわ」
シンシアは機嫌よく陛下に頭を下げ、隣へと腰掛けた。
「話はもう終わった。リル、時間だ。図書館へ行く予定だろう。もう下がれ」
「……はい」
それは、もう帰れという含みのある言葉だった。大扉はすぐに使用人によって開かれ、ここから出ていけとばかりに、眼前には真紅の絨毯が見えた。
(…………なにも云えない)
いや、云う必要などないのだ。ガーレフはこちらを見ようともしなかった。リルは唇を噛んで、重い足取りでその場から離れた。
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