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第十一話

 土の蒸れた匂いがした。  誰かの声が反響している。意識は沈み、まどろみの中でリルは夢を見ていた。母と父が笑みを浮かべて、リルになにかを話しかけている。 (……かあさん。とうさんもいる)  燦然たる光に手を伸ばし、母の頬に触れようとした。そのときだった。 「さっさと目を覚ましなさい」 「……ッ」  ぴしゃりと冷水を顔面にかけられ、リルは凍りつくような寒さに目を覚ました。はっとなって体を起すが、身動きができないことに気づく。 「……これはっ」 「リル」 「……ハルン!」  声をしたほうへ顔を向けると、ハルンが横に膝立ちで立っていた。ハルンを囲むように狼のような男たちがリルは足を押さえつけていた。バタバタと足を動かすが、びくともしない。 「リル、ごめん」  ハルンは頭を下げた。リルはその意味がわからない。頭上から聞き覚えのある声と深紅と華美な刺繡がほどこされた衣装が目に入った。 「やっと起きたわね。まったくいつまで経っても起きないから殺してしまうところだったわ」 「……シンシアさま」 「気安く私の名前を呼ばないで!」  シンシアは吐き捨てるように云って、短い舌打ちを鳴らした。なにがなんだかわからない。どうしてこのような場所で捻じ伏せられているのか、リルは理解が追いつかない。 「ここは私の屋敷にある石牢よ。前からあなたのことは気に入らなかったけど、まさかアーミル様と婚儀を交わすとわね。どこまで運がいいのかしら」 「……それは」 「おだまりなさい」  頬をはたき、シンシアは真上から侮蔑の目でリルを見た。 「……ッ」 「話すだけでも汚らわしい。なにもせずに一流の家柄と、陛下の寵愛を手にしたのだからもう悔いなんてないでしょう?」 「……悔いなんて」 「十分幸せでしょう?」 「……」 「答えなさい。答えないならばこの男を殺すわよ」  ハルンの首筋に男が刃先を突き刺した。抵抗もせずにただじっと立っているのを横目にリルは口をひらく。 「……ええ」  凛としたリルの声にぴくりとシンシアの瞼が動いた。 「そう」 「……僕は幸せです。恵まれています」 「ちなみに命乞いはするのかしら?」  いま思いついたようなことをシンシアは笑みを浮かべて喋る。 「いいえ。殺してください」 「そう云うと思った」 「……」 「死んで陛下のために詫びると? 殺してしまえばそれまでじゃない。一生病んで苦しむ方法をしてあげる。この獣人社会に首を突っ込んだ罰を与えてあげます」 「……ばつですか」 「水が欲しくても手に入らない。りんごが食べたくても食べられない。死ぬまで無限の苦しみを味わえばいい」 「…………」 「あなたを殺してもなにも解決しないのは知っているの。それでは恨みが晴れない。皆の前で侮辱され、さらにアーミル様まで手にするなんて許しがたきこと。それよりも精神病と認定させて、禁治産者にしてこの世界から追い出すことのほうが正しい」 「………それは」 「中途半端な生き様を見せていけばいいわ。牝のように生きて、誰か分からぬ子を孕みなさい。死にたいと思う限界まで生かしてあげることに感謝しなさい」  リルは瞼を伏せた。言葉が浮かばない。 「さあ。……やってちょうだい」  女は指を鳴らして合図をした。男たちは一斉に頷いてリルをさらにつよい力で石床に押さえつけた。口には手拭いを入れられ、噛むように顎を押さえつけられた。 「おとなしくしろ。抵抗すると腹もやるぞ」  その言葉にリルは固まった。リルの両手両足は男たちに指が食い込むように握られる。 「わるいな、リル」  ハルンは剪定ばさみを手にしている。 「はやくおやりなさい」  足を押さえつけていた男がハルンを小突いた。リルの着衣を脱がし、下腹部を露わにだすと陰部が冷えた外気に触れた。大きな瞳を潤ませ、ハルンはリルに頭を下げる。右手の先には先の尖った刃が光り、雄茎を挟みこむ。 「リル、ごめん」  そのひと言だった。 「……ッ、……ぐ……」  それは筆舌に尽く難い斬撃だった。神経をけずられ、肉体の一部をもぎとられる。リルの唇が歪み心臓がねじれるほどの痛みが身体中を駆けめぐった。下腹部に焼け火箸で刺されたような、烈火で灼かれたような痛み。 「……ィッ」  頭の芯が疼くような苦痛に、じくじくと脇腹が引きつった。呼吸が激しくなり、リルは海老のごとく身をちぢめようとしたが男たちが許さない。 「この姿で生きればいいわ」  女は吐き捨てるように言い放ち、離れたものを確認すると石段をのぼりその場から去った。そのときだ。 「ハル、……ン」  ばたばたと男たちが倒され、ハルンが下腹部を液で拭うと縫い始めた。烈火のごとく燃える傷口にちくちくとした痛みが突き刺さる。ハルンは隠していた液体を思いっきりかけ、慣れた手つきで糸と針を操って断面を縫合していく。 「リル、おまえを死なせないように言い仰せられている」  その声に、リルは意識を失う。

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