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第十ニ話

 まばたきを繰り返し、リルは目覚めた。 「おい! リル、大丈夫か?」  ぴくぴくと瞼が動いて、半眼に開いた。ヴィルとアーミルがこちらを覗き込んでいる。 「あ……」 「意識が戻りましたね」  後ろではチサンがさめざめと涙を流していた。リルの目に白の天井が見え、ほっとしたのか深い疲労が全身をつつんだ。 「ここは……」 「離れです。二日ほど眠っておりました。あの日の明け方、馬車が貴方を運んできたらしく私が呼ばれました。身体は応急処置を施しており安心してください」 「……あの、ハルンは」 「ここにはいません」 「ここ?」  アーミルに問うと、後ろからヴィルが不機嫌そうに割って入った。淡々とした声で答える。 「ハルンは陛下専属の間諜だ。リルを餌にしてシンシアを張っていたようだ」 「……間諜、ですか」 「ああ」 「それはつまり……」 「そうだ。これは陛下の企みだ。お前を囮にして、シンシアを泳がせていたんだよ。監禁罪に殺人未遂を挙げて糾弾したんだ。屋敷には武器がたんまりとあったみたいだ。シンシアの父親である宮中伯は辺境伯と手を結んで、王派討伐を目論みながら、いまは一家もろともお縄だ」 「……それは」  仔細はこうだ。  辺境自治州を治めていた辺境伯は暫定政府と密通を交わしているという噂が出ていた。宮中伯が大量の武器を武器商人から買い付けたという情報が入る。伯爵たちを信用できない宰相たちは、契約結婚にて仲を取り交わそうと企てた。それでも宮廷側の情報がどうしても漏れる。宮中伯の屋敷に押し入ることもできず、暫定政府では歩兵、騎兵、砲兵を統合した師団を編成し始めていると情報が入り乱れた。そこで、白羽の矢としてリルが選ばれたのだ。  運命の番いとして、人間を妾にしてシンシアの嫉妬を煽り、ハルンを仕掛けて誘拐させたのだ。リルが死んでも、所詮妾だ。死んでも影響はない。  淡々と話すヴィルを眺めながら、リルは下腹部を覆う毛布に目をやった。 「では、初めから陛下は僕をそのように」 上半身を起こすと鈍い痛みが下腹部から走った。二人とも気まずく視線をそらした。 「……そうかもしれないな」  ヴィルは深く頷いた。番いにした理由も、シンシアへ向ける駒に過ぎない。運命はまやかしに過ぎなかった。  自分が愛されていなかったことを知っていた。それがガーレフの口から証明されないだけましなのかもしれない。リルはそう思った。 「……いたっ」 「リル様!」 「尿道の確保と、縫合処置は行いました。だがまだ動かないほうがいい。しばらくは安静にお願いいたします」 「……はい」  アーミルはそう云って、今までリルが飲んでいた薬を袋に入れて回収した。 「……薬を全て執事よりいただきました。宮廷の誰かとは存じませんが、随分と強い薬をお渡しになられているみたいだ。これからは私が薬の処方を行わせていただきます。それと今後のことは落ち着いていから、話をしましょう」 「……わかりました」  アーミルは切ない溜め息のようなほほ笑みかけた。なにを云わんとして、リルは理解した。おそらく婚儀は取り止めになるだろうと予測できた。  ぼんやりと視界がかすんで目を凝らすと、チサンが心配そうに水差しからグラスに冷水を注いで渡した。 「リル様、無理をなさらず」 「……はい」 「まだ熱もあるし、寝ていろ」  ちらりとヴィルがぶっきらぼうにつぶやく。それでも顔は心配していた。 「そういたします」 「素直だな」 「ここにいられるのも残り少しだと思うので」 「出ていくのか?」 「僕の屋敷に来るよう手配をする」  アーミルは真剣な眼差しをヴィルに向けた。リルは二人の会話をただ聞いている。 「それならいいが、陛下が許すか?」 「リルを僕に頼んだ陛下が、許さないわけがない」 「来たらどうする?」  ヴィルが試すような顔でアーミルに訊いた。するとリルが顔を上げた。笑みを浮かべて、首を横に振って答えた。 「陛下はここには来ません」 「……リル」  そして、顔を上げ、新しい薬を用意するアーミルに向けた。 「もし、……もしいらっしゃったら、陛下には引き返していただくようお願いできないでしょうか。いまはなにも言葉が浮かばず……」 「わかりました。できる限りそのように手配するよ。まだつらいだろうから、しばらく安静にしてから移動しよう」 「でも……」 「リル、こいつの家は金持ちだから存分に甘えろ。そして気にするな」 「そういうことだけど、ちょっとそれは言い過ぎかな」  三人が笑った。 「…………はい」  アーミルとヴィルが部屋を出ていくと、リルは瞼を閉じた (陛下は冷静で理性的な人だ。おそらく、そうかと一言だけ発して、ここには足を運ぶことはないだろう)  リルは無駄なお願いをしてしまったことを恥ずかしく思った。 (もう僕を必要としない……)  シンシアの涙が瞼に焼きついている。人間への憎しみが増悪していく様を見せつけられた。自分は恵まれており、幸せだと口にしたときの顔が忘れられない。王の番いとして共に過ごした時間はほとんどなかったが、愛しさだけは募る。 (……それでも。……それでも、僕はいまでも陛下を愛している。なんだか不思議だ)  眠り薬が混ぜられていたのか、ふわふわとした眠りが襲ってくる。痛みが和らぎ、うとうとと意識の底に眠った。

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