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第十三話

 その晩だった。真夜中が過ぎて日付が変わるころ、リルは激しくもみ合う音で目が覚めた。外は闇に沈み、窓枠から冷えた夜気が漏れている。疼く傷口に眉根を寄せ、足を引きずるように歩いて、小さな椅子を扉の前に置いた。突然、扉が激しく叩かれた。 「あけろ」  凛とした低い声にびくりとリルの全身が跳ねた。 「…………」 「私だ。あけるんだ」 「……か、風邪がうつります」 「風邪など引いておらんだろう」 「……ひいております。流行り病ですので、移ります」 「アーミルとヴィルが出入りしていると聞いた」 「……陛下のお身にかかわります」 「もう一度いう。あけろ」  苛々した声で怒鳴る。 「……」 「リル、あけるんだ」 「いやです」 「なぜだ。調べはついている。おまえがアーミルに口止めしたことも、誰にやられたこともすべてもう私の耳に入っている」 「……」  ドンと物凄い音がして、扉に立てかけてあった椅子が倒れた。扉が大きく開かれ、ガーレフがずんずんと部屋に押し入った。椅子は倒れた拍子に折れ曲がれ、脚がひしゃげている。 「これでは誰も入ってこられない。飯はどうするつもりだ」 「……」  後ろにヴィルが申し訳なさそうに顔を手で覆っているのが見えた。 「おまえには間者をつけている。隠しごとは無駄だ」 「そうですか」 「アーミルとヴィルから聞いたか?」 「……はい」  リルが小さく頷くと、ガーレフは片膝をついた。 「……リル」 「……へ、へいかっ」  突然のガーレフの行動にリルはおろおろと心配しながら屈もうとする。ガーレフは黙り込んで、顔を上げる。 「…………」 「あ、あの……」 「すべては私が悪い。私の企てだ。…………すまない」  王が跪いて、深く頭を垂れた。目前に展開される光景に、リルは呆然として動けなかった。この国の王が、民に、しかも人間に、頭を下げた。  後ろにいたヴィルまでも、その変貌ぶりに瞠目している。 「……お、お顔を上げてください……っ」  足許に跪つくガーレフを前にリルは屈むと、痛みが全身に走った。 「……すまん。横にしていてくれ」  ガーレフはすくっと立ち上がり、リルを抱くと寝台へと運んで横に寝かせた。 「……ありがとうございます」  ガーレフは椅子に腰かけ、リルを眺めた。線は細くなり、やつれたリルの姿にやっと気づく。 「ひどいことをした。怒っていたか」 「いいえ」 「……私を責めるか?」 「責める必要などございません。安心しただけです」 「安心だと……」 「やっと、お役に立てたような気がしました。ここにいる理由も、やっとわかりましたから」  視線を落とし、リルは瞳を閉じた。  最初から自分を駒としてしか見てなかったのだ。それを全うできただけに過ぎない。 「……悪かった」  澄んだ紺碧色の瞳がおびえているように見えた。 「いまでも陛下をお慕いしております」 「……リル」  名を呼ばれ、リルはガーレフを真っ直ぐに見つめた。青の瞳が初めて自分へ向けられている。凛々しい双眸がリルに懇願している。 「傷が治るまで、私が看病する」 「え…………。でも……」  リルがアーミルの名を云おうとしたとき、ガーレフは有無を云わせずに継いだ。 「私が看病してやると言っているのだ。これは命令だ」  灰色の瞳が射るような視線で、云った。 「……では、ひとつだけお約束をしてよろしいでしょうか」 「なんだ」 「看病している間だけ、陛下を愛してもよろしいでしょうか。治りましたら、アーミル様のお屋敷へ参ります。その間だけ想わせてください」 「勝手にしろ」 「……ありがとうございます」  ぎろりと凄まれるように睨まれ、舌打ちが鳴った。リルの下半身はズキズキとした痛みが襲ってくる。薬が切れてきた。 「薬か」 「……はい」  ガーレフは水差しから水を継いだ。  横目で窓辺に目をやる。すでに墨に沈んだ空が地平線のように続いて見えた。  その夜、リルはおかしな夢を見た。  暖かい暖炉の前で、横抱きになって丸まり寝ていた。喉が渇くと、ぺろりと舐められ冷えた水で唇を湿らせてくれる。  海の底にいるような青がうつくしい。柔らかな長毛にくるまれて、ふわふわのぬいぐるみに抱かれているようだった。  求められたことは返した。  彼にとってすでに自分は役立たずのガラクタに過ぎない。 「…………る」  言葉が落ちる。  愛しい人を愛せる。  やさしく闇に溶けていく声が愛しい。このまま深い眠りに落ちていたいとリルは願った。

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