14 / 19
第十三話
その晩だった。真夜中が過ぎて日付が変わるころ、リルは激しくもみ合う音で目が覚めた。外は闇に沈み、窓枠から冷えた夜気が漏れている。疼く傷口に眉根を寄せ、足を引きずるように歩いて、小さな椅子を扉の前に置いた。突然、扉が激しく叩かれた。
「あけろ」
凛とした低い声にびくりとリルの全身が跳ねた。
「…………」
「私だ。あけるんだ」
「……か、風邪がうつります」
「風邪など引いておらんだろう」
「……ひいております。流行り病ですので、移ります」
「アーミルとヴィルが出入りしていると聞いた」
「……陛下のお身にかかわります」
「もう一度いう。あけろ」
苛々した声で怒鳴る。
「……」
「リル、あけるんだ」
「いやです」
「なぜだ。調べはついている。おまえがアーミルに口止めしたことも、誰にやられたこともすべてもう私の耳に入っている」
「……」
ドンと物凄い音がして、扉に立てかけてあった椅子が倒れた。扉が大きく開かれ、ガーレフがずんずんと部屋に押し入った。椅子は倒れた拍子に折れ曲がれ、脚がひしゃげている。
「これでは誰も入ってこられない。飯はどうするつもりだ」
「……」
後ろにヴィルが申し訳なさそうに顔を手で覆っているのが見えた。
「おまえには間者をつけている。隠しごとは無駄だ」
「そうですか」
「アーミルとヴィルから聞いたか?」
「……はい」
リルが小さく頷くと、ガーレフは片膝をついた。
「……リル」
「……へ、へいかっ」
突然のガーレフの行動にリルはおろおろと心配しながら屈もうとする。ガーレフは黙り込んで、顔を上げる。
「…………」
「あ、あの……」
「すべては私が悪い。私の企てだ。…………すまない」
王が跪いて、深く頭を垂れた。目前に展開される光景に、リルは呆然として動けなかった。この国の王が、民に、しかも人間に、頭を下げた。
後ろにいたヴィルまでも、その変貌ぶりに瞠目している。
「……お、お顔を上げてください……っ」
足許に跪つくガーレフを前にリルは屈むと、痛みが全身に走った。
「……すまん。横にしていてくれ」
ガーレフはすくっと立ち上がり、リルを抱くと寝台へと運んで横に寝かせた。
「……ありがとうございます」
ガーレフは椅子に腰かけ、リルを眺めた。線は細くなり、やつれたリルの姿にやっと気づく。
「ひどいことをした。怒っていたか」
「いいえ」
「……私を責めるか?」
「責める必要などございません。安心しただけです」
「安心だと……」
「やっと、お役に立てたような気がしました。ここにいる理由も、やっとわかりましたから」
視線を落とし、リルは瞳を閉じた。
最初から自分を駒としてしか見てなかったのだ。それを全うできただけに過ぎない。
「……悪かった」
澄んだ紺碧色の瞳がおびえているように見えた。
「いまでも陛下をお慕いしております」
「……リル」
名を呼ばれ、リルはガーレフを真っ直ぐに見つめた。青の瞳が初めて自分へ向けられている。凛々しい双眸がリルに懇願している。
「傷が治るまで、私が看病する」
「え…………。でも……」
リルがアーミルの名を云おうとしたとき、ガーレフは有無を云わせずに継いだ。
「私が看病してやると言っているのだ。これは命令だ」
灰色の瞳が射るような視線で、云った。
「……では、ひとつだけお約束をしてよろしいでしょうか」
「なんだ」
「看病している間だけ、陛下を愛してもよろしいでしょうか。治りましたら、アーミル様のお屋敷へ参ります。その間だけ想わせてください」
「勝手にしろ」
「……ありがとうございます」
ぎろりと凄まれるように睨まれ、舌打ちが鳴った。リルの下半身はズキズキとした痛みが襲ってくる。薬が切れてきた。
「薬か」
「……はい」
ガーレフは水差しから水を継いだ。
横目で窓辺に目をやる。すでに墨に沈んだ空が地平線のように続いて見えた。
その夜、リルはおかしな夢を見た。
暖かい暖炉の前で、横抱きになって丸まり寝ていた。喉が渇くと、ぺろりと舐められ冷えた水で唇を湿らせてくれる。
海の底にいるような青がうつくしい。柔らかな長毛にくるまれて、ふわふわのぬいぐるみに抱かれているようだった。
求められたことは返した。
彼にとってすでに自分は役立たずのガラクタに過ぎない。
「…………る」
言葉が落ちる。
愛しい人を愛せる。
やさしく闇に溶けていく声が愛しい。このまま深い眠りに落ちていたいとリルは願った。
ともだちにシェアしよう!