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第3話 孤独の滴

 目を覚ますとそこは、良く知らない大きなベッドの上で、良く知らない誰かの部屋で――。  いや、わかっている。昨日のこと全てを夢だったのだと信じたいだけで、本当は全部理解しているんだ。  ここは昨日まで、使い勝手が良いだけのホテルだった。変わってしまった。俺が今村に屈辱を与えられた場所に。あいつにされるがまま抱かれて、当人は俺が意識を失っている間に勝手に逃げやがった。……でも、それだけ。たったそれだけだ。  ゆっくり起き上がって、腰と尻の痛みを確認する。ついでに腕も赤く痛むのはあいつが無駄に強く押さえつけ続けた挙げ句、脱いだ服で縛り上げるなんて芸当を披露したからだ。あぁ、最悪。やっぱり夢なんかじゃなかった。この痛みがそれを証明している。自分が世界で一番汚い人間のように思えてならない。汚されてしまったのだと、そう思ってしまう。  こんなことなら、あの女の子たちに殴られたときに帰っておくんだった。大きなため息を吐く。その音だけがこのまっさらな部屋に充満する。静寂が俺を襲うように包む。全てが嫌になる――。  ふと目をやった枕元に、何かを見つけた。それは手紙、らしかった。ルーズリーフの切れ端に、青いインクの綺麗な文字が整列している。それと一緒に一万円札が二枚ほど置いてあるのも確認した。初めての場所で相場がわからなかったのだろう。まあ、お釣りはありがたく財布に納めさせてもらうことにしよう。 『本当にごめんなさい、自分を止められませんでした。調子に乗ってしまいました。もう二度と君には近付かないから、どうか許してください。今村』  ……だそうだ。  しかし、どれだけ謝られたところで許す気は一切ない。これから先、あいつと会話することなんてないだろうし、目を合わせることだってない。  いやしかし、一発と言わず何発だって殴ってやりたい。痛みにあえぎながら絶望した瞳で俺に助けを求めるのを蹴り飛ばしてやりたい。そうでもしてやらないと気が済まない。が、面倒なことにはしたくない。警察沙汰だとか病院送りだとか――また俺が押し倒されるとか。  はあ、とため息をついて、水を飲もうと立ち上がる。しかしそれも叶わず、ベッドに尻餅をついた。立ち上がることすらも一苦労だと気付いてしまった。  傍に落ちていたスマホを拾い上げ、覗いてみれば深夜の三時を過ぎたところだった。いつから意識が飛んでいたのかわからないが、少なくとも一時間は寝ていたのだろう。本当に最悪だ。このまま幸せになれるはずだった人生をねじ曲げやがった。信じられない。 「あぁ、あのクソストーカー野郎っ!」  ベッドに向かってスマホを力いっぱい、思い切り投げ捨てた。ただの八つ当たりだ。そんなことをしても何にもならないとわかっているのに。  ――あぁ、俺はひとりだ。この世界に取り残されてしまった、たったひとりのかわいそうな男。  手のひらから力が消えていく。じわじわと視界が滲んでいき、最後には世界がこぼれ始める。  頭が痛い。ぐらぐらする。全ての感覚が狂ってしまっている。昨夜のことが脳内に浮かび上がっては、自分の拳で強く殴る。あの記憶を消すために。  最悪だ、最悪だ最悪だ。本当に最悪だ。  明日は――じゃないのか、今日は家に帰ってから一歩も外に出ないことにしよう。講義がいくつかあったはずだが、そんなものはもう関係ない。友人に言えば出席届だって出してくれるだろうし、そうじゃなくとも勝手に欠席にしてくれればいい。どちらにしろ家からは出たくなんてない。  こんな俺は、俺じゃない。  家に帰るなり、ベッドに飛び込んだ。これ以上何もしたくなかったし、何もできなかったから。  それなのにベッドの柔らかい感触があのことを思い出させる。顔にはらりと髪があたれば、シーツに指が触れればあの記憶が降ってくる。涙が出そうなくらいに、心を絞られる。  ベッドから降りて、壁にもたれかかるように座る。そして考える。きっと誰も俺のことをかわいそうだなんて思わないのだろう、と。だって世間的には俺がしたことの方が悪いこととみなされるはずだから。  ふたり以上の女の子と平行して遊んでいたら悪。例え間違いだとしてもふたり同時に誘ったら罪。俺の外側ではそんな風にされているということくらい、当然知っていた。それでも俺がやめられないのは――。  いや、そんなことはどうだっていい。  それよりあいつがしたことは犯罪にならないのか? だってあれは合意のない……いや、俺から誘って、俺が手を引いて、俺がベッドに押し倒した。そこからは俺の気持ちも無視してひっくり返されたが、始まりは俺からだ。つまり、合意はあったことになるのか……?  どちらにせよ腹が立つ。どうしてあんな目に遭わないといけなかったんだ。どうして俺だったんだ。いや、もしかしたら俺のお遊びが目に余って神様がそうしたのかもしれないけど、それにしてもやりすぎだろう。俺はあいつほど罪深いことなんか、していないはずだ。  それなのにどうして俺は、あのときあんなに……あいつにしがみついていたのだろう。どうしてあんなにあいつを求めて――。  それ以上考えるのはやめておこう。何か他に、ハッピーなことでも考えよう。  と、窓の外を見ると朝日が昇ってくるところだった。美しい太陽が昇ってくる。朝がやってくる。真っ暗なこの部屋に明るすぎるくらいの光が差し込んで、俺を避けるように壁にぶつかっていく。あぁ、陽の光すら俺を否定するのか。  床に落ちた滴が、世界に波を広げたような気がした。

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