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EP.13

 なるべくいつもと同じように。決して昨夜のことは口に出さずにいれば海も普段通りに話しかけてくる。  正直なことを言えば、誰ともキスをしたことすらなかった。それ以上なんてもっての外。  付き合ってもいない相手とするなんて思わなかった。誠実に、潔白でいるように育てられた泉帆は何に対してもその信念を曲げず、恋人との婚前交渉すらしないと決めていた。  そのせいで奥手になり、手を繋ぐことすらなかなかできず結果的に刺激が足りないなんて振られてしまって早3年。それから恋人を作る気にもなれずこのまま30を迎えるのではないか、そう考えてきた中こうもあっさりと他人に身体を触らせるなんて。  自覚はなかったが童貞を拗らせていたのか、自分にとっての一線を超えてしまった海のことを、これから先も今までと変わらないように見るなんてできなくなってしまった。  誰とでも寝るような発言をした海が自分とは正反対なのはよくわかっている。それでも、自分とそういったことをした海を縛り付けたい気持ちが襲う。  特別な目で見てしまう。下着以外の洗濯物を干してくれるその姿も、堪らなく好きだと思えてしまう。  それでも、海は絶対に昨夜のことを口にしない。いつも料理を作りに来ていた時と同じ。だから泉帆も、余計なことは口にせずいつもと同じように。  今日は休みで、出かける予定もない。泉帆は何をするか考えた後、ふと昨日のある一件を思い出し玄関のシューズラックの1番上に隠していた合鍵を海に手渡した。 「今日は大学休んでうちにいてもいいけど、一応渡すのは約束したからね。いらなかったら戻しておいて」 「ありがとー。なくさないように気をつけるね」  疲れが滲んでいる顔を誤魔化すようにふにゃふにゃと笑みで崩し、海は自分の財布の中に鍵をしまった。  可愛い。嫁でももらったような気分だ。9歳も年下の相手に何をとも思うが、もう愛らしくて堪らない。家出なんて言わずずっとうちにいてくれればいいのに。  それでもきっと海は了承なんてしないだろう。それはおろか、付き合ってほしいなんて言っても絶対拒否をされるに決まってる。  特定の相手は作らず、遊んでいたいタイプ。昔同級生にもいた。そいつは恋人を作ったら浮気ができないからなんて言っていたが、海もそのタイプなのだろうか。寧ろ、一途に想ってくれそうな気もするのに。  そういえば、自分は何故海とキスをしていたのだろう。息苦しくてハッと目覚めた時には超至近距離に海の顔があり、あの状態だった。ベッドの傍に寝ていたはずなのに上で寝ていたのも何故。抱き締めた覚えだってないのに。  寝惚けて何かをしてしまった結果かもしれない。泉帆が考え込んでいると、海がその顔を覗き込んできた。 「どうしたの?」 「嗚呼、……いや、なんでもないよ」 「そう?」  何でキスをしていたんだ、なんて聞けるはずがないだろう。  昨日のことは全部、なかったことに。  全て夢だった。だから気にすることなんてない。  ……なのに。  どうしても海から目が離せない。海が来なければ今日一日は動画や映画を見るか銀細工の続きを作る日にしようと思っていた。それなのに、テレビの前に座り配信している動画を確認している海の後ろ姿ばかりを視界に捉えていた。  スイーツばかりを食べているからか、全体的にむっちりとした体つき。全体的に大柄で、腰も太く尻も見る限りは張りがある。  そして何より、柔らかそうな胸。性的な知識が高校生時代から全く進歩していない泉帆にとって、服を内側から持ち上げている時点で男の胸でも関係なく興奮してしまう要素のひとつになっていた。  それも、昨日まではなんとも思っていなかったのに、だ。 「くろちゃんくろちゃん、これ見てもいい?」 「あ、嗚呼、うん」 「……くろちゃん何か悩みごと?」  悩みといえば悩みだが、どう説明すればいいやら。  まさか昨日のことなんて言えるわけもない。どう説明しようか悩んでいると、海は察したのかテレビを消し正面から座り直した。 「昨日の夜のこと、思い出しちゃうんだ?」 「……う、ん」 「そっか、そうだよね。初めてだって言ってたし」  年下の男の子相手に何とも情けない。泉帆が言われたままに項垂れていると、海はふむと考え込んだ。 「くろちゃんノンケだしやなことさせちゃったよね。うーん、おれの友達の女の子紹介できればいいんだけどみんな彼氏持ちだしな……」 「い、いや、そういうのじゃなくて」 「じゃあどういうの?」 「……その」 「……気持ちいいこと、またしたい?」  それは、思う。  何から言えばいいのか言い淀んでいた泉帆がびくりと体を震わせ硬直させると、海は暫く考え込んでいた。  その緊張具合が答えになっているなんてわかっている。が、駄目だ。またあれをしてしまうのか、されてしまうのか思っただけで欲望が頭をもたげてしまう。 「……くろちゃんが、おれと友だちのままでいてくれるならいいよ」 「え?」 「離れたり、もっと近付いて来たりしないんならいいよ。友だちのままでいてくれる?」 「いや、でもそれって」 「恋人とか、絶対やだ。友だちのままなら、今日もお口で気持ちよくさせてあげる」  恋人同士でするものじゃないのか?  海の言葉に混乱する。いや、不特定多数と関係を結んでいることを匂わせていたし、あの手慣れた感じはそれを事実だと伝えて来てはいるが。  泉帆が躊躇っていると、海は覆い被さるように抱きついて来た。豊満な身体を押し付け、唇に噛みつかれまたキスをされる。 「てゆーか、おれ有名だからくろちゃんとお付き合いしたことがフォロワーにバレたら大変なんだけど。おれが誹謗中傷されるかもしんないのにおまわりさんはそうさせたいの?」 「……友達は、キスなんてしないだろ」 「セフレだって友だちでしょ? 童貞卒業はほんとに好きな女の子できるまで取っておきなよ。付き合ってもない男で卒業なんて、くろちゃんには勿体ないもん」  至近距離で、何度もキスをされ感覚が麻痺してくる。海を抱き締めようと宙に彷徨わせた両手は掴まれ、そっと胸に這わせられてしまった。 「おっぱい揉む?」 「…………うん」 「あは、くろちゃん可愛いねぇ」  自分は、快楽に弱いのかもしれない。  たった一回抜いてもらっただけなのに、海を特別な目で見てしまう。  初めて触る柔らかな他人の胸にパニックになり、男のものだなんてこともわかっていて尚頷いてしまった。

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