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EP.16

 泉帆は自分にもしてくれているのだから、お返しにその体に触れたかった。  だが海は決してそれを許さず、上半身以外への接触を拒否する。  今日もまた、泉帆を散々イかせ骨抜きにさせてからトイレに籠り、一人で欲を発散させていた。 「ねえ、どうして俺は触っちゃいけないの?」 「だってくろちゃんは女の子が好きなんでしょ」  元々男は性愛の対象ではなかった。だから、口淫程度なら大丈夫でも自分の裸体を見た途端萎えてしまうかもしれないから。  100%拒絶しないなんて約束できないでしょ、なんて言われ言葉に詰まる。海のことを好きにはなったが、それは少女のような愛らしい性格と手慣れたように自分を快楽へと堕としてくれる舌遣いだけだと突きつけられているような気がして、何も言えなくなってしまった。  海は、大丈夫だよと額を触れ合わせてくる。 「くろちゃんはおれのこと傷つけたりしないってわかってるから、こうしてずっと一緒にいたいなって思うんだよ。くろちゃんにおれのこと気持ちよくしてほしいとか、そういうことは考えてないからね」  海に触れたいのは義務感なんてものじゃないのに、そこからくるものだと思われている。  でも、そうじゃないのに。  昼食も、夕食も、海に作ってもらい一緒にいるだけ。夜になっても自分が悶々と考え続けていたから、海は誘うこともなくベッドでSNSをチェックしていた。 「明日は朝からお仕事?」 「9時からだから、8時前には家を出ないとな。海くんは、大学は?」 「どうしよっかなぁ。別に明日休んでも単位には響かないけど、うーん」 「あまり強くは言わないけど、行けるときに行っておいた方が後々楽になるよ」 「だよねぇ。……ん、ちょっと電話来たからベランダ出るね」  いつも使っているオレンジ色ではない方、黒いスマートフォンを手に海はベランダに出る。  あちらの携帯は何のために持っているのだろう。少し気になったが聞く程でもないか。電話をしている様をガラス越しに眺めつつ、ベッドと床に置いてある布団を交換した。  海はどうやら少し寒がりのようで、夏用の布団だと寒かったと言っていた。自分は逆に暑がりだから、冬用布団だと蒸されてしまう。毛布と冬用布団があれば、冷房をつけていても大丈夫だろう。先程までそう話していた。  戻って来た海は何やら複雑そうな表情で、何も言わずベッドに腰かける。まだ少し湿った髪を手で撫でてやれば、すぐに頬を擦り寄らせてきた。 「くろちゃん、ちょっと聞きたいことあるんだけどいい?」 「何かあった?」 「んーん。明日朝からお仕事ってことは、明後日の夜までは帰らないの?」 「そうだね、24時間勤務だから。嗚呼、もし出かけるなら鍵さえ閉めてくれれば好きにしてくれて構わないよ」 「わかった。ねえねえ、明日のお弁当は何が食べたい?」  一人なのが嫌なのだろうか。それとも家に帰るつもりか。話してはくれないから海が何を思っているのかはわからないけれど、帰ってしまうなら少し残念だなと思ってしまう。  明日の弁当についてリクエストを答えつつ、柔らかな金髪を指で梳いた。 ***  翌日。朝早くから弁当を作っていたのだろう、まだ寝惚け眼の海に大きな包みを持たされ出勤した。  頑張ってね、いってらっしゃいなんて額にキスまでされてしまえばやる気だって満ちてしまう。自分が思っていたよりも単純で、自省しながら職務をこなした。  今日は大学に行き、そのまま泉帆の家に真っ直ぐ帰り勉強をするらしい。交番に来ないことを少し残念に思いつつ、泉帆はいつものように集まっている若者達は放置しパトロールに出た。  もうそろそろ日も落ちる。自転車を漕ぎ駅前まで向かい、何も異常がないことを確認していると遠くに見慣れた人影が見えた。  大きな体、ふわふわの金髪。黒い帽子と黒いマスクをしているが、あれは絶対に海だ。この駅で絶対に見ることのない姿を確認し、思わず笑みがこぼれた。  海くん、と声をかけようとして躊躇う。周りには女子高生達が大勢いて、海の名前を出してしまえば何か起きてしまうかもしれない。今は誰にも気付かれていないようだから、そっとしておいてやる方がいいかもしれない。  海の行動を目で追う。海は黒いスマートフォンと駅前の広場を交互に見やり、きょろきょろと何かを探しているようだった。  人探しだろうか? そう思い観察を続けているとどうやら目的の人を見つけたようで、ぱたぱたと駆け寄っている。  それは、自分よりも大分年上であろう初老の男性だった。海とは二言三言何か言葉を交わした後、駅向こうへと連れ立って歩いて行く。  駅の向こう側は町名も変わり、交番の管轄も異なる。あちらには繁華街もあり、すぐ横の道を曲がって行けばホテル街。  海達は、そのホテル街への道を曲がって行ってしまった。 「……そんな」  確かに、自分とは付き合わないと言っていた。セックスだってさせてくれないし、胸に触れることくらいしか許されていない。  あの男性に、今日海は。  気付いた時には、自分はいつ移動したのか交番へと戻ってきていた。顔色が悪いと先輩に心配されるが、何でもないと誤魔化し一度仮眠をとらせてほしいと仮眠室へ篭った。  何で、あんな男なんだ。自分の方が海に信頼されている。自分の方が年だって近いし、海のことを知って……。  そこで気付いた。自分は海のことをよく知らない。  この交番で話すことはストーカー被害や外をたむろしているファン達のことで、他には妹がいることと、大学の学部名くらいまでしか。  売春をしていることだって一昨日初めて知ったし、祖父がドイツ人だってことも昨日教えてもらった。海がどういう場所で育ってきたのかも、どうして売春するようになったのかも、今何を考えているのかも知らない。  金銭を受け取っている事実があれば、今すぐにでもあの男を捕まえられるのに。海はホテル代を出してもらうだけで現金としては一切受け取っていないとも言っていた。  嗚呼、何故あの子は。  泉帆は、誰にも言えない感情を古びた枕へぶつけることしかできなかった。

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